ごきげんよう、マリアです。

 

 

 

 

情報を笠に着た意見の応酬が

止まらない昨今ですが。

 

それはそれを自ら

担って下さっている方々に

お任せするとして。

 

 

 

 

 

 

対立した時

相手が気に入らない時

攻撃されたり

主張が理解されないと感じ

誰かに腹を立てている時

 

 

私たちは、

自分の心の奥底にある傷を釘でなぞり、

恐れという痛みに力を与えている。

 

やはり自分は罪深い存在なのだと

自分を罰している。

 

そして相手もまた

同じように内なる自分に

さらなる残虐な痛みを与えている。

 

 

 

双方マゾ、的な。

誰得ですか、的な。

 

 

 

 

■絶賛募集中!!

 

 

 

私たちは概ね全員

自分は罪人だと思って生きている。

 

愛に値しない存在である、という罪。

 

 

 

故に罰を与え続ける。

 

自分が自分でいて良いと思ってはいけない、という罰。

自分を愛してはいけない、という罰。

 

 

 

この上に幾重にも

観念信念解釈を上塗りして

強固な「現実」と思わしきものを

各々自由に創ってる。

 

 

 

でもこれはすべて

私たちの思考の中で起きている

フィクション。

 

思考に引きずられて

マインドが痛みを感じ

 

痛みを感じたマインドによって

思考はさらにそのフィクションを

現実として認識していく。

 

 

そもそも誰にも罪などないのに。

 

 

 

 

誰かと対立したり

責めたくなったり

攻撃されたり、仕返したり

 

そのようなことに

ハマっている時、私たちは、

 

誤りを糾弾することで

誤りが悪である世界を創造し

自らをそこに住まわせる。

 

正しさを語る時もまた

自らをその裁きの世界に縫いつける。

 

自分は罪人ではないと叫ぶほどに

恐れという処罰を受け続け、

自らを罪人たらしめる分裂した状態。

 

 

 

私たちはいつも

多かれ少なかれ、このようなことを

繰り返して生きている。

 

1日の内に何度、

私たちは恐れからの選択をしているだろう。

 

たとえそれは一見正義のようであっても

結局のところ、結局のところ

 

その奥底にある意図は

自分を傷つけ罰しなければならないという

強迫観念だ。

 

 

 

 

終わらせる方法は、

相手を赦すこと。

 

 

自分を脅かす者の恐れを

認め受け入れること。

 

場合によってはそれを

我が事として共に見つめること。

 

対岸に立たず、横に座ること。

 

 

攻撃者ではなく、

自分と同じように怯え、

助けを必要としている同胞として、

 

相手が必要とするなら横に座る。

 

必要とされないなら

黙って相手の目覚めを祈る。

 

それだけだ。

 

それは自分を罪から解放すること

赦す事、愛することと同意だから。

 

 

 

 

 

が、これはとっても難しい(笑)

 

 

偶然すれ違った相手に

いきなり殴られたとして、

左ほほを差し出すとか?

 

全然無理w

少なくとも私には到底不可能。

 

 

 

でももしそれが夫なら?

子供なら、親なら、兄弟なら?

友達なら、知り合いなら?

 

 

違うかもしれない。

 

 

 

なぜならそれは、彼らが私に

そんなことをしたい人ではないと

信じているから。

 

私は彼らの善性を信じてる。

 

私は彼らが(相手が誰であれ)

愛したい存在だと知っている。

 

だから、いきなり殴ってくるなんて

何か事情が…つまり痛みや恐れが

あるからではないか、と考えることが出来る。

 

殴られたことより

殴った相手を心配できる。

 

 

普通のことだからこう書くのは

大げさでスーパー気恥ずかしいが、

 

つまりそれは相手を赦すことだし

愛することのひとつだろうと思う。

(そしてそうさせてくれる周囲のみんなに鬼感謝

 

 

そして同時にそれは

自分が愛されている、という

前提にたつことであり

 

例えば少なくとも私は

知人レベルまでそれを適用できるぐらいには

自分を、罪の概念から

解放出来ているのだと思う。

 

 

つまりだから

 

誰かを愛する(赦す)ことは

自分を愛する(赦す)こととイコールなのだ。

 

 

 

 

 

もちろんこれも一定ではない。

状況によって簡単に変化するだろう。

 

人は(いや、私は)弱いから。

 

 

でも

この繰り返しなのだ。

 

人生とは

幸せになるためでもなんでもなく

ただただ気づくための道のりだ。

 

気づいたら結果論として

恐れが消えるから静かになるだけで

 

で、その静けさが

幸福と捉えられるだけで、

人生は気づくためにある。

 

言い方変えれば

愛するためにあるのだ。

 

 

と、私は思う。

 

 

 

 

まぁ、むずい。

でも、楽しい。

 

 

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