ベトナムの空港にて | 四川料理修行の巻

ベトナムの空港にて

今は成田に帰る便の乗換待ちである。ただし、この待ち時間は8時間という信じられない長さである。
日本における普通の就業時間と同等の長さを待たなければならない。さすが格安チケット、ベトナム航空である。



ただし、このベトナム空港は無料のワイヤレスネットワークにアクセスでき、かつ、電源差しててもいやな顔せずスルーしてくれので、ありがたい。預け荷物も20kg余裕で超えたが、問題なしであった。



さて、8/10から9/11までのタイ滞在期間が終了した。



ハニーとの約8ヶ月間の遠距離に対して、1ヶ月間の2人一緒のこの滞在は2人の距離をまた一気に縮めた。
おかげでバンコクと自分の距離も一気に縮んだ気がする。



この1ヶ月のして来たことをまとめてみる。



■カオサン滞在
 カオサンとはバンコクにある世界最大規模のバックパッカー街である。ヨーロピアンから日本人、韓国人、中華系、アフリカ系、アラブ系、インド系、現地のタイ人が入り乱れている界隈。



 ハニーはバンコクに友達2人で住んでいるので、ハニーがフライトの場合、かつ友達のフライトがない場合(友達が家にいる場合)、自分は外で宿をとる事にしている。



 そこで、今回、久しぶりにカオサンに泊ってみた。
 カオサンに泊る理由というのは、英語がしゃべれなかった過去、いくらか英語が話せるようになった今と比較して、カオサンライフはどう変わるか?ということを試してみたかったから。



 カオサンの細い路地を少し入った、こ汚いけど、いい感じのゲストハウスに宿をとった。シングルで180Bである。



 ≪ヒッティング職人≫
 このゲストハウスは映画上映レストランと併設されている。そこで、一人の日本人っぽいおじさんが水を飲んでいて、「日本人ですか?」と話しかけてみた。



 話を聞くと、そのおじさんは
・実は韓国人でタイ北部のメーサイで宝石のヒッティングをしているらしい。おもにサファイア、ルビーがメイン。
  ⇒宝石はまずは原石を見つけ、その原石をヒッティングという技術でコーディング可能な状態に削り、最後のコーディングで綺麗な形に作るらしい。
  ⇒そのヒッティング技術の研究をしているらしく、安い屑、同然の宝石の原石をヒッティングして、高級な宝石に変えるということを目指しているとこのこと。
  ⇒金額で言えば、1万Bの原石を100万Bに変えることが可能らしい。大手日本企業、世界中から相次いでそのヒッティング技術を研究投資したが、今だかつて誰も成功したことないとのこと。
  ⇒実はタイの産業は観光、農業、宝石業というのが3本柱で、宝石に関して、世界で一番大きいマーケットがタイにはあるらしい。シーロムとか有名。 
 ・昔、日本の大学を卒業した。日本が堪能。
 ・一人で研究していて、資金難で苦しいらしい。
 ・バンコクに来たのは韓国からの送金を受け取る為らしい。



 というおじさんがなぜかゲストハウスにいた。
 夢はそのヒッティング技術を成功させて、日本、スイス、アメリカ、フランス、ロンドンで宝石屋を作る事らしい。



自分が以前、システムエンジニアをしていたと言ったら、
 「マサミチさん、もしこのヒッティング技術が成功したら、それをシステム的に自動化させましょう。一緒にやりましょー!!」 
とノリノリであった。



真意の程はしらんが、もう歯も抜け落ちていい年のおじさんが夢を語るのはいいもんだ。



二日間の間、何時間も話をしていた。



最後の別れ際
「次、私を見るのはTVの中ですよ」とおじさんは言い放った。



Uni_1889_320_2

















≪日本人美容師≫
BTSアソーク駅のソイの奥に日本人がカットしてくれる美容室があると、ハニーから聞いた。
ハニー曰く、そのおにーさんはコネなし、金なしでバンコクに来て美容室を作ったらしい。



