体操女子の1980年モスクワ五輪代表の笹田弥生さん(56歳)が亡くなった…
という小さな記事がありました。
モスクワ五輪代表の笹田?
誰?
と思ったら、
旧姓は「加納」
加納弥生さん。
この方、1978年、79、81、83年の世界選手権日本代表で、78、80、81年の全日本選手権では個人総合優勝を果たしています。
80年モスクワ五輪の代表に選出されましたが、ご存知の通り、日本はボイコット。
引退後も体操には関わっていたようですが、久しぶりに聞いた名前が訃報とは…
モスクワ五輪ボイコットについては、たぶん一度だけ、このブログで書いてます。
今となってはマスコミが勝手に創作した話が主流になってますが、
そもそもの発端は、ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻した事に抗議してアメリカがモスクワで開催される五輪への出場ボイコットを発表、アメポチの日本もそれに倣ったわけです。
「スポーツと政治は別」「選手は冷戦の犠牲者」とかいう空気が…
…何か、そんな感じで。
柔道の山下泰裕さんは当時、泣きながら会見して「自費で個人参加でもいいからモスクワに行きたい」と訴えました。
…マスコミの誘導のおかげで、この山下さん的な考えが当時の選手たちの総意のように思われていますが、実態はそうではなかったんです。
「今、こうしているこの瞬間にも、アフガニスタンで若者が死んでいる。それを考えればモスクワに行くべきじゃない」という選手もいて、選手間世論は完全に真っ二つ。
山下さんなんかは、出場すれば何色かのメダルは持って帰ったでしょうから、そりゃあ行きたいだろうなと思いますが、同じくメダルが狙えた赤井英和さんは後者で、さっさとプロ転向しましたし、釘田修吉さんはボクシング自体を辞め、「和泉修」の名前で芸人になってしまいました。
そこに悲壮感なんてなかったと記憶してます。
もちろん競技によって空気は違っていたでしょう。
ボクシングの場合は、五輪が最終目標と考えている選手はまずいませんし。
加納さんの場合は、
対面して会話した事はありませんが、2020年東京五輪が決まった後、自分の経験を踏まえて「五輪休戦」の署名運動などをされていたそうですから、前者の考えですね。
ソ連が“報復ボイコット”した1984年のロサンゼルス五輪の日本国内予選では9位と振るわず落選。
東京五輪は見たかったでしょうね…