さて、バラの鑑賞も終わりましてお次はポピーの鑑賞をウインクしかし実はこれ、5月20日のものですので既に見頃は過ぎちゃったかも知れません滝汗相も変らぬ遅筆をここにお詫び申し上げますショボーン実は今回のポピーのお披露目はこちら👇5月11日だったのですが、11日は仕事だったことと、前日の10日に道路の上から会場付近を見渡しても、まだ満開とは言えない状態でしたので訪問を10日間ほど遅らせたのでしたニコニコその甲斐あって、満開のポピーは鑑賞出来たのですがウインクblogにするのが遅れてしまったのでした叫びあせるあせるあせるパンチ!

それでは気を取り直してこちらからてへぺろここは「ふれあい松戸川」も流れる江戸川左岸の河川敷ニコニコ千葉県最北部に位置する野田市(旧関宿町)に端を発する江戸川ですが、実は江戸川の水源は旧関宿町にあるわけではなく、源流は新潟、群馬県の県境にある三国山脈を水源とする国内2位の長さを誇る利根川です。そして今ではその利根川は千葉県銚子市を河口とする太平洋に注がれる大河川となっているのですが、江戸に幕府が開かれる以前の利根川は幾つもの小河川を分離合流させつつ、埼玉平野(埼玉県北葛飾郡周辺)を貫通し江戸湾(今の東京湾)に注がれていました。しかし大雨が降ると水害が度重なる事から徳川家康は江戸に入府すると治水のため利根川東遷事業を開始。その結果、利根川は現在の流路となったのですが、この事業の際に、千葉県の東葛飾郡から埼玉県の北葛飾郡一帯に流れていた小河川を集め、新たに人工的に造られた河川こそ、江戸川だっのです。結果、江戸川をはじめとする利根川水系の整備によって新たに舟運路が開拓・整備され、江戸へ各地からの廻米など物質を運ぶ輸送経路として繁栄。河川沿いには河岸とよばれる港が整備され、大きな河岸は野田や松戸など、現在も流域発展の拠点となる独自の文化をもつ都市として発達したのですウインクそしてこの舟運は鉄道が発達する大正まで、江戸川の持つ最も大きな役割の一つだったのです照れと、以上が江戸川が誕生した経緯をごく簡単に説明したのですが、ではchuが冒頭に記した「ふれあい松戸川」って何よキョロキョロ

なるご質問も当然、出て来るものと思われますウインク一発で説明されている公刊資料が少ないのでchuが拙い文章で説明させて頂きますが、簡単に言えば「流水保全水路」です。流水保全水路とは、汚染された小河川が本河川にそのまま注がれると本河川までもが汚染されてしまうため、それを避けるために人工的に造られた河川のこというのですがイメージで言うとこのような感じになります👇

