こんにちは、ChubbyCatsです!

 

シアトルに日本街があるのをご存知ですか?

現在ではかつてほどの賑わいは、なくなってしまっている様ですが

お散歩をしてみるとところどころに、古い日本街の跡が垣間見えます。

今回ご紹介する

 

   パナマ・ホテル 

Panama Hotel

 

は今でも「シアトルの日本」を受け継ぐ、シアトル日本街の代表的な史跡です。

(歴史は一番最後に紹介しますね)

 

最高に、味があります。

 

日本食スーパー、宇和島屋からもほど近いInternational District駅から北西に進むと、閑静な、レンガ造りの建物が未だ多く残るエリアにたどり着きます。

 

ぶらりとしていると、とある建物に「ゆ」の文字を見つけました。

 

左下に ゆ の文字

 

laundryと書いてあったので、昔のコインランドリーかな?(英語では laundromat と言います)と思いつつ

坂道を上りきり、建物の正面へ出てみると Panama Hotel の看板がありました。

こうしてなんとなく、Panama Hotel へたどり着いたのでした。

 

可愛いエントランス

 

廃業しているかと思いきや、現役で営業中のPanama Hotel の入口の横には、カフェが併設されていました。

レトロで味があって素敵!

夕日を見たかったのでちょっと急いでいたのですが、気になったので、我慢できず入ってみました。

 

レンガの壁、木目の床板。とても落ち着きます。

 

メニューは、様々な種類のお茶がメインです。

日によっては和菓子も販売しています(ChubbyCatsはサンクスギビングの直後だったので在庫切れということでした...)。種類が豊富で何を頼んで良いかわからない場合でも、親切なお兄さんが教えてくれます。

 

せっかくなので、お茶を頼んでみると面白いですよ

 

店内は広々。

階段を下がるとたくさんの席があり、お客さんが各々の時間を過ごしていました。

 

ほうじ茶ラテ。一番小さいサイズで十分なボリュームです

ミルクはホールファット、低脂肪、豆乳など選べるよ〜と言われました

 

ChubbyCatsは、ゆっくりする目的でカフェに赴く際は、静かで、暖かい雰囲気のお店が好みです。

飾り気のないアットホームなカフェは、とても落ち着きます。

 

店内は博物館チックな要素もあり、壁には戦前の日本街の写真、木製の古いラジオ、一部ガラス張りになった床からはかつての日系人たちの所有物が見下ろせるように配慮されています。

 

 

 

読んだことはないのですが、Panama Hotel は Jamie Fordさんによる小説

 

Hotel on the Corner of Bitter and Sweet(邦題:あの日パナマホテルで)

 

の舞台にもなっている様です。中華系アメリカ人の男の子と日系アメリカ人の女の子の恋物語ですが、史実に基づいているので訪れる前に読んでみても面白いかもしれません。

 

オールドファッションドなシアトルのリトルジャパンを楽しむには、

ぜひパナマ・ホテルへ!

 

【歴史】

 

Panama Hotel はシアトルで最初の日系建築士 オザササブロウさんの設計で1910年に建築されました。

住居、ホテルのレストランで食事、銭湯まで、シアトルの日系人コミュニティーの中心にはいつもPanama Hotelが在ったそうです。

(そう、ブログの最初にあった「湯」は実は本当に銭湯だったんです!現在は使用されていませんが、取り壊されることなく残っているそうです。)

 

しかし、1941年の真珠湾攻撃を機に環境は激変します。

 

1942年には日系アメリカ人に対する強制収容の大統領令が出され、

シアトルの日系人も、許される範囲以外の所持品は全て置いて、強制収容所へ赴きました。

 

彼らの多くはいつかまた戻ることを願い、Panama Hotelのオーナーに荷物を託しました。

しかし、最終的にはオーナー自身も収容所に送られてしまいます。

大戦後も彼らの多くはシアトルに戻ることができず、荷物だけがPanama Hotelに現在でも残る結果となったのです。

 

1985年にホテルは買い取られ、現オーナーの意向により彼らの遺品の一部が展示されているとのことです。

 

【つぶやき】

 

Encropedia Britannicaより

 

1942年にカリフォルニアのオークランド撮影された写真です。日系人に対する抑圧に対し、「私はアメリカ人だ」と訴える看板をお店の前に掲げています。

この八百屋さんがどのような方なのか、家族の歴史を含め、全く知る由もありません。

しかし、この写真からは紛れもないアメリカの精神性を感じます。

 

「私はここに存在する権利がある。私には、自己を主張する自由があるのだ」

 

と言わんばかりです。

 

自らのルーツが、他人の判断を促し、それが社会的存在としての自己定義になるというのは、少し考えてみると不思議な概念です。

たとえ自分がアメリカ人だと思っていても、他人から境界線が引かれてしまったら、アメリカ人ではなくなるってことですもんね。

 

ChubbyCatsにとっては、この八百屋さんがどのような見た目であれ、日系人にとっての苦境の中でこのような自己表現ができるということ自体が、アメリカ人である何よりの証拠であるように思えました。そもそもアメリカって移民しかいないですしね。

 

まあ、何人であっても、その人はそのひと、であるというだけのことなんですけどね。

 

 

 

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では、皆さん、良い一日を〜