「黄金のバンタム」とはボクシングのバンタム級に名選手が多かったからそう言われたのではなく、当時の世界チャンピオン、エデル・ジョフレただ1人に対する呼称です。
エデル・ジョフレは1936年ブラジル サンパウロ生まれ。世界バンタム級王座を8連続KO防衛し、後に1階級上のフェザー級王座にも就いた「化け物みたいに強いボクサー」
当時のボクシング界はWBAもWBCもジュニアクラスもなく、世界チャンピオンは全部で8階級・8人しかいませんでした。
今とはチャンピオンの価値が天と地ほど違います。
「黄金のバンタム」と言われ、今でもバンタム級史上最強説があるエデル・ジョフレ。
ハードパンチャーと言うのはテクニックがやや劣る人が多いんですが、このジョフレはテクニックも天才的。
生涯成績は78戦72勝(50KO) 2敗4分。
この最強ボクサーの生涯たった2つの黒星は日本のファイティング原田との2戦です。
そのファイティング原田、
世界ボクシング殿堂入りしている唯一の日本ボクサーであり、「史上最も偉大な日本人ボクサー」との評価は現在でも変わっていません(日本人で世界ボクシング殿堂入りしている人物は原田以外にはジョー小泉氏、本田明彦氏の2名がいますが、このお2人は選手経験なし)
無敵の世界チャンピオン、ジョフレに原田が挑戦した試合は1965年。
試合前はジョフレの一方的勝利・原田は何ラウンドまで持つか、という予想がほとんどでしたが、4ラウンドに右アッパーでジョフレをロープ際まで吹っ飛ばした原田、一進一退の攻防の末に2-1の判定勝ちで世界王座奪取に成功。
自虐史観をお持ちの人って政治家や社会学者だけではなくスポーツ観戦してる一般人にもちょくちょくいらしゃるようで(ホラ、いますよね、日本人なのになぜかとにかく日本人選手をけなしたがる人)、この一戦についても「際どい判定だった」「日本だから原田有利な判定になった」「ジョフレが年だったから勝てた」とか、したり顔で講釈をタレます。
日本人の勝利を素直に喜べない神経は何とも理解し難いんですが、この試合はビデオで見る事ができますので率直に言わせていただきますと、
現在の採点基準であったら、判定は3-0で原田の勝ちです。
また、4ラウンドのジョフレ、今ならスタンディングダウンを取られてますね。
2年後の1966年、原田は2度目の防衛戦でジョフレと再戦し、前回以上の大差の判定勝ちで完全決着をつけました。
原田もジョフレに勝った試合でフライ級に続いて2階級制覇を達成したわけですが、前述しましたように、この頃はWBAもWBCも、ジュニアクラスもなかったんです。
ご本人「今の連中と並べて同じように2階級制覇なんて言われるのは嫌だね」とおっしゃってますが、お気持ちはわかります。
(私は、ボクシングはジュニアクラス…今は「スーパー」と変わってますが…をさっさと廃止すべきと思ってます)
…あ、書評を全然書いてませんが
この『「黄金のバンタム」を破った男』はかつて『リング』というタイトルでハードカバー版が発売されていたものに少々の加筆・改筆をして文庫化したもの。(どちらも買いました)
原田×ジョフレ以外の話も書かれてるこの本、百田尚樹さんのノンフィクションものの中でもベストではないでしょうか。
ファイティング原田は間違いなく時代を背負っていました。
高度成長期の国民の多くは、世界と戦うファイティング原田の姿に勇気をもらったに違いありません。
原田に比べれば亀田なんてニワトリ(チャボ=バンタム)のケンカレベル。