回廊内拝観を終え
境内社を巡ります
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気温36℃の日の
一番暑い時間帯で
やばそうだったら冷房きいたところに
逃げようと思っていましたが
なんやかんやまわれました
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(↑13:15)
(↑13:18)
若宮大楠
樹高24.0m/幹周11.46m
(地上1.3m)
県下で1-2位を争う巨間であるこのクスノキは、もとは三本の苗木が成長に伴って合着したものといわれおり、神功皇后お手植えと伝えられる。
記録によれば享保四年(1719)の大雪で幹上部が折損し、そのため低い形になったとされる。
春日大社
神社における最も古い御巫の記録の一つは、平安時代中期、延喜20年(920)2月21日に宇多法皇が春日行幸をなされた時に大和国司であった藤原忠房の詠んだ「めづらしき 今日の春日の やおとめを神もうれしと忍ばざらめや」であり、拾遺和歌集に収められています。法皇の行幸のために御社頭にて特別に御巫が舞いました。
しかし平安時代後期の春日若宮御創建と同時に、若宮へ日本で最初に常時神楽を奉納する御巫組織が作られました。「若宮祭礼記」保延2年(1136)には御巫のトップの名に辰市とあり、保元元年(1156)には本神戸とあり、神職の住む神領から御巫が奉仕に上がっていたことが判ります。特に中世には40人以上が所属し、日本最大の御巫組織でありました。
平安時代に建てられた神楽殿は日本最古とされ(同形で400年程前に造替)、参拝者は若宮へのお参りの後に御巫へ願い出て神楽を奉納し、その中で「申し上げ」が奏上され、御巫が参拝者の願いを神様へ特別に伝えました。
御本社(大宮)は国民全体を護る祈りの場でしたが、若宮は御巫により個人のお願いも特別に聞いて下さる所でもありました。明治時代より御巫は春日大社全体の所属となり、現在は御本社北側の御祈祷所にて神職と御巫が個人の願いを春日大神様へ祈り伝えています。
十五社巡第一番納札社
若宮
【御祭神】
天押雲根命様あめのおしくもねのみこと
【御由緒】
御本社(大宮)の御子神様であり、平安時代後期、天候不順や災害により飢饉、疫病が蔓延した折、白河上皇、鳥羽上皇、関白藤原忠実、関白藤原忠通が人々を救うために御創建した。白河上皇は建設促進
の院宜を発せられ長承4年(1135)2月27日の若宮御社殿の御創建日には、鳥羽上皇や関白が都より多くの貴族を引き連れ、御参拝をなされた。
【御神徳】
生命の源である水を司り、智恵・学問・芸能を導く
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