由緒
久伊豆神社
所在地 越谷市越谷1700
久伊豆神社は、
祭神として大国主命・事代主命など五性が祀られ、例祭は毎年9月28日である。
当社の創立年代は不詳であるが、社伝によると平安末期の創建といい、鎌倉時代には武蔵七党の一つである私市党の崇敬を受けたという。古来、武門の尊崇を集めて栄え、室町時代の応仁元年(1476)に伊豆国(静岡県)宇佐見の領主宇佐見三郎重之がこの地を領したとき、鎮守神として太刀を奉納するとともに社殿を再建したと伝えられる。江戸時代には、徳川将軍家代々の信仰が厚かった。
当社は、除災招福”開運出世の神として閲東一円はいうまでもなく、全国に崇敬者がある。また、家出をしたり、悪所通いをする者に対して、家族の者が"足止め、といって狛犬の足を結ぶと必ず帰ってくるといわれている。
境内には、県指定旧跡となっている幕末の国学者平田篤胤の仮高跡や、篤胤の門人が奉納したといわれる県指定天然記念物の藤の老樹が枝をひろげている。
なお、当社は昭和五十九年度に県から「ふるさとの森」の指定を受けている。
昭和六十年三月
埼玉県越谷市
創建
平安時代中期
主祭神
大国主命
言代主命
配祀神
高照姫命(たかてるひめのみこと)
溝咋姫命(みぞくいひめのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
境内社
本殿後方(7社)
稲荷神社
諏訪神社
五前神社
天満宮
三峯社
御嶽神社
八坂神社
御池周辺(5社)
二荒山神社
御合神社
三峯神社
埼玉稲荷神社
水神社
境内
拝殿/親子狛犬
足止めの狛犬
天岩戸の図
平田篤胤大人奉納
天岩戸の図
(複製)
この天岩戸の図は江戸時代後期の国学者平田篤胤大人の奉納によるものである。
文化13(1816)年、
越谷で油屋を営む山﨑長右衛門(篤利)が平田篤胤大人に入門の後、篤胤大人は度々越谷の地を訪れることとなる。特に長右衛門は篤胤大人の著述出版に助力し、文政元年(1818)年に再婚した篤胤大人の後妻の親元でもある。この図の左側に記される文政3年という時期は越谷と篤胤大人との関係が深まった頃であると考えられる。また、図の右側に記されるようにこの図は篤胤大人
が古書より探考し画工山里貞由に描かせたものである。
向かって左側に天手力男神、
右側に天宇受賣命、中央に岩戸の隙間から漏れる天照御大神のまばゆい光が描かれている。全体は、古事記日本書紀に依って描かれているものの天宇受賣命が持つ大鈴や桶を逆さにした舞台といった細部の描写は
古語拾遺に依るものと思われる。
この天岩戸の図は、平田篤胤大人の越谷との深縁、また古学・神道を考究した広い学
識を窺うことができるものである。
なお平成25年の複製作業は山端寿一氏によるものである。








