偏愛さんの自己受容までの道のりと、
部屋の片付けは似てる。
長文なので先に共通点を挙げると
《 自分の選択に納得できるか 》
なんだと思う。
ここ半年近く「偏愛」投稿ネタを
SNSやメルマガ紹介することが増えてきました
それには理由がありましてね。
自分のことを
偏愛でオタクなんだと改めて認めたら
スルスル解けたことがあったのですよ。
正当化とか、言い分(いいぶん)クドさとか、
言い回しの面倒さとか、奇妙な人見知りとか、
無自覚に上から目線な傲慢さとか、
『どうせ分かってもらえない』
偏愛さん特有で
私の場合は幼少期の反動なのかもな、と。
思えば、ずっと心の奥でくすぶっていたんですよ
「わたしの方が面白いのに、
こっちのほうが面白いのに
なんでみんな分かってくれないの」
って憤まんが。幼少期の頃から。
周りと仲良くしなきゃダメなんだと思っていたから
(孤立するのもダメだと思ってる)
仕方ないから皆の遊びに合わせて、
しょうがないから楽しいふりをして、
けど、楽しく無いのがバレたら怒られるから
気が抜けなくて。
いつになったら私の番が来るのかなーって
待つけど、やってこない。
"どうやったら皆に面白さが分かるのか!"
興味のない相手に
自分の遊び方を必死に説得するも興味持たれず
また「分かってもらえない」と拗ねて
私が注目される場がなくて憤ってて
そのうち
「自分が注目されたいなんて発想も浅ましい!!」と
フツーのフリをしてみてて。
「どーせ、こんな私なんて
お呼びじゃないですよねー」
と
フツーであることに興味も無いのに
「皆、フツーじゃないと受け入れてくれないんでしょっ」
って
フツーなフリをすることが不本意で
まだ拗らす。
今度は
受け入れてもらうために
フツーじゃないことがバレないように
フツーという隠れ蓑からはみ出ないように必死になり
心を無にして
さらに拗らせる…
と、なると今度は
「みんなと違って個性的だね」と言われると
「私がフツーじゃないってことですか!?」と憤る。
(フツーが嫌とか言ってたくせに)
大混乱やん私の中身。
内観を続けるなかで気づきが深まり
どうやらフツーなんて無いらしい
↓
みんなそれぞれの個性があるよね
↓
わたしがフツーで無くても嫌われないみたい
↓
だってわたし偏愛だもんね
↓
そっか偏愛だもんね
共感ポイント狭いんだもんね
そりゃ、
遊び方が皆んなと違うはずだわ
↓
遊び方が同じ人を探しに行ってこよーっと
↓
おーい!これ面白いと思う人いますかー?
↓
あ!あっちに居た!
…
と、繰り返して
偏愛な自分を隠さず受け入れあことで
自分の本心とのズレもなくなり
自分の選択に「納得感」が増したワケです。
家の中も
「こんなの持ってたらフツーじゃないから
捨てなきゃ、隠さなきゃ」
「みんなアレ使ってるから私も持たなくちゃ」
と、
周りに受け入れてもらうために
捨てたり買ったりしなくていいワケですよ。
(そうやって捨てたものは後悔するし
そうやって買ったものは扱いが雑で散らかる)
もしも、
「え?自分にも心当たりあるかも」
「もしかして、わたしも偏愛ってこと!?」
(収集癖とかコレクターとかマニアックとか)
わたしのところに話にいらして
きっと
愉快痛快⭐︎偏愛トークからの自己認識⭐︎
楽しい時間になるはずよ
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