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〒410-2122
静岡県伊豆の国市寺家1204−1
由緒
守山八幡宮祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと):
誉田別命(応神天皇)の神霊が八幡神。武運の神
大山祗命 (3おやまつみのみこと):
イザナギ・イザナミの子。山の神、田の神
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと):
大山祇命の娘。水の神、水の神、妻の守護神、安産の神、子育ての神
守山八幡宮略歷
649年 大山 神 南江間の大男山(雑徳山)山頂に降臨する。
いわと
石徳高神社として祀る。
793年守山山腹に社設建て、若福高神社を分配する。
907年 八幡神を豊前国宇佐八幡宮より勧請する。
まきやまとまろよしの
藤原朝臣槇倭麿吉信氏が初代宮司となる。
以降宮司は累代 氏が務める。
927年 遊喜式補名旅(官社一路)1C石德高神社 記械忘机了。
1029年 甲斐守源 頼 信、前上総介平忠常追討祈願で社殿を造営した。
1070年頃 伊予守源 頼 義、奥州征伐祈願のため社殿を修復した。
みなもとのよりとも
1195年 源頼朝、、6間四面の社殿を造営、末社 16社・社人16人を
寄進した。
あしかがまさとも
1457年 堀越公方足利政知、八幡宮に参詣、山名を守山と改め崇敬した。
ないとうのぶなり
1597年 韮山城主備前守内藤信成、社殿を造営した。
1632年 能山東照宮祭主原知肉記安、本殿を3問四面に造営した。
1934年 三番興奉納のため、舞殿を造営した。
現在の本殿は1632年久能山東照宮祭主榊原照久が造営したものである。
出典:『増訂豆州志稿』『韮山町の神社(韮山町史別篇資料集三)』
『田方神社誌』
創建
649年
御祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
=第15代応神天皇の神霊