サムネイル

こちらの記事は、
茨城県神栖市
【息栖神社】
2024年2月
13:55〜14:23

の記録(アルバム)です看板持ち


※記事の日時=記録整理用日時です
画像や動画の流用は固くお断りします



(14:16)

オガタマの木と境内社

鹿島神社

伊邪那岐神社

高房神社

奥宮

の四社合祀の社と


香取神社

手子后神社

八龍神社

江神社

若宮

の五社合祀の社です

指差し







招霊(オガタマ)の木

(小賀玉・黄心樹)木蓮科

幸運をもたらすの樹の代表格の精霊の宿る木です。

近寄ってパワーを受け移りましょう。

「折り取らないで下さい」

社務所

一円玉裏←招霊の木







おきすの津(港)と碇

大船の香取の海に碇おろし

いかなる人か物思わざらむ(柿本人麿)

今よりはぬさとりまつる船人の

香取の沖に風向うなり(藤原家隆)

広大な内海であったために、香取の海といわれた

古代の水郷の中で、おきすの社と呼ばれた水の神、息栖神社の所在する息栖の地は、おきすの津(港)とよばれて、周辺の陸地との交通上の船着場として、大きな港としての役割を果たしていた。

徳川時代になると、幕府の拠点江戸と東北との交流が盛んになり、その水上輸送路は、江戸川・利根川・水郷地帯・銚子川口から鹿島灘といった航路が選ばれていた。これらの長距離輸送には、当然大型船舶が用いられ、その往復途上、息栖の津に立寄っては、息栖の神々に航路の安全と、家族の安泰とを祈願した。この碇はそうした祈りをこめて、息栖の神に献納された物であろうが、それが何船によってのことかさだかではない。けれども潮に晒され鉄片のはがれ落ちた旋の姿から、道の奥(東北)と坂東(関東)との間にたって、物資輸送に励まれた船人の、遠い昔を偲ぶ手掛りとなっている。

帆柱ぞみをつくしなる大船の

かとりの浦の見るめからねど

(利根川図誌より)

神栖市教育委員会


(14:23)



🔻2024年2月東国三社巡り