大家好!

中国語のますみんです。

 

今日は、昨年末に私は50年間続いたECCの最後の弁論大会に参加させて

いただいたのですが、とても感動したので皆さんにもお話を聞いてもらいたく

これを書いています。

 

なぜ英語の弁論大会に行ったかというと、審査員長の田崎清忠先生に

「語学の先生でもある花岡さんにも見て欲しい」とお声がけ下さったのと

私自身が中国語の弁論大会を主催してみたいという夢があるからです。

 

※田崎清忠先生は元NHKテレビ英語講師・横浜国立大学名誉教授

田崎先生のオフィシャルサイトはこちらです。

 

さて、コロナ禍で2度の延期を経て開催された大会は

入場人数が制限された会場ではありましたが、

本当に立派にしつらえてありました。

高校生と大学生のスピーチのレベルは

全員帰国子女化と思うほど素晴らしいもので

この50年日本人全体の英語力が確実にアップ

してきたことを感じました。

 

 

私は、日曜日夜のクラスがあり、最後の最後の

田崎先生のスピーチの前に会場を去らなくてはいけませんでした。

 

これは、田崎先生が当日のスピーチ内容を有難いことに

「花岡さんのために書いたようなもの」とエッセイに書いてくださった原稿です。

 

田崎先生のご厚意で自由にご利用くださいと

お許しを頂きましたので、一部をここでシェアさせていただきたいと思います。

 

少し長いですが、ここからが田崎先生の感動的なエッセイです。

読んでいただけると嬉しいです。

 

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あるスピーチ

 

 This is a representation of the mini-speech delivered on December 12, 2021

 at the All-Japan Youth English Oratorical Contest for the Mayor of Honolulu Trophy.

 (これは、2021年12月12日ホノルル市長杯全日本青少年英語弁論大会で行われた

  ミニ・スピーチを再現したものです)

 

中略

 

本年はホノルル市長杯全日本青少年英語弁論大会第50回であり最終回でもあるので、

半世紀前この大会がどのような経緯で発足したのか思い出を語りたいと思います。

 

 The whole story began with a phone call to me from Osaka.

 (話は、大阪からかかった1本の電話から始まります)

 

 というわけで、あるとき大阪から電話がかかってきました。

 「私は大阪で小さな英語塾を開いている山口と申します。

実は、先生にご相談とお願いがありまして・・・」

 

私はその人からさらに話を聞く前に、彼の話をさえぎって、

 「済みません。お話を全部うかがわなくても、ほぼ内容は分かります。

私は横浜国立大学の教員で『国家公務員』です。それにNHKの番組を担当しており、

NHKは公共放送です。なので、私企業の商売に関するお手伝いは立場上出来ないのです」

似たような内容の電話や手紙がよく来るので、同じ返事をすることにしていたのでした。

 

 「そうですか。わかりました」

と彼は残念そうな声で電話を切りました。

 

 2・3年後、山口と称する人からまた電話。

「塾から得た収入で、大阪周辺の留学生のためにクリスマスパーテイをしてやりたい。

日本中が楽しそうにしているこの時期、遠く故郷を離れて寂しくしている留学生を元気にしてやりたい。

ついては、先生においでいただけないだろうか」という内容でした。

 

今度は「金儲けの話」ではありません。喜んで承諾しました。

丁度そのとき、NHKテレビ英語会話の特別番組として

”Between Two Mondays”(月曜日から次の月曜日までの1週間)というドラマを制作中で、

私は京都の東寺でロケーション中と分かりました。

 

夕方ロケが終わると、顔のドーラン(ロケ用の化粧)を落とす時間も惜しんでタクシーに乗り、

大阪の会場に向かいました。その時初めて会った山口さんは、明るく心の優しい青年でした。

 また数年か経ちました。

 

