講師:福岡高等盲学校 河野昇平先生
河野先生は高校3年生の時実験中の事故で失明されました。
しかしその後も夢をあきらめることなく、点字で大学受験に望むなど幾多の多難を乗り越え
現在にいたる。
まだ風邪が完全に治っておらず、この講演会に行くか迷っていたが・・・
盲目の先生のお話だってことで、きっといいお話(苦労話)が聴けるだろうと思って結局行きました。
先生は杖を持ち、講師席に立ったままでお話をされた。
目の見えない人は何もできないのではないだろうか?
そう思うことは偏見です。
私もそう思っていた。
壇上にペットボトルの水とコップとおしぼりが置いてあった。
見た瞬間にコップで飲ませるよりペットボトルを直接飲んだ方がいいんじゃない?
それともコップに水を汲んでいてあげればいいのに。と私は思った。
係りの人が気を使ってペットボトルの蓋を開けてくれていた。
でもそれは、先生に言わせりゃ余計なお世話。
そんなこと、できるのが当たり前なのである。
先生曰く、視覚障害者でも何でもできる。できないことはない。
普通に生活ができるし、先生はご結婚もされ、子どもも2人いる。
それまで誰もいなかった(九州では)大学受験をすることもできた。
もちろん多難な苦労はあった。
先生は、普通の(障害者施設のない)予備校に通い5年間、浪人をしたが大学に合格したそうだ。
教師になる夢をあきらめなかった。
予備校時代に困ったのがテキスト。
その当時は点字のテキストがありませんでした。
そこでボランティアの方に点訳をしていただいたそうです。
恵まれた環境に感謝です。
すごいなと思ったのは
目の見えない人は、目では読めない(覚えられない)ので耳で聞いたことは記憶している。
私たちは、書いてあるものは後で確認ができるから注意力を持って聞かない。だから記憶力もない。
なるほど・・・と思った。
こうやって講演会で聴いていることも手帳にメモっている自分。
後でこういう話があった・・というのはそのメモを見ないと思い出せない。
メモを見ても所々しか書いてないので数日も経てば忘れてしまう。
視覚障害者はすごい注意力、集中力を持っていると思う。
いや、持っているのではなく備わってくるものなんだろうな。
それも努力の積み重ねなんだろうけど。
電車やバスに目の不自由な人・・には席を譲りましょうと書いてある。
視覚障害者は元々、見えないのが当たり前。
だからその人たちにとっては全く不自由なことではない。
私たちは目が見える。それが当たり前。
だから私たちにとっては目の見えないことが不自由なのである。
例えば、目をケガしたり眼帯をしたり・・それが不自由なのである。
学校などでアイマスク体験などがある。
たった1日で視覚障害者の人になったつもりになるのはムリである。
それこそ、目の不自由な人。見えなくて怖いのが当たり前。普段は見えているのだから。
これは間違っていると先生はおっしゃっていた。確かにそうだ。
私たちは「視覚障害者」を「目の不自由な人」と勘違いしているんだなと感じた。
視覚障害者は目が見えないのが当たり前なのである。よく耳にするが「個性」なのである。
驚いたことに先生は最後にピアノを弾きながら歌を歌ってくれました。
井上 陽水・SMAP・・・
歌声も素晴らしかった。
講演会を聴いて障がい者に対する見方が変わったし、
「ピンチとチャンス」は隣り合わせているというプラス思考な考えを教えていただいた。
心に残った講演会でした