見た目はチャラいけど、すごいいい人だよって聞いてたので、髪も伸びてきたし、カットしてもらいに行ってきた。



「カッコいい坊主でお願いします」とお願いし、自分もバンコクでお店を持ちたいと話し、いろいろ聞きながらカットしてもらった。



・何かワクワクすることをしたくて、バンコクに来た。
・自分ひとりではできなかったと思う。いろいろな人に助けてもらった。
 ⇒その人たちに出会えるために自分なりに行動もした。
・バンコクに永住する覚悟でやっている。
・バンコクでは何か自分はできるんじゃないかっていう可能性をかんじやすい
・自分は頭も特に良くないから、自分でお店を作っていく中で、これも勉強しなくきゃと一歩つまずいて、越えてというのを繰り返してやってきた。
・今はバンコクに2件ほどお店を持ってるが、実際、俺でもできたから誰でもできること。行動するかしないかだけ。
・お店をやっているというだけで、不思議と自分よりすごい人がいっぱい集まってくる。



そんな話を聞いて、「なんか楽しいそうですね」と言ったら、
「お客さんに自分を見て"楽しそうに仕事している"言ってもらえれば、俺もまだいける。
 お客さんからつらそうだとか、きついでしょとか言われたら、だめなんだよ。」
と言っていた。



人生をワクワク生きようと思って、彼はバンコクに来て、店作って、ほんで実際にワクワク、楽しく生きて好きなことをしている。



四川料理を中心としたお店、おもしろいね!!なんか知らなんけど絶対いけるよっ言ってくれて嬉しかった。前向きな意見は心にいいし、自信の源になる。



想像通りに切ってもらい、かっこよくなったし、いい時間を過ごした。



■中華街滞在



2回目の外泊は中華街にした。アジア最大?なのかしらんが、タイの中華街は大きい。タイ在住の中国人も多い。タイをTAXIで流すと、中国語の看板はものすごい多い。タイ在住の華僑2世と話をしたら、彼曰く、タイにいる中国人の90%は潮州人らしい。潮州は福建省の南部、広東省の地域。この地域の人は華僑を大量に世界に輩出している。またタイの経済を握ってるのもこの潮州から来た人らしい。



さて、中華街には3日間滞在した。
路地をふらふら歩いて、評判のお店に入って、ご飯を食うという感じで過ごした。
ここの名物はフカヒレ、アワビ、ツバメの巣。日本のTVでよく出るような料理である。



食ってみた感想
 ・うまいことはうまいんだが、なんかパンチがない。
 ・もう一回行きたいなというお店はなかった。
 ・古臭くて清潔感がない。



四川料理のあの豪快な調味料、素朴なうまさを味わってしまったら、潮州料理、広東料理ではもの足りないと感じてしまう。





Uni_1950_320





料理を食べ歩くだけでは物足りないので、やはり現地の人にいろいろ聞こうと、暇そうな中国人を探すことにした。街中でいきなり「ニーハオ!」って声かけてインタビューするのは、気が引けるので、自然に話せる所はないものかと、うろうろしていたら、おじいさんの憩いの場的なお茶屋さんを見つけた。



ちょっとぼろぼろなビルのニ階にお茶屋さんがところ狭いしと並び、よぼよぼなおじぃさんが派手な叔母さんと談笑している。



一番込んでいる台湾系のお茶屋さんに入り、ウーロン茶を飲んでると、派手なおばさんが両脇に来て、
「ここに座っていいか?」と聞いてきた。暇なのでいいよといい、おばさんに2人に囲まれお茶を飲むことになった。



自分は聞きたかった以下のことを聞いてみた。
 ・バンコクでは四川料理屋はあるのか?
  ⇒以前あったが、つぶれた。今はないと思う。



 ・四川料理は受け入れられるのか?
  ⇒きっといけるわよ。



 ・どうして潮州料理、広東料理しかないのか?
  ⇒みんなそこ出身だしね。



という具合である。とりあえず、うまければいいのよってのいうのが2人のおばさんの見解であった。
彼女等は河北省、北京から遠路遥々、バンコクまでお金を稼ぎに来たとのこと。
彼女等の職業は「横について、お茶をくみ、おしゃべりを付き合う」というものらしい。日本のスナックのホステスのようなもの。