現在の江戸川は首都圏(東京、埼玉、千葉)の飲料水の水源となっているのですが、水源となる江戸川の水を安全で良好な水質にするため、江戸川周辺を流れる汚染された小河川をそのまま江戸川に合流させることはなんとしても避けなければなりません。しかし現実には江戸川東側の比較的近い位置に南北に流れる坂川(さかがわ)と言う小河川があり、松戸市の中心部で江戸川に合流していたのですが、こうなるとそのすぐ下流には千葉県民の水源とされる栗山浄水場と野菊の里浄水場、東京都民の水源となる金町浄水場が取水する水は汚染された水ということになりますゲローもちろん浄水場では飲料に適応させるための浄水を行うのですが、最初に取水した水が汚ければ汚いほど、浄水にするための薬品投与も多くなりますから、その結果、所謂、カルキ臭が強く残る“美味しくない水道水”になるのですショボーンまた坂川は一時は“汚い川日本一ガーン”なる何とも不名誉な称号も付されるほどの状態が続いていたのですが、何故、そのような状態になったのかと言うと、chuの故郷でもある松戸市、は、昭和40年代前半には東京のベッドタウンとして人口が急増し周辺には住宅が密集してきたのですが、当時の松戸市では本下水道の整備が人口流入のスピードには追い付けず、結果、生活排水がそのまま坂川に垂れ流しされ始めたことにありました。しかし松戸市もこの状態を手をこまねいてみていたわけではなく、市内全域の本下水整備に取り掛かります。しかし本下水の整備と言う事業、見た目の派手さはまるでなく、しかし巨額の経費が掛かることはあまり知られていません。当時の宮間満寿雄市長は「すぐやる課」を作ったことで知られるアイデア市長・松本清市長の急逝を受け、急遽、実施された市長選挙に当選し就任された市長さんなのですが、松本清前市長はパフォーマンスが上手く、“目に見えるもの、カタチとして残るもの”を創り上げ松戸市民からは勿論の事、全国的にも注目を集めた市長さんでした。しかし、その何倍もの資金を必要とする本下水道の整備は市民には見え難く、“今度の市長は何をやってるんだ”“松本前市長の方が市民のためになること(ハコもの造りなど)をやってくれていた”との声も上がることにかなりのジレンマを抱かれていたと述懐されていたことがありました。ちなみに余談ですが日本で一番最初に「すぐやる課」を作ったアイデア市長の松本清さんは、あのドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者でもありますウインクとまぁ、松戸市内の本下水道が整備されてきたことで生活排水がそのまま坂川に流入することは徐々にではありましたが減って来たことと、実は今、お花畑になっている河川敷の地下には「古ヶ崎先浄化施設」という大規模な浄化施設(※💩を処理する水処理施設ではありません)が作られ、そこで浄化された水が江戸川に沿って流れ、ここから数キロ先の柳原水門にて江戸川に合流するのですが、この“浄化された川”こそ「ふれあい松戸川」なのです。つまりこの流域には江戸時代に作られた江戸川と、平成になり造られた「ふれあい松戸川」の二つの人工の河川が北から南に向かい並流ているのですニコニコそしてこちらがお花畑の地下にある浄化施設にて浄化された川ビックリマークこれが「ふれあい松戸川」なのですチュー

こちらが「古ヶ崎浄化施設」の概要です👇そして〇囲みしたエリアがお花畑にニコニコ

しかし…いくら浄化済みとは言っても飲んぢゃだめですよニヤリ細菌類は取り除けていないのですから、ここの水を飲もうものなら確実に胃腸炎を起こしますよえー叫び

この浄化施設の地上部分(河川敷)を「江戸川松戸フラワーライン」として春はレンゲ、秋はコスモスの花畑とすることに決めたのが平成7年(1995年)のこと。間もなく30年が経過しようとしていますニコニコ

浄化施設の上に立つ記念碑 

と、今までは江戸川の歴史、坂川が汚染していた経緯と清流に近づけるための松戸市の諸策、古ヶ崎浄化施設などに付き詳述して参りましたが、やっとここから本題のポピー観賞ニヤニヤ大変お待たせいたしました爆  笑4枚上のイラスト、「古ヶ崎浄化施設」でも図示しましたが、お花畑になっているのは正面に見えています上葛飾橋(かみかつしかばし=昔の「松戸橋有料道路」で、橋を渡るだけで250円(※当時のアルバイトの平均時給が500円前後の頃ですから、今だと5~600円に相当します)も徴収されていましたからとても空いていましたが、無料開放されたとたんに朝夕は渋滞必至な道路になりました泣)を挟んだ南側のエリアのみで、橋の向こう側にも浄化施設は地下にありますが、お花畑としては活用されていません。

江戸川堤防を自転車で行く人をカメラ 「絵」になりますね照れ

びっくり、中央の尖がったものは何!?

東京スカイツリーでしたウインク

そしてこのお花畑、ボランティアさんの種蒔き会によるものなのですが、場所によってはこのようにキッズの皆さんにより種が蒔かれていますニコニコ

ところで1995年(平成7年)、この場所がお花畑として整備されたことを記念したモニュメントには“春はレンゲ、秋はコスモス”と刻まれていましたが、ここ最近では春に咲く花はポピーです。ポピーとレンゲは同じく初夏に咲く花ではありますがポピーがケシ科であるのに対し、レンゲはマメ科。二つの花は異なるのでしたウインクいつの頃からレンゲからポピーに変わったのか…!?については分かりませんニヤニヤただ、毎年春と秋にはとても綺麗な花を鑑賞させてくれます「江戸川松戸フラワーライン」、は松戸市民の憩いの場として、広く松戸市民に愛されているのでしたウインク照れなお最後に、地味ながらも松戸市