たまたま、親の介護をされている方のブログに出会い、
私は、介護に関してはほとんど人任せだったので
足元どころか、足の爪にさえ及ばないけど、
読みながら、親の事を思い出していました。
うまくまとめられるかわからないけど・・
回想して
記録として残すことにしました
【2019年 88歳で亡くなった認知症だった母】
母の異変に気が付いたのは
2009年 78歳
同じ事を繰り返し言う。それも病的と感じるほど。
骨折で3ヶ月の入院後、更にボケてくる。あるあるだけど。
頑固がひどくなって人の話が聞けなくなってきた。
まだ『まとも』と思っていた私は
ある話し合いから大喧嘩して、その後しばらく距離を置いていた。
2011年 80歳
母との会話で不審に思った姉が推して
5月に物忘れ外来受診した。(姉が同行)
『認知症』診断される。アルツハイマーと梗塞の後?の混合型と言われた。
委縮は進んでいて、すでに中等度とのこと 投薬開始となった。
その後、6月末に実家に行った時のこと
実は母は車の運転が大好きで、
運転する事が誇りでもあり、
よく宗教関係の知人を乗せてお参りに出かけていた。
その方達から聞いた言葉・・
お母さんの運転が激しくなってるよ。国道でも空いていたら120㌔以上出すのよ。
駐車スペースの注意をされても理解できていないみたい。
ひぇーっっマジですか
怖い思いをさせて申し訳ありませんでした
話の通り、
母の運転で買い物に行った時
その時の運転が恐ろしすぎた
直前にちょっとイラッとさせてしまった事が原因だけど
急発進急ブレーキ更に曲がるのも激しく身体が左右にブンブン
ジェットコースターどころでない恐怖を感じ、一瞬 死を覚悟・・
『ゆっくり』ができない
無事に店に着いた時に手足の震えが止まらなかったのを覚えてる。
その帰りは運転させなかった。私がムリ
私にとって、これが母運転の車に乗った最後となった。
この頃はまだ普通に話はできていた。
けど、こっちの話は全く聞く耳がない感じ。
受診して相談したところ、
主治医から今後は車の運転は禁止ですと紙に書いて渡されたけど
『運転はやめれない。車が大好きだし道おぼえてるし、みんなを乗せてあげなくちゃ』
と理解できない母。
先生に乗らないように言われたし、今度は逆に乗せてもらえばいいじゃん
と言っても
『そんなワケにはいかん私は運転が大好きなんだから。ムキーッ』
と鬼の形相・・
車をやめようという説得なんて
全然ムリ 誰にもできない
医者が言ってもダメ
友人、親戚、誰が説得してもダメ
宗教がらみの尊敬してる偉い方にお願いして説得してもらってもダメ
免許センターの方の説得もダメ
警察で相談してきて・・と行かせた時、
警官の方が数人がかりで説得したみたいだけどダメ
説得なんてムリ だって病気(認知症)だもん。
説得すればするほどヒートアップする母
4日間ほどの滞在中
話を聞いたり、調べたり、考えた結果、
物理的に無くすのが一番と結論を出した私。
父は50ccバイク免許のみで自動車免許がなく、
車の運転は母のみだった。
田舎なので
不便になることはもちろんわかっていたけど
わかっていたけど、わかっていたんだけど、
あんな、世にも恐ろしい激しい危険な運転をする母
事故を起こしても、自爆なら全く構わないけど・・
他人を巻き込んでの事故してしまったら手遅れ。
このままにしておくことはできない絶対
てか、
この運転で事故がなかったことが奇跡と思った
かなり強引ではあるけど
母が長風呂に入っている間にこっそりと車を処分した。私が。
実は姉はまだもう少し位、大丈夫なんでないと思っていたらしいケドね(笑)
母はもちろん、すごく怒り狂った
私がやった事と理解もしてる
この時は、死ぬまで『車をとりあげた憎い娘』と思われるんだろーなーと覚悟した(笑)
車の取引業者の方にも
病気で乗ってはいけないと医者に言われている事を説明し
取り返しに来ても渡さないようお願いした。
やるだけの事をして
申し訳ないけど、後は温厚な父に任せて帰宅した悪〜い娘なのでした
じーちゃん、ごめんよーっっ