【Book Review】機械翻訳と未来社会 -言語の壁はなくなるのか (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2019/7/12
瀧田 寧 (著, 編集), 西島 佑 (著, 編集), 羽成 拓史 (著), 瀬上 和典 (著)
いまさらながら、入手してざっと読みました。以前に、じっくり読んだことのある論文も含まれていたような・・
ざっくりと感想です。
序章:機械翻訳をめぐる議論の歴史
論点はまとまっていて良い。いわゆる「フレームの問題」が、第3次AIブームでは、そのまま当てはまらない。なぜなら、今のAIは間違えながら学習を続けているから。人間だって完璧にフレームの問題を対処しているわけではない。一見対立するような意見をAIに対して述べる東大特任の松尾さんとNIIの新井さんも、根底では、今のAIでは、データが蓄積されれば、ある程度、フレームの問題を克服できると考えていることを示唆する。では、「ある程度」以上は超えられず、そしてあとに残る問題は何かと言えば、それは、我々が「言語・ことば」とは何かについて、わかっていないことがあること、に尽きるということである。そのように問題提起で本章は終了する。
悪くないし、学ぶこともあった。が、これ以上議論が深まらない理由は、繰り返すが、我々がこの問題について語る「言葉」を持っていないからにほかならない。
第1章:機械翻訳とポライトネス
話は興味深いが、「ポライトネス理論」のみで機械翻訳(というか翻訳全体の問題)を網羅できないのは自明だろう。MTの原理がわかれば、どの語用論を用いてもMT批判は可能である。それよりも実際に、MTにポライトネスの問題を解決するアルゴリズムを実装しみたら面白いと思う。しかしながら、ここでの分析は、そのようには、なされていない。
第2章:機械翻訳の限界と人間による翻訳の可能性
第3章:機械翻訳は言語帝国主義を終わらせられるのか?
スマートかつ網羅的に文献レビューがされているので、この手の問題を議論する前には、一読しておくべき内容であると思った。2章では、翻訳学の文献をも射程にしている。3章は、サピア・ウォーフの仮説の強いバージョンが前景化しすぎて、そもそも翻訳不可能性を支持しているようで、あまり機械翻訳そのものの問題を論じていないように思われた。今日、議論される「翻訳の困難さ」の根本的な問題を捉えてはいた。
おわりに
一文を引用する。この態度には、合意する。
・・・機械翻訳を、コミュニケーションのほんの入口と捉えたうえで、その先に語学以外の手段も使った共同作業や共同生活の機械が増えることを期待したいのである。・・・語学ができないことを理由に、異文化との交流を、いわば食わず嫌いになることが減るだけでなく、異文化の、まさにわかり合えない部分については、それを率直に認め合い尊重し合う姿勢もはぐくまれていくのではないか、と思われる(p. 220)
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ということでした。
これから「with MT」という社会に突入する。そのまえに、申し訳ないけど、上から目線で語らせてもえば、この手の問題、すなわち「MTは人手翻訳を越えられるのか?」的な議論が、好き勝手語られている中では、とても良い書であると思いました。しかしながら、本書の問題ではなく、世界の問題として、こういった問題を語るための「言葉の解像度が低い」という、それ自体の問題に直面することをまず、我々が自覚しなければならないこと(同書でも、それは意識されている)、そして、我々はその限界点を超えていないーー越えようといしていないーー点をも自覚しなければならない。
そう思うと、手前味噌であるし、余談ではあるが(いや、謙遜はしているが、本気で思っているのは事実として)、いま筆者らが(翻訳研究者として)取り組んでいる研究プロジェクトでは、「言葉の解像度が低い」という問題に真正面から体当たりしているわけであるので、いま「わかること」だけを根拠に、AI批判をしてあたかも分かった(勝った)フリをしてしまうことは、一番危険な態度であるということだけは、ここで警告しておきたい。研究プロジェクト「翻訳規範とコンピテンスの可操作化を通した翻訳プロセス・モデルと統合環境の構築」の詳細は、以下を参照。



