本当に暑い日が続きますが…皆様体調はいかがでしょうか?無理をしすぎないことも重要だと思います。

学習が本格化する夏。第三者から見ていた時に感じていた熱量は…親>子でした。塾漬けではあるものの、学校の時期より我が子と接する機会が多くなる夏だからこそ伝えておきたいことがあります。

 

加熱しすぎないことです。

 

『先生、うちの子6年生なのに…』

『全然勉強しないんですがどうすれば…』とか。あるあるですよね。

 

 

中学受験をされた親御様

→現在のカリキュラムはかなり昔と違います。年々始まる学年は下がり学校も増えていますが問題は難化し、出題されている問題のレベルも高くなっています。参入している人数も違います。自分の時代の記憶を美化してお子様に無理な勉強を強要していませんか?塾で勉強して帰った我が子が家でダラダラしてる姿だけを見て厳しい言葉をかけていませんか?

 

中学受験をされていない親御様

→ご自分ならできましたか?自分が小学生の頃を思い出してください。自分ができないことを子供に強要していないですか?

学習している内容を見てください。算数の問題を解いてみて下さい。解けますか?子供たちが戦っているフィールドは我々が想像しているよりもかなり大変です。

 

ご兄弟と比べたりしていませんか?

 

すいません。ちょっと言葉が鋭いと思いますが、現役時代多かった相談の一つに親子の衝突がありました。中には手をあげている親御様がいたのも悲しいですが、事実です

中学受験は非常に意義のある受験だと私は思いますが、一方で中学受験をきっかけに親子関係が悪くなる姿をたくさん見てきました。どちらが正しいと定義することは難しいです。だからこそ折れてあげるのは大人だと思います。つまり譲歩して気持ちを理解してあげてほしいということです。

 

頑張りのレベルは個人差がありますが、子供たちは自分の物差しの中では頑張っているつもりです。まずはそこを認めてあげましょう。大人から見れば明らかに足りなくてもまずは褒めるところから。子供たちはお父さんお母さんに褒められることが何より嬉しいです。

 

さて、いよいよ歴史の内容に入りました。

ブログの進め方に関しては、以前の記事で詳しく書いていますのでそちらをご確認ください。

 

 

今回は古代の4つの時代をまとめてみました。

 

というのも、まだ人物が出てくる形の歴史ではないというのが大きいです。人物が出てこないということは…?政治に関しても内容が薄くどちらからというと生活の方法などがメインになります。そういった意味では今回扱う4つの時代は繋がりが非常に濃いといえます。

 

気候→食料→住居・道具→遺跡

 

上記のような軸で関連付けています。お話のように読んでいただければ幸いです。

※古墳時代に関しては政治史や外交史のようにしています。

 

まず、地球の気候です。旧石器時代は氷河期ということで大陸と氷河で陸続きでした。

大陸からマンモスナウマンゾウなどが日本にやってきて人々の食料となっていました。大型動物を狩猟するために先端の鋭利な刃物の役割を果たす打製石器を使用していました。黒曜石を高いところから落とし先端の尖ったものを木の枝などに括り付けて槍のように使用しました。大型の動物を相手にするということもあり人々は移動しながら生活をする必要がありました。そこで、洞窟にそのまま住む横穴式住居で暮らしました。

戦後まで旧石器時代が存在していないと考えられていた日本でしたが、民間の考古学者相沢忠洋によって岩宿遺跡が発見され旧石器時代が証明されました。

 

しかし、縄文時代になると気候は温暖になります。植物が育つようになり、木の実なども採集できるようになりました。また動物に関しても大きい動物はいなくなり、うさぎや鹿などが増えました。温暖になったことで動物の数も安定したので人々は竪穴式住居を築き定住を始めました。食料の変化は道具にも変化をもたらしました。木の実などを煮るために縄文土器が開発され、動きの速い小動物を捕獲するために石などを鋭利に尖らせて矢じりとして利用し弓矢などで猟を行いました。人々の定住の根拠となる遺跡として三内丸山遺跡を筆頭に北海道・北東北の縄文遺跡群と世界遺産に登録されています。

 

 

縄文時代の後期になると…地球は再び寒冷化を始めました。食糧難に陥った人々は自ら食料を作り始めます。

弥生時代は…稲作の時代です。

狩猟や採集の時代は食べ物のために移動していましたが、大陸から伝わってきた稲作の発展は定住を促進しました。

 

石包丁弥生土器などの道具の発展や定住している位置の違いにより、収穫高に差が生じ、金属器などを用いて豊作を祈る祭器なども用いられました。一方、収穫高による貧富の差が村ごとにあらわれるようになり争いが始まりました。

争いから村を守るために集落の周囲に濠を作ったり、攻めてきた敵を視認するために物見やぐらなども築かれました。

 

環濠集落と呼ばれる防御の固い集落の代表的な遺跡として吉野ケ里遺跡や土器が弥生土器が多く出土した登呂遺跡などがあります。

 

さて、そういった形で争いが行われ勝利をした村の長たちは自らの権力を誇示し始めます。

古墳時代の到来です。生前の権力の大きさを表現するために巨大な古墳や装飾品として埴輪などを大量に作成させました。

 

力をつけた人々たちを豪族と呼び、その中から頂点に君臨をした人を大王と呼び、ヤマト政権が力をつけていくことになります。ヤマト政権は現在の奈良県や大阪府を流れる大和川付近に発達をしたところから名付けられたと言われています。

 

大王の政治は少しずつ安定を見せてきたこともあり、自らの権力を古墳などで表現するほか…海外の王朝に遣いを送り権力を認めさせる動きなどもありました。海外との結びつきということで、朝鮮半島の伽耶諸国百済とは鉄資源の確保ということで一定の外交関係があり、朝鮮半島からは渡来人などが訪れ日本に様々な道具や文化を伝承しました。

 

ちなみに…赤が最重要。青が重要!ぐらいのテンションで色を分けています。

地理編では…コラム的な感じだったので終わりが分かりやすかったですが…

歴史編も巻末コーナーを何かしら考えてみます。次回は飛鳥・奈良時代について書いてみたいと思います。