2026年6月10日から12日までの間、夜行1泊2日の行程でお出かけしました富山の旅の様子をお届け致していますウインク前回編では「五箇山」を成す二つの集落のうちの一つの菅沼を訪れました👇到着時刻が朝の7時過ぎの早朝と言うこともあってか、集落内では集団登校していました小学生の一団…と言っても4人くらいでしたが、に出会いましたが、滞在時間中、観光客はもとよりここにお住まいの方とも全くと言っていい程、すれ違うことがなく、ただただ静寂に包まれた中に、そこかしこに構える合掌造りの建物との邂逅がニッポンの原風景に触れることが出来た感覚に浸ったのでした照れ

さて、この後chu一行は菅沼と共に「五箇山」の合掌集落の里である相倉(あいのくら)を目指します。ところで「五箇山」を紹介しているYouTube番組などをみているとたまに“あいくら”集落と紹介されているものも散見されますが、正しくは「あいのくら」ですニコニコそれでは「五箇山」がある富山県南砺市の南部エリアは、富山県内ではどのような場所に位置しているのかを見ていきましょう。中央、やや下の赤字で〇囲みしたところが「五箇山」です。そしてそのすぐ下の青字で〇囲みした場所が岐阜県白川村にあります「白川郷」。その「白川郷」は今や知らぬ人はいないほど、超有名な「世界遺産」として訪れる方が半端ない観光地になっているのですが、合掌造りの里として世界遺産を構成するのは「白川郷」と「五箇山」の二つから成るのですが、前回のblogでも説明させて頂きました通り、訪れる方の人数には圧倒的な差があり、超激混みの「白川郷」と、閑散としており長閑なニッポンの原風景「五箇山」とに分かれています。皆さん、地図を御覧下さい👇二つの合掌集落は「東海北陸自動車道」でインターチェンジ一つ分(「白川郷IC」と「五箇山IC」)しか離れておらず、20分もかからず互いに行き来することが出来ます。しかし2026年6月現在であれば集落内における訪問客の数には相当の開き(天文学的と言ってもいいほどの開きです)があるものの、例えば「阪急トラピックス」や「クラブツーリズム」などの旅行会社のツアーにも「五箇山」が組み込まれることが多くなり、「五箇山」の素晴らしさが知れ渡るのももはや時間の問題か…いぇね、これがまだ日本人の間だけの広がりであればいいのですが、外国人に知られてしまうとお隣の「白川郷」のようにまるで“絨毯爆撃”にでも遭遇したような激混みになるのは、火を見る事よりも明らかなこと真顔ですので、“ニッポンの原風景に触れてみたい”とお考えになられている皆様にお伝えいたします。「五箇山」を訪れるのであれば1日でも早い方がいいです。2~3年後では、残念ながら「五箇山」が“白川郷化”している可能性は極めて高いものと憂慮しております笑い泣きなお、「五箇山」も「白川郷」も、北陸地方の主要都市であります富山市や金沢市からは1時間圏内ですから“生きる世界遺産”へは、高速路線バスを使えば都市部からのアクセスは容易ですので“秘境地でありながらも僻地ではない”という絶好の好条件が整うスポットなのですウインク

菅沼から相倉へは国道156号線を東に進みます。両集落間の距離は約10㎞離れており車での移動時間は15分が目安です。ですが途中、他の見学スポットを立ち寄ったりしますとさらに時間はかかりますニヤニヤそしてこちらは国道沿いにありますポツンと立つ合掌造りの建物で「村上家」。安土桃山時代のものといわれており合掌造の基本的な形式を備えている1重4階妻入の大建築で国指定の重要文化財になっていますニコニコ