1時間散々しゃべって、「はい、100Bづつね。」とそのお金でご飯を食いに行くらしい。



北京ではこんな仕事は見下されるのよ、ここにいるおじじどもはもう金ないから、ここも超不景気よとか、愚痴を言っていた。



いろんな話も聞けたし、目の前で台湾式にお茶を入れてくれるのもいいし、なかなか有意義なところであった。



やっぱ、中華街では中国語が生きる。







■バンコクで人気ある店
  ハニーの友達の家族がバンコクに遊びに来て、すごいおいしかったから二日連続で同じレストランに通った、というとこに行ってみた。そのレストランはバンコクでは有名なイタリアン。ハニーも4回行ったことがあるらしい。



 金曜日ということもあり、駐車場はほぼスペースはなく、メインフロアはほぼ満席であった。
 ワインバーエリアに席を取ったが、内装はすごいいい感じであった。



   メニューを見ると西洋のメニューらしくシック。しかし、文字だけではいまいち料理のイメージがわかない。
 またなかなか値段もはる。メインの魚、鳥のグリルとか、450Bぐらいはする。子羊になると600Bとかする。



  サラダ、メインディッシュ、シーフードピザ、ケーキ2個、コーヒー2個を食べた。これでたしか1500Bくらいである。



 シーフードピザはうまかったが、サラダ、メインディッシュの鳥のグリルは普通であった。自分で作った方がいいのではというレベルであった。ただし、コーヒーとケーキはうまかった。



048_320





 
なんというか、厨房をのぞくとタイにあるイタリアンレストランとかタイ料理以外レストランはほぼタイ人が作っている。多分、オーナーは外国人で作り方をタイ人に伝授しているのだろう。タイ人のコストは外国人、たとえばイタリアからシェフを招聘するより断然安いし。
という現状であるので、なんか雰囲気のいいところに行ってもまずまずのうまさしかない。これは中華料理のお店に行っても同じ。タイ料理は勿論ちがうだろうけど。



ということで、中国からシェフを招聘し、本格的な四川料理をメインにまだ全然有名じゃない内陸料理をスペシャルとして出すのはいいと思う。うまいもんを出せばきっとうまくいくはずである、と感じた夜であった。



実際に外国人でバンコクで一番人気のあるランチはイタリア人シェフが作る前菜ビュッフェ付きランチセットらしい。





  
■バンコクNo1の中華料理屋



 ペニンシュラホテルにある広東料理「mei jiang」がバンコクでNo1らしいという噂を聞き行ってみた。
 
 実はここに行くまで2回ほど失敗をしている。
  ・1回目は予約していたが、ハニーと喧嘩して中止。
  ・2回目は行ってみたはいいが、なぜか「mei jiang」のみ停電していた
 という過去がある。



 3回目の正直である。入口は高級感たっぷりだが、中はホテルの作りもあるだろうが、ホテルにある店って感じで内装のセンスは見られなかった。



 しかし、料理は抜群にうまかった。四川でもある「干bian四季豆」は今まで食った中でいちばんおいしかった。
 ほかの料理も繊細な中華っていう感じでおいしかった。自分がアジアの一部の国の人間だからかイタリアンとは比較にならないほどうまかった。



 シェフは香港人3人らしく。3人で厨房を回しているらしい。



 ただし、干bian四季豆、鳥と朝鮮ニンジンの炒め物、エビとなすのすり身揚げ、特製チャーハン、スープ、お茶で3500Bは高すぎる。5星のホテルの店だから仕方がないのだろうが、うまかったが次にいつ行くのかはわからん。



屋台では20から30Bくらいで麺が一杯食えるタイで、たった2人で上記のメニューを3500Bで食うのはやはり高すぎる。



自分の店は一回行ったら、また気軽に行けるような店でありたい。
困った時にあそこなら間違いないっていう店でもありたい。



そんなことを感じたmei jiangであった。でもうまかったな。





133_320





■ラオス旅行



9/1~9/7までハニーとラオスに小旅行しに行ってきた。ラオスは確か8年ぐらい前に行ったことがある。
ハニーとタイ航空でバンコクからラオス首都ヴィエンチャンまで行き、その後はバスで世界遺産都市ルアンバパーンに行った。ルアンバパーンは世界で初めて街自体が世界遺産に登録されたらしい。そういう意味深なところはひょいっと飛行機で行くのは軽すぎるということで、2人はバスで9時間かけて行った、と書くとかっこがいいが、自分がダブリンでバンコク⇒ヴィエンチャンの出国チケットを強制購入されたからである。



