ああああああああああああ。

もおおおおおおおおおお。

そーーーーーーーだよねーーーーーーーぇええええええ。

 

ここに書かれてること

死ぬほどわかる。

 

 

話の本質的に

まったく同じことを

私もここ数ヶ月、

ずっと自分に問われていて。

 

自分ではずっと

自分に従って

生きてきたつもりで

いたんだけど

 

実はそれは

全然、自分ではなくて

 

単なる自我で。

 

本質の私とは

まったくかけ離れた

ものだったということ。

 

自分を生きる、どころか

私はずっと

妄想の中に生きていて

 

私の人生など

そういう意味では

いまだにまったく

スタートしていない、ということ。

 

それから自分が

あまりにも自分を

ないがしろにし、

 

見くびって

生きていたという事実を

 

痛烈に突きつけられ。

 

お世話になっている

紫さんの言葉を借りると

ほんとうに

 

今までの私たちは

眠りながら生きていて

 

今やっと

目覚めの時を迎え

目覚めが始まった、

という感じで。

 

 

以来、この

本質の自分の解放というか、

真実の自分で生きることに

 

意識を向け

取り組んでいるんだけど

 

これがまぁ、ほんと

私はまだ全然

うまくいかなくて。

 

おまけに

これをやっていると

嫌になるくらい

見せつけられるのが

 

本当に

どんな親よりも

誰よりも

 

自分が、自分を

今日までずっと

虐げていたという事実と

 

 

自分の価値を

信頼することから

なんとしてでも

逃れようとする自我の存在で。

 

例えばこの

食べ物の話なんて

些細なことのように

聞こえるかもしれないけれど

 

本当にこれは

一事が万事で

 

どれほど自分が

自分という

 

唯一無二の尊い存在に

泥を塗り、煮湯を飲ませ

 

自分ではないものであるように

生きてきたのか。

 

 

私たちは本当に

眠りの中を生きていたのだ。

そして今も

隙あらば目を閉じようとする。

 

その方が楽だから。

そうやって生きていたから。

 

だからこの、些細に

みえるかもしれない

食事のことでも

 

たったそれだけのことでも

 

自覚して

 

自分をどのように

生かすのか

 

何を選択するのか

 

それは真の自分に

ふさわしい

 

自分を慈しむ選択なのか

 

それが真に

天の望むことなのか

 

砂を一粒一粒

確認するかのように

 

丁寧に生きることを、

 

少なくともそれが

当たり前になるまで

自覚的に実践しなければ

 

目覚めて生きる事は

叶わないのだ。

 

 

まりこサマは

400人の前で

話す人だと言われた。

 

で、これは

きっと私もそうだ。

 

そしてあなたもそうだ。

 

400人は

まりこ様だからかも

知れないけど

 

すべての人間が

誰もその代わりができない

唯一無二の尊いエネルギーと

力を持って生まれているのだ。

 

 

目覚めて生きるかどうか。

 

そこにすべてが

かかっているのだと思う。

 

 

*****

 

 

私は、まだ

自分を知らない。

 

ファスティングを

人生に取り入れたのも

そうだけれど

 

私は、自分の食の好みさえも

今はわからなくなっている。

 

これまで自分が好きだと

思い込んでいたものが

 

それは単なる

自我の選択で

 

私の本質によって導かれた

選択ではなかった、と

気づいたから。

 

夢だったのだ。

虚像だった。

 

こういう食べ物が好きで

こういう姿をしていて

こういう人生を望んで

こういう思考をする

 

それらは全部

自我が作り出した

モデルケースのひとつを

構成するものでしかなかった。

 

私はもっと

”私であること”が

出来るのだ。

 

happyさんの言葉を

お借りするなら

 

純度の高い自分、

ということだと思う。

 

*****

 

 

私は師匠である

ぢんさんが

本当に大好きだ。

 

言葉では

言い表せないぐらいの

 

感謝と敬意を持っている。

 

そしてそれ以上に

ぢんさんという”人”に

強く惹きつけられている。

 

それは生き物が

光に引き付けられるのと

同じように

 

理屈ではなく

 