ただ合掌造りの家屋はどの建物でも造りは同様で、1階には囲炉裏が、そしてそこから炙り出された煙が2階以上に舞い上がり、2階は養蚕場が常です。chuは昨年来、「白川郷」にあります国指定文化財「和田家」や、文化財にこそ指定はされてはいないのですが「神田家」も訪れていることと、「白川郷」荻町地区に隣接している「白川郷合掌造り民家園」も訪れ、合掌造りの建物の内部はかなりの部分で承知していますので、今回、「村上家」内部には入らず建物の外観だけを見学させて頂きましたウインクそしてこちらが「村上家」に隣接している「五箇山総合案内所」。(写真はホームページからお借りしました)

しかしchuは思ったビックリマーク“五箇山の総合案内所が菅沼でも、相倉でもない、なんでこんな中途半端な場所にあるの??”とキョロキョロ

そしてその答えはやはり昔からある集落の地理的な環境にあります。ここは田谷地区と言う集落なのですが小学校があることから当エリアの中心街区ですウインクそしてこちらの案内所には五箇山周辺の地図や周辺のパンフレットの類が取り揃えられてあるのですが、実は手頃な周辺マップが手持ちになく、ここで頂くことが出来て助かりましたウインクそして菅沼周辺に居る時は、周囲には9棟の合掌造りの建物しかなかったのですが、国道沿いのこの周辺には民家が点在しており小学校などもありました。菅沼からは3㎞圏ですから、chu一行が菅沼集落に到着した時に行き交った集団登校の小学生はここの学校まで通っているのでしょう。と思うと距離は長くはないものの、途中にはそこそこ長いトンネルがありましたから、安全確保は図られているのかなキョロキョロと、今、ブログを書いていて気になっているところです滝汗そして菅沼は旧加賀藩の流刑地だと、前回のblogにて御説明させて頂きましたが五箇山は“歴史の現場”の地でもあるとの事で、すこし丁寧に説明していきたいと思いますウインク

【詳細解説】

江戸時代、五箇山は加賀藩の流刑地であったため、庄川に橋を架けることは禁じられ、籠による渡しの籠場が13か所ありました。籠の渡しの大綱はぶどう藤のツルを束ねたものを両岸に張り渡し、一人乗りの籠を吊るしたものです。籠場は左岸の乗り場が高く、流刑地側は低くなっており、流刑人は籠を使って自力での逃亡は出来ないようになっていました。流刑人は藩士や妻子、藩にかかわる事件、政治犯などの軽犯罪人が殆どでしたが、大槻伝蔵は藩の御家騒動の濡れ衣を着せられた無実の重罪人でした。寛文七年(1667年)から明治維新までの201年間に送られてきた流刑人は159人余(判明分)であり、赦免55人、病死56人、自害4人、逃亡11人、明治元年に全員釈放8人でした。小屋は重罪人一人用の御縮小屋と、多くは軽罪人用の平子屋で、村内への出入りが自由でした。村人は流刑人を「殿」付けで呼び大切にしていました。流刑人には藩から生活費が現金支給されていましたから、村娘に贈り物をした者、お小夜(女性・小原)のように村人に歌や踊りを教えた者、読み書きや医術、獅子舞(籠渡)や謡曲を教えた者もおりました。(平村史 上平村誌より)

 

こちらが、村人が暮らす場と流刑地とを分けていた庄川ですニコニコそして今でも集落のあるのが左側の左岸。右が右岸ですので流刑地は右側なのですが、どう見ても右岸の方が高台なんですけどニヤニヤ

いまでは庄川に架かる橋の袂に佇むお地蔵様ウインク

そして、この橋を渡りましたところには重罪人を幽閉した重罪人一人用の御宿小屋が再現されています。再現と言のは何十年も前の事ですが、豪雪地帯であります当地ですので、古くなった建物が雪で押しつぶされてしまったからなのでした滝汗

ところで皆さん、急な傾斜の階段を覚えておいてくださいね口笛流刑小屋はこの階段の途中にあります真顔“下から上へ”は自然の力だけでは物は移動出来ません。そのことを証明しました、とある著名な科学者がいましたっけ爆  笑