ルアンバパーンまでの道のりは8年前に経験していたはずだが、30歳になった今、また同じ経験をしてみると、疲労の度合いが半端ない。山を車で超えるのは1時間ぐらいなら我慢できるが、9時間はこたえる。20世紀最大の発明は飛行機っていうのをどっかで聞いてきがするが、まじで飛行機はすげーはぇー。



ルアンバパーンは以前に滞在したより、よりおしゃれになっていた。日本でもそうそうお目にかかれないオープンなワインバー、民芸品屋、レストランとオシャレなお店が乱立していた。また夜になったら、モン族のナイトバザールも開催されて、随分にぎやかになった。しかし、プッシーの丘という街を一望できるとこから見ると相変わらずビルもなく、緑もりもりのラオスでもある。



285_02_stitch_800





ゲストハウスもカッコいいすげーひろいバルコニー、全面板張りの部屋にキングサイズのベッドとかでバンコクなら2,000Bは余裕で行くだろうってとこが、22ドルという良心的な値段であった。



愛するハニーと2人で昔来た待ちを回るというのはいいもんだ。



346_stitch_400



339_stitch_400



ゲストハウスのメッセージブックに、日本人女性のメッセージでメコン川のほとりにある洞窟のことが書かれてあった。彼女曰く、「もし自分が死ぬ場所を選ぶなら、この洞窟で死にたい」らしい。



ということで、その洞窟へ行ってみることにした。



メコン川を3時間ぐらいボートで走り、その洞窟に着いた。
川沿いに一つ、川岸の上に登っていくともう一つと計二つほど洞窟はあった。



ラオスが植民地時代、フランス人のメコン川探検隊が見つけたらしいと書かれたあった。



人は暇だとその時の感情で物事を感じ、判断するのだろう。
どうみても「もし自分が死ぬ場所を選ぶなら、この洞窟で死にたい」とは思えない洞窟であった。



ラオスの野菜、フルーツはバンコクで食べるものより、うまい気がした。多分、空気もいいし、新鮮なんだろう。
ドラゴンフルーツとレモンのシェイクがうますぎて一日に2回も買った。砂糖水とフルーツたっぷり、少々のシロップ、氷というシンプルなシェイクでバンコクで飲むシェイクより断然うまかった。



262_02_stitch_400



330_stitch_400



ハニーは帰りはヴィエンチャン⇒バンコク区間は飛行機で帰って行った。一時間半でバンコクである。
俺はと言うと、財布の事情もあり、列車で14時間かけて帰った。



やっぱり、飛行機は偉大だ。。。



■アイリッシュ、バンコクに来る



ゴールウェイで日本語、英語のexchangeしていたGemme、Gragama夫妻がバンコクに来た。
タイはいいよーって連発したら、本当に来てしまった。



バンコクに10日間、日本10日間のハネムーンである。



ということで、一昨日彼等と久しぶりに再会した。



14時間のフライトだから、着いた日は休むと思ってたら、その日に会いたいとこのこと。元気である。



カオサン、ワットポー、トゥクトゥク、タイ料理と一日中、飲んで食ってと連れまわし、夜には彼等もお疲れ気味であった。



ただ、彼等せっかく、世界遺産でもあるワットポー(涅槃像)に行ったのに、デジカメをホテルに忘れたり、ガイドブック持ってきてなかったり、どこに行くのかも決めていなかったり、もう適当すぎでびっくりした。さすがアイリッシュである。



また近いうちに日本で再会するから、今度はゆっくりいろいろ連れて行ってあげよう。



■面接
ラオス旅行している時に仕事の話が来て、来週月曜日に東京で面接がきまった。
それで、急に日本への帰国である。



本当は今日、ハニーの便で行きたかったが、エアインディアとタイ航空のコードシェア便は5日前までに購入しないといけないとルールがあったらしく、間に合わなかった。



二日目に唯一買えたのが、このベトナム航空の便である。それで今に至る。



日本に帰りどんな仕事をするのか、まだ知らないが、次は何が起こるかわくわくしている。
目標に向かい、その方向性に向かっていれば大丈夫だと確信している。



さて、10ヶ月ぶりの日本は懐かしいだろーな。