すごいぞ!栗林慧さん | 若葉マーク農園長のブログ

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シニア世代の自称「花咲か爺さん」が挑戦する新アグリビジネス「農蜂業」奮闘記

 今日,昼間視聴しているTV生番組で旧知の昆虫写真家栗林慧(さとし)さんが出演していた。内視鏡を改良して昆虫の驚くべき動画撮影画像が紹介されていた。折しも今日の地元紙にも彼の記事が掲載されている。なんと不思議な縁なのだろうか。

 今日のブログ記事は,私の青春そのものだから, 冗長になることをお許しいただきたい。

  栗林さんとの出逢いは,1973年(昭和48年)4月上旬頃だったと記憶している。当時アメリカ統治下にあった琉球政府(現沖縄県)八重山郡西表島祖納(いりおもてじまそなえ)集落の民宿「まるま旅館」(その後火災消失)だった。当時私は大学4回生で,教育実習直前なのに,琉球昆虫の卒業論論文研究のため単身長期間民泊中だった。

 沖縄日本返還は同年5月15日だったと記憶しているが,私の狙いは卒業研究と共に,沖縄人が日本復帰をどのように迎えるかを離島で体感したかったからである。

  これに先立ち,大学紛争まっさかり,日本の高度成長期に大学入学した私は,当然ながら社会問題に目を向けざるを得なかった。1980年の大学入学時には瀬戸内海三菱コンビナート重油流出事故に直面した。香川では大量の重油が流れ着いた。当時,香川の某大学に籍を置いていたが,折しも当該年の大学祭時の研究室展示テーマが公害問題だった。先輩たちの仮説「某企業が夜中密かに廃液をたれ流している」という仮説を証明するため,私も24時間排水口付近の採水に加わった。調査結果は驚くべきものだった。夜中,排水口夫yび及びその下流でのみ特定有害物質が急増することが証明された。

  折しも,翌年春琉球に観光船旅した私は,バスの車窓からみる嘉手納基地のB52爆撃機は基地内生活と沖縄人の生活水準格差に憤った。それから私は沖縄問題にのめり込んだ。アルバイトの金をすべてつぎ込み,大学時代毎年沖縄詣出になってしまった。

  4回目の沖縄訪問は卒論研究目的やドルから円への交換を体感したい思いもあり,2ヶ月間近く西表島祖納集落の「まるま旅館」に配膳アルバイトを兼ねて長期逗留した。

  本題に戻そう。その民宿で栗林氏に初めてお逢いした。同行者は学習研究社の科学雑誌スタッフ,ある日はNHKTV科学番組「自然のアルバム」班の撮影班だった。

  初対面の栗林さんから「明日撮影に一緒に行かないか?」と夕食時に声をかけられ,それがきっかけで3日間ほど同行させてもらった。今から思えば,今日そんな著名な方と3日間同行させていただいたことは私のささやかな喜びでもある。当時栗林慧さんは,6×7型カメラゼンザブローニカを改良し,驚異的なシャッター速度1/20,000を使用していた。アリ1匹の撮影に3時間もかけるのにはずいぶん驚かされたものだ。

   10年程前だろうか?NHK番組に出演している栗林さんが長崎県にお住まいであることを知り、Eメールをお送りした。しばらくして返信があったが私のことは失念されているとのことだっちょっと落胆したが、まあいいや!

 西表島には周回道路が完成しているらしい。また,当時建設反対闘争に参画したかったが、サンゴ礁を埋め立て計画の石垣空港も完成したとのことだ。気づけば40年,私の清秋も,あまりも多くの歳月が過ぎてしまったものだ。

  栗林さん,当時の私を想い出してくれませんかね。トホホ‥

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