あの人の純度

そのエネルギーに

 

否応なくもう

惹きつけられているのだと

感じている。

 

私はぢんさんに

父を投影している

ところもあって

 

いつも敬愛する存在として

あの方の姿を遠くから

眩しく見つめているんだけれど(笑)

 

ぢんさんは本当に

あれよあれよと言う間に

凄まじい進化をし続けていて

 

ここんとこはもう

正直、同じ人間の姿は

しているのものの

 

私的にはもう

波動高まりすぎて

エネルギーの

集合体に見えていた(笑)

 

そのうちマジで

見えなくなるのかも、って

冗談抜きで思うぐらい

遠くなっていて。

 

で、あの方のそんな姿を

見せてもらうたびに

 

もう到底、届かない、と

心底感服して

 

ウチのオヤジはどう?

すごいでしょ!!

 

と、ナゾの立ち位置で

自分の敬愛する人が

どんどんエネルギーの塊に

なっていくのを

誇らしく思っている

自分がいた。

 

 

でも最近気づいて。

 

 

私はぢんさんのことが

好きすぎて、かつ、

多分オトンを投影した結果

 

ぢんさんに忠実な部下

でいることに

 

萌え〜♡

 

となっている、と。。。

 

(もちろん、ぢんさん及び

心屋塾の中に部下とか上司とかいう

ポジションは存在していない。

私の脳内設定。。。w)

 

もっと言うと

 

ぢんさんのお抱えの忍び、

みたいな感じで

 

日頃はまったく

出しゃばることもなく

存在を潜めていてるんだけど

 

有事の際には

いの一番に馳せ参じて

御大のお命を守る、

 

忠義心の高い忍び、

 

みたいな心理状態(苦笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意・味・不・明!(恥死

 

 

 

 

 

 

自分の愚かさに

びっくりした。

 

あの人を見ていて

なんでこんな

発想になったのか。

 

 

ぢんさんが

そんなことを

望むわけがなく。

 

ていうか、

別に何も望まれてないし。

 

でも強いて言うなら

 

あの人は

すべてのあり方に

オッケーを

出してくれる人だけど

 

もし何か

私が本当に

ぢんさんへの感謝を

体現したいのなら

 

「私、ぢんさんを越える〜♡」

ぐらいのことを

自分に思ってやっと

望めることなんだって思った。

 

 

それは仕事とか

なんの枠かとか関係なく

 

 

私が

 

ぢんさんを下から

見上げるんじゃなくて

 

ぢんさんぐらい

自分の純度上げて

 

自分の人生を

愛しまくって生きて

 

最高にゲラゲラ笑って

楽しんで

 

ぢんさんと同じ目線で

人生が最高だってことを

感じられる人間に

 

なっている

ってことだと思った。

 

 

ぢんさんに

 

お前オモロイな〜!!

なんじゃそら〜!!

えーやんけ〜!

 

って、あの人を

笑わせることだと思った。

 

 

ぢんさんに

出会ったせいで←

 

超絶自分を信頼して

人生を謳歌しまくってる

オモロイヤツが

また一人増えた、

 

ってことの方が、少なくとも

忍者抱えるよりは、

あの方にとって

楽しい話なのは明白だし(笑)

 

 

ぢんさんは

最初からずーーーーーーっと

そのことしか言ってないのに

 

師匠・・・

 

あなたの弟子は

5年目になってまだ

この体たらくですw

 

 

*****

 

 

本質の自分を生きる。

 

純度高く生きる。

 

 

私、これから

 

恥もへったくれもなく

これに真剣に、無我夢中で

歩んでいきます。

 

 

何万回転んでも

必ず解放してみせます。

 

 

これからの私、

どうぞよろしゅう♡

 

 

 

 

にんにん♡ 違。

 

 

■ 現在、受付中のメニュー 一覧 ■ 

 

心と身体に優しい時間を。

8月19日ランチ&ロースイーツ教室

 

受付8月18日まで。人生を具体的に変える力。

美力向上倶楽部

 

自分の真価を発揮する。

ファッションコンサル

 

こんがらがった思考と決別する。