急な階段をひぃこぃ汗ををかきつつ昇りあせるあせるあせる流刑小屋前に到着です。そして写真の右側を御覧下さい。庄川に架かる橋を渡りきり、そこからもそこそこ傾斜のある坂道を上り、さらにこの急な階段を上り辿り着きましたので、観光案内所がありました国道沿いからは、距離こそ短いものの歩くこと5分、かつ標高差はパッと見た限りでも12メートル以上(概ね建物4階分)はあると思います真顔モットアルノカモシレマセンあせるあせるあせる

こちらが流刑小屋の説明です👇

【詳細説明】

富山県文化財指定。有形民俗文化財「流刑小屋」

加賀藩の流刑地として罪人が五箇山に送られてきたのは寛文七年(1667年)が最初とされている。以来、明治維新までの約200年間に150余人が流されてきた。流刑地は庄川右岸の七集落(猪谷・小原・田向・大島・籠度・大崩島・祖山)に限られている。藩は刑人の逃亡を防ぐために庄川に橋を架けさせず、一人では往来できない籠の渡しを使わせた。流刑小屋には集落内に限って出歩ける平小屋、一歩も外へ出られないお縮小屋、小屋の中にさらに狭い檻を作って閉じ込める禁固の三種類がある。お縮小屋と禁錮には牢番が食事を柱の穴から差し入れるだけであった。このお縮小屋は明治以降は物置として利用されていたが、昭和38年の豪雪で倒壊したため古文書を参考にして復元したものである。全国的にも流刑小屋の遺構はなく貴重な民俗資料である

平成14年11月 富山県教育委員会 南砺市 南砺市教育委員会

 

そしてこちらの小屋、はお縮小屋なのでしょうかキョロキョロともかく質素な造りであることに加えて、ここは豪雪地帯ですから冬は寒い滝汗雪の結晶滝汗雪の結晶滝汗雪の結晶凍死された人が出なかったことを願いますお願い

牢番が食事を出し入れしていた小口がこちら👇

ところで今ではよく、例えば頑張っている同僚などに“これ、差し入れねウインク”なんて気軽に使う言葉になっている「差し入れ」です。そうです、現代での「差し入れ」は👉差し入れとは、相手をねぎらったり応援したりする目的で、飲食物などを届ける行為やその品物を指します。刑務所などに外部から物品を届ける意味もありますが、日常やビジネスでは主に「お菓子や飲み物などの心遣い」を表します(AIによる回答)。ですが元々の意味は

残念ながらすでに終了してしまったコーナーなのですが、TV朝日系朝の報道番組「グッドモーニング」内にありました林先生の「ことば検定」で出題された問題ですニコニコ

 

〇今日3月4日は日付の語呂合わせで「差し入れの日」です。そして差し入れをする時には“つまらないものですが”の意を込めて「ご笑納ください」ということがあります。これは送る品物を謙遜した時に使う言葉の表現です。そして「差し入れ」は、元々、どこで使われていたのか、と言うのがこの日の問題だったのですが…

 

回答はこちら👇

そうです、「差し入れ」という言葉が確立されたのは明治期になってのことでした。ただ冒頭に記しましたように現代では「差し入れ」は必ずしも刑務所に収監されている人への贈り物だけでは有りませんから、使い方にことさら注意をする必要はありりません爆  笑

 

 

そしてこの流刑小屋 外から見ていただけでは中がどのような造りになっているのかが全く分からなかったのですが、差し入れ口にスマホをあててフラッシュを発光させて撮影したところ、なんとビックリびっくり正座されているお侍さんが居ました。お姿を見る限りでは高級藩士の方のようにお見受けいたしました。ひょっとしたら、御家騒動の濡れ衣を着せられた無実の重罪人・大槻伝蔵公、その方ではないかと直感的に思いました真顔

