赤鬼馬を駆る関羽(脇障子の彫刻)
三国志に題材を求めたと思われます。
関羽は劉備の臣だが訳あって曹操に使え、
一日に千里を駆る名馬赤兎馬を授かり、
劉備に対する忠義の心を持ちつつ活躍します。
後に孫権によって処刑されますが、
その才覚が霊験あらたかとして
「廟」に祀られ信仰を集めます。
二十四孝の内四話
貧しい郭巨夫妻には母と赤ん坊があり、
子を埋めてまでも母に孝養をつくしたい郭巨が、
穴を掘っていると黄金の釜が出土し、
子を埋めることなく孝をつくしました。
孝心の厚い王祥は、
厳寒に鮮魚を食べたいと願う継母のため、
氷上で裸体となり臥して氷を解かしながら大漁を祈ると氷が割れ、魚が躍り出て掌中に納まりました。
両親と弟に虐げられる日々の瞬ですが
孝・悌をつくし、耕作に精を出すその姿に、
天も感じ入り象が耕作を鳥が除草を手伝います。
堯王の後を継いだ瞬は徳政に励みました。
唐夫人の姑の長孫夫人は歯がなく食事に不自由していましたが、唐夫人の授乳のお蔭で長生きし、
死の床では義理を重んじた唐夫人の孝心を讃え、
また感謝もしました。
(↑9:41)
一通り参拝し
続いていざ奥宮
🔻2023年8月秩父三社めぐり旅