日本でアフリカ音楽がメジャーになったきっかけは、おそらくナイジェリアのキング・サニー・アデ、それからセネガルのトゥレ・クンダです。
世界的スーパースターになったユッスー・ンドゥールあたりは日本に限ってはもう少し後。
キング・サニー・アデは1946年ナイジェリア生まれ。「キング」という冠はウソではなく、ヨルバ族の王家の生まれ。
キャリア自体は長く、欧米向けのアルバムを発売したのは1982年ですが、その時すでに母国の大スターでした。
1983年に第2弾として発売されて世界的ヒットになったのがこの『Synchro System』
キング・サニー・アデの音楽は「ジュジュ」と呼ばれるアフリカ独特のダンス音楽がベースになってます。
バンドはこのジャケットのまんま大所帯で、民族楽器であるトーキング・ドラムがリズム隊の中心となって、ご本人がボーカルとスティールギター。
レゲエが初めて紹介された時代って私は知りませんが、こちらのアフリカンビートも今まで誰も聞いたことのない新しいタイプの音楽だったはずです。
ブ厚いパーカッションは相変わらず前作そのままで、でも前作以上に「欧米向けポップ」になっていて聴きやすくなりました。
私はこういう「西洋かぶれした民族音楽」って大好きなんですが、エスニック音楽のコアなマニアの中には「売れ線狙い」とバカにしたりする向きがあります。
そんな事言ったって、音楽の活動拠点を欧州に置いてるアフリカのアーティストはいくらでもいますから融合は当然。
勝手に思い描いてるイメージの押し付けもおかしな話。
日本のポップスはいつまでも和楽器だけを使わねばならないなんて理屈もありませんしね。
冒頭で挙げましたもう1つのアフリカ音楽のアーティスト、トゥレ・クンダは1985年にサザン・オールスターズとのジョイントライブの為に来日し、関西ではドシャ降りの雨の中、大阪球場でステージを決行。
サザン・オールスターズは1曲目が『いとしのエリー』という意表を突いたセットリスト。
そしてサザンのファンがアフリカ音楽に興味などあるはずもなく、トゥレ・クンダのステージは盛り上がったのか何だったのかよくわからないまま終わりました。
キング・サニー・アデのアルバムは国内盤は現在全て廃盤になっており、輸入盤のみ入手可能です。
しかしトゥレ・クンダの方は昔から国内盤、輸入盤ともに全く見かけません。
残念な事です。