そして流刑小屋の階段を登りきると、もう滝汗でしたあせるあせるあせる滝汗もうこの先には進めないゲロー

さて、今回のblogでは予定していました相倉集落までは辿り着けませんでしたがニヤニヤ今回、特にじっくりと見学したのが流刑小屋でした。そして先ほどまで居ました菅沼からは5㎞弱の距離でしたが👇の地図をよぉく御覧下さい。①が菅沼で、合掌集落があるのは庄川の右岸です。そして「五箇山総合案内所」や「村上家」がありましたのは庄川の左岸。そして流刑小屋がありましたのが庄川の右岸しかも左岸よりもはるかに高い場所に位置しています。あれキョロキョロ“金沢城下を発った流刑人は庄川左岸に着くと庄川に架けられた「籠の渡し」に乗せて右岸の流刑地七集落に降ろされました”とありましたよねえーそしてchuは流刑地とされています七つの集落全てを確認したわけではないのですが、菅沼では①のところに籠が架けられており①の位置(右岸)は高い場所にあり、籠は左岸に降りていました。流刑地は右岸ぢゃなかったのキョロキョロなる疑問が生じました。そして何より人々が暮らしている菅沼の合掌造りの集落は庄川の右岸に位置していますが、菅沼集落は流刑地ではありません真顔また集落の中心街であります「村上家」があった場所は確かに左岸にあるのですが、「村上家」付近まで送られてきた流刑人は、この場所からでは籠を使い右岸には行けませんよえー何故なら②の方が、「村上家」がある集落の中心地よりもはるかに高台だからニヤリ先ほどchuが見学させて頂きました流刑小屋は昭和の半ばに豪雪で倒壊したものを古文書を参考にして復元されたものとされていましたが、ホントにこの場所にあったのえーと突っ込みを入れたくなるところばかりでしたニヤリ

“このままでは引き下がれないパンチ!”と思い、そのため持ち前の粘着力爆  笑を用いたchuウインク粘り強く調べてみたところ、ありましたありましたクラッカー合格ウィキペディアで「流刑地」「五箇山」と調べてみたところ、ヒットしたのがこちらでした👇

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E5%88%91%E5%B0%8F%E5%B1%8B_(%E4%BA%94%E7%AE%87%E5%B1%B1)

そして7つの集落の詳細がこちらの地図です。左下の赤字で〇囲みした場所が菅沼集落ですので、要は「五箇山」の中では観光客が訪れている菅沼は流刑地ではなかったのです真顔すると庄川に架かっていたあの籠は何だったんだいえー“ここは流刑地です”をアピールするための仕掛けだったのですねプンプンそして青字で〇囲みしました③の場所は流刑地に指定された7つの集落のうちの一つである田向集落で、やはりあの流刑小屋は現地で建て替えられたものでした真顔また既説明させて頂きました通り、7つの流刑地は見事なまでに庄川の右岸に位置していることがわかります。

 

※流刑小屋の置かれた集落一覧(1.小原、2.猪谷、3.田向、4.大島、5.籠渡、6.大崩島、7.祖山)。いずれも籠の渡し以外に交通手段のない、庄川右岸に設けられた。

 

そして再掲になりますが最後にもう一度だけ、問いかけたい真顔田向集落(「村上家」があった所です)、昔は架けられていませんでしたが今は架橋されています庄川を跨ぐ橋です。左が左岸、右が右岸です。そしてchuはこの写真を撮影するにあたりカメラを斜めにして撮影したのではありません。どうです、どう見ても左側(左岸)の方が低い(ロープも左側が下がっています)ですよねえーなのに、ぶどう藤のツルを束ねたぶっといツタに吊るした籠が、低い方の左岸から高い方の右岸に動くのかニヤニヤもし人力を使わずにかような現象が生じていたのであれば明らかにニュートンの法則に反しますのでこれは世紀の大発見キラキラひらめき電球キラキラひらめき電球キラキラひらめき電球 びっくりポーンびっくり残念ながらchuは文系の人間ですので仮説すらもたてられませんでした爆  笑

以下次号 次は何があっても相倉に辿り着かせますパンチ!爆  笑