中部支部会員の伊藤基貴さんより寄稿文が届きましたので掲載いたします。

 

JPTA会報の前号(No.181)に、広報局から「100周年会報のデジタル化プロジェクト」 の記事が掲載されていました。

 

協会名称を全国ピアノ技術者協会に始まり、日本ピアノ調律 師協会、社団法人日本ピアノ調律師協会から現在の一般社団法人日本ピアノ調律師協会と変 遷を辿り、やがて100周年を迎えるこれまでの会報アーカイブス保存を知らせる内容です。 

そこには、多く先達の寄稿がちりばめられています。

 

今年2月に享年93歳で亡くなられた中部支部会員の氏家平八郎さんが、「大橋幡岩の遺 したメッセージ」と題して、会報No.148〜175まで25回にわたり寄稿されています。 日本国内におけるピアノ産業の黎明期を担った大橋幡岩が残した備忘録と、図面や治具など を丹念に調査、施した連載です。会員のほか、学術的研究者の方々からも注目されていたよ うでした。

氏家さん自身北陸で生まれ育ち、新潟で調律師として歩みはじめます。

その後、ピアノ造 りの場を求めて浜松市に。

従事する現場でことあるごとに「バンガン」という通称名を耳に します。それをきっかけに、縁を頼って大橋ピアノ研究所で研鑽。

そこで大橋幡岩のカリス マ的指導から得たピアノ造りへのノウハウが、かって名古屋市内に有ったピアノメーカー立 ち上げからの参画や、調律師養成学校の講師を務めた後、晩年までフリー調律師として現役 を過ごされる。

使命感をもって大橋幡岩のピアノビルダーとしての人物像を会報に連載することは、国内 のピアノ産業における独自性が検証されています。(先立つ資料として、書籍「親子二代の ピアノく人技あればこそ、技人ありてこそ>大橋ピアノ研究所」三省堂書店 の編集にも関 わっていらしたので、興味ある方はこちらもご参考に)

奇しくも氏家さんを偲び、同時に会報のデジタル化の記事を目にしました。ニッピのこれ までの100年を培ってきた会報が、今後の100年に向けける媒体であり続けてほしいと 願っています。

伊東基貴