 「大阪の山口です。仕事が成功して、ECCという名前の会社を作りました。

今度は英語弁論大会をやりたいのです。高円宮杯は中学校が対象ですので、

私は高校生と大学生の大会を考えました。『ホノルル市長杯』と名付け、

優勝者がハワイ大学で語学研修を受けられるように、East-West Centerから了承も得ました。

ホノルル市長にお会いして、応援しようというお言葉も頂きました。

そこで先生にぜひ審査委員長になっていただきたいのです」

全国スケールの弁論大会を開催することがいかにたいへんか、

山口さんはそれを理解しているのか・・・

私は高円宮杯弁論大会に読売新聞やコカコーラが支出している経費を例に

あげて説明しました。

 

山口さんの返事は、 「いったん開始したら、50年は続けます。

先生、お約束です。50年間審査委員長をお願いします」

このときの山口さんは、たしかまだ20歳台だったと思います。

信じられないほどの勇気と決断に驚き、そしてこうべを垂れました。

 

山口さんが弁論大会に合わせて実施した社会貢献活動があります。

アフリカのザンビアを支援するために、日本ザンビア友好協会を設立して

毎年様々なサポートを継続。時には自転車100台を贈ったり、学校の施設拡充支援をしました。

それだけではなく、寄付による支援の幅は広がり、「地球救済キャンペーン」という名で、ユニセフ、

広島市原爆被害者の会、緑の地球防衛基金などに加え、大学医学部における

難病解決のための研究支援金まで毎年のようにECCは寄付を続けました。

 

 突然悲劇が山口さんを襲いました。

当時100万人にひとりともいわれた難病多発性骨髄腫にかかったのです。

いままで支援を受けてきた医学部の先生たちは、恩返しのために、

あらゆる手を尽くしました。

そして今から28年前、1993年3月10日、この類い稀な英雄は息を引き取られました。

当年52歳の若さでした。

 

 山口さんが逝去なさったあとは、弟さんの勝美氏がECC社長を引き継ぎ、

お兄様の遺志を継いで、このホノルル市長杯弁論大会を続けてこられました。

 

本日記念すべき第50回の最終大会を迎えるにあたって、

ぜひ皆様に故山口勇氏の偉業を称え、

それを支えてこられたECCのご努力をご紹介すべきと考えてその時間を

ご用意いただいた次第です。

 

 

 Thank you for sharing with me the background history of All-Japan Youth 

English Oratorical Contest for the Mayor of Honolulu 

Trophy initiated by the late Mr. Isamu Yamaguchi.

 

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会社設立と弁論大会にこのような

感動的なドラマがあったとは、

読んで胸いっぱいになりました。

 

情熱あるたった一人の存在、

そして情熱の掛け算はこのような

大展開の奇蹟を起こすものなのですね。

山口先生と田崎先生のやり取りは何だか映画にもなりそう、と思いました。

 

これを読んで、今の大きなECCの創業者が

かつては一人の情熱ある小さな英語塾を開いていた
山口先生だったことにとても勇気をもらいました。

 

そして、ごくごく小規模ながら、私も中国語弁論大会を
スタートさせたいと思っています。

 

田崎清忠先生は91歳をこえても尚毎日、3,4通以上メンバーにメールを配信し
話されるとどこまで冗談かわからずユーモアたっぷりで、
メッセージを送りますと、即お返事を書いてくださいます。

 

田崎清忠先生のオフィシャルサイトはこちらです。

 

さて、ECCの弁論大会に参加し、長年にわたる寄付活動のことも知り

当日はECCの社長様、会長様にもお会いしてご挨拶させいただきました。

 

会長様には後日手紙を書き、寄付金を同封して現金書留でお送りしたところ

ご丁寧なお返事を頂きました。

 

本当に素晴らしい体験をさせていただいた感謝を込めて、

このブログを読んでくださる方にもシェアさせていただきました。

 

最後までお読みいただき、本当に有難うございましたピンクハート

 

 

写真は弁論大会前夜に田崎先生を囲んでの夕食会

ホテルニューオータニ大阪 中国料理「大観苑」の入り口にかけられていた書です。