京都にもどってきました。別世界でした。


研究室のみなさんに会いました。


あたたかい言葉にはげまされ、


こちらの変わらない生活に面喰いました。


安堵のような、置いてかれたような、置いてきてしまったような、


とても複雑な感情がこみ上げ泣いてしまいました。




これから、いやでもこちらの通常の生活に戻ります。




非常事態。この2週間、私の世界では


予想外のできごとが本当にたくさん起きています。


まわりの、温かい言葉にも、ふつうの言葉にも、厳しい言葉にも、


感情がコントロールできず、ちゃんと反応できているかわかりません。


だめだ。


も少しだけ、こっちで「非常時だ」という免罪符を使わせてもらいます。




でも、涙が出たってことは、ほっとできたことでもあるから、


このあとは、どんな形であれ日本の役にたてるように


自分のできることを、また精一杯やっていこう。


明日は節目の式があります。


これからまた、こっちの世界で生きるぞ。ふんばれ自分。

今日は、地震以来はじめてまともに街にでてきました。


自分の中で止まっていた時間がなんとなく動き出した気がしました。


雪がこんもり積もってた。


ガソリンスタンドに車が並んでた。100台はくだらない。


お店は思った以上、半分くらい?は開いてたけど、


節電してて薄暗くて、品物もかなり欠けてて。


やっぱり先週までの街とは違うと実感した。


用足しついでに県庁に募金をしようと行ってみたら、


駐車場が自衛隊の車両で満車になってた。


非常事態だってこと、あらためて気づかされた。


あんなにも県庁界隈が頼もしく神聖な場所に感じたことはないくらい。




非常時だからか、単に平素の休みボケがたたったか、


重要な手続きをしはぐっていたことに気付いた。


あわてて係に電話して事情を話したらあたたかく対応していただいた。


書き損じをしないようにと最大限の集中をして書類を書いたのに


でっかい書き損じをやらかしてしまい、


自分の不安定な精神状態に苦笑した。(これは普段からかも)




あるプロジェクトの合格の知らせが届いた。


あわてて無いやる気をだして別のプロジェクトの企画を書き、


上に見せたら、秒速で赤のびっしり入ったメールが返ってきた。




もう、「地震の被災地(に縁のある)のひと」というステータスは


返上しなきゃ。


外に出てみたら、やっぱり地震のでっかい爪痕はあって、


でもそれに負けまいと前に向かってがしがしがんばってる人たちがいて、


正直、街を歩いてる間じゅう、涙をこらえるのに必死だった。




家に帰ってきたら、陸の孤島で働いてる母からハガキが届いてた。


まだライフラインも満足に復旧してないのに、私や姉の身を案じていた。


朝やっと電話がつながった父も、


「こっちはおばちゃんたちと一緒に悲壮感なくやってたから、



そっちもがんばれ」って。




なまじっか、ほかの場所よりライフラインが早く復旧した場所に一人いて


テレビやネットで地震の情報を見すぎたせいで、


リアルを勝手にドラマにしちゃってたのかもしれない。




今日からやっと西への交通も開けて、西に戻るチケットも手に入れた。


起きてしまったことを悔やんでも何も始まらないから、


私も、自分の現実に戻ろうと思う。

さっき、NHKのニュースで、自衛隊、消防、救助隊によって


助けられた人が約2万6000人いると放送されました。


毎日、増えていく犠牲者の方の数に胸を痛めていましたが、


一方で、救助隊のみなさんの懸命な力によって、


多くの方が助かったということを知りました。


私はいま、ちょうど岩手に帰省中で、内陸にいます。


故郷の沿岸部を襲った災害に、


私も飛んで行って何かの助けになりたいのですが、


いまは、交通も遮断され、素人ボランティアができることもほとんどなく、


電気も水道もガスも、ネットも携帯も使える家で、


事の成り行きを見守ることしかできません。


この寒いなか、身の危険も顧みず救助に尽力されている方々、


避難所、病院で働いている方々、感謝の気持ちでいっぱいです。


体に気を付けて、どうかよろしくお願いします。


私も、節電、節水、節食、募金。自分にできることから始めたいと思います。


どうか、ひとりでも多くの方の命が救われますように。


そして、どうか、私の大好きな岩手、そして東北が、


もとの美しい姿を取り戻せますように。