大家好!

中国語のますみんです。

漢詩のお部屋にようこそ。

 

今日は杜牧の作品のなかでも、ちょっと珍しい『遣懐』という

作品をご紹介しますね。

 

杜牧は晩唐を代表する詩人で、『江南の春』という詩が有名なため、

日本でもお馴染みの詩人です。『唐詩選』には一首も載っていないものの、

『唐詩三百首』では高く評価されて、たくさんの詩が収められています。

 

今の陝西省西安市出身で、祖父は『通典』という

歴史書の編者という知識人家庭に育ち、

24歳という若さで科挙の進士に及第します。

今でいういいところのおぼっちゃまで、

歳若くしてエリート官僚になりました。

 

剛直な性格で『阿房宮賦(あぼうきゅうふ)』を作って敬宗をいさめたり、

『孫子』の注を書くなど兵法にも関心を持つお役人というイメージの一方、

傾きかけた唐王朝の退勢挽回を図るも、努力が実らないまま

妓楼に遊んだことでも有名だそうです。

 

詩文集『樊川文集』(20巻)もあり、唐詩三百首でも高く評価されて

たくさんの詩が収められていますが、数え年50歳という若さで亡くなっています。

 

大変雄主な人ですから、もう少し長生きすれば立派なお役人になって、

詞や文章もたくさん残したかもしれません。

彼の生きた時代、唐王朝は下り坂になっていたとはいえ、亡くなったのは、

唐王朝が滅亡した907年の約50年前の852年のことでもありましたし。

 

さて、今回の詩『懐を遣る』は、短い杜牧の人生において

10年前に揚州で過ごした頃を思い出し、その頃に想いを馳せて作った詩です。

 

※写真は揚州痩西湖中国庭園

 

杜牧が31、2歳の頃、都を離れて、淮南地の悪名高い節度使の

書記になっていた時期がありました。

その頃妓楼で多くの女性たちと交流があったそうで、

ここから杜牧はモテモテの色男だったということで、

芝居や小説にもなったそうです。

 

中国語では“詩酒風流”と言えば、遊び人の代名詞です。

そんな、杜牧の回顧録的な詩の内容を見てみましょう。

 

 

遣怀(qiǎnhuái)  

 

杜牧(dùmù)

(luò)()(jiāng)()(zǎi)(jiǔ)(xíng)

楚腰纤细掌中轻(chǔyāoxiānxìzhǎngzhōngqīng)

(shí)(nián)()(jué)(yáng)(zhōu)(mèng)

(yíng)()(qīng)(lóu)(báo)(xìng)(míng)

 

落魄(らくはく)江湖(こうこ)に酒を載せて行く

()(よう)繊細(せんさい)にして掌中に(かろ)

十年(じゅうねん)(ひと)たび()む揚州の夢

()ち得たり青楼(せいろう)薄倖(はくこう)の名

 

落魄とは落ちぶれて、とか自分勝手に、という意味で、

江湖は世間一般という意味もありますが、ここでは、

長江あたりの水郷を指しているようです。揚州は運河も有名です。

船で酒盛りをしつつ運河であちこちにフラフラした様子が浮かんできます。

 

 

第二句は典故です。楚腰という言葉は、かつて楚の国の霊王という

女遊びで国を滅ぼした王様が腰の細い女性が好きだったことから、

後宮の女性たちにダイエットが流行り、ダイエットのしすぎで

飢え死にしたこともあった、という故事がこの楚腰に込められています。

 

繊細とは感受性のことではなく、肌がきめ細かいことを意味します。

そして、「掌中に軽し」とは掌の上で舞を舞ったという伝説を持つ

超飛燕のことで、小柄で腰の細い女性を指しています。

つまり、杜牧もこういう美女達と遊んだということなのでしょう。

しかし、十年前を振り返ってみると、まるで揚州の夢のようで、

結局獲得したものといえば“妓楼の女泣かせ”という名だけだったな、という内容です。

 

※趙 飛燕(ちょう ひえん)前漢成帝の皇后。

 

かわい子ちゃんがいっぱいいて楽しかったな、ということでしょうね。

半分反省、半分自慢とも取れますね。

 

 

杜牧といえば、日本の高校の教科書に載っている

「江南春」や「清明」のイメージだけだったので、

“詩酒風流”という一面もあったのか、と初めて知りました。

 

「風流」とは日本語のイメージと違い、中国語では“遊び人”と言う意味です。

 

人間誰しもライトサイドとダークサイドがあるものです。

自分のダークな一面を正直に詩に残している杜牧に、

なんだかより一層魅力を感じています。