今日から軽量級1日目です。
しかし、まったく働き者になりませんでした。
きのう、母から電話を頂きまして、大泣きしました。
その後、彼とも電話をしたら、さらに大泣きしました。
産んでくれた親に、「私はあなたの死を常に覚悟しているんです」なんて言えたもんじゃない。
まあ、そのため今日はいかんともしがたいだるさと、眠気と、頭痛で、泊まりの予定が帰ってきてしまいました。
なんだか、こういうのが部活でも続きそうな気がして、若干部活に行くことに気が引けてしまう
自分の仕事はちゃんとやれると思うんだけど、他の、自分がやらなくていいと思ったことはやらないと思うし、3年ていう立場から、1年生みたいに率先して取りかからないはず。となると、体育会なので、そういう自分勝手な判断は上下関係や協力して行うという事からは外れてしまうわけで、周りも迷惑だし、は?、てなるはず。
めんどいなあ
今日、深く深く病院に行くべきなんだな、と思いました。
考えるのは自分勝手なんだけど、部活やらバイトやら他人と接していく以上、そうしてばかりもいられない。だけど考えることをやめたくないわけで、考えると他人と関わらないようにしようとするので、そこは、医学の力を借りるべきなのかなと。
軽量級終って、行ける時があったら行きます。行ける時間があれば。
そうそう、「親の死」についてですが、
今日、こころの友はるちゃんとそのことについて話していました。すると、はるちゃんは
「死を考えて、何を思うの?」
的なことを言いました。(よく覚えてない、てゆーか最近物忘れ激しい)
確かに、親の死を考えて、私はどうするのでしょうか、どうしたいのでしょうか。何を思うのでしょうか。
死を考えて、その悲しみを感じるだけで、悲しみに打ちひしがれて、実はその先にあるものを考えていないんじゃないか
こう思ったのです。
はて。
母親は、私にどのような影響を与えているのだろうか。実は、大した影響もなく、「母」に一種の大きな虚像を抱き、勝手に虚像の母の死を悲しみ、そして、まるでその死を今か今かと待ちわびているんじゃないか。
言っておきますが、死んでほしくはありません。できるだけ生きてもらいたいのです。でも、確実に、「死」は近づいている。いつかも分からぬその死を、私は強く認識している。はず。
要は、母に、私の思っていること、考えていること、感じていることを伝え、それを議論するよりかは、もっと楽しいどうでもいいことを「お喋り」しているほうが、ふたりにとっていいと思ったのです。私だって残念に思うこともない、母だって心配する必要もない。(残念に思ったのは、母に言っても理解してもらえないと感じたから)
だって、彼女が死ぬまでに、あと何回電話できるでしょう、何回実家に帰れるでしょう、何回会えるのでしょう。
楽しい時間を、ある意味、中身のない時間を共有したほうがよさそうです。
うむ。
どうなんでしょうねえ
Today's supper
*アジフライ(made in コモディ)
*まぐろのお刺身
*まぐろユッケ豆腐
本日調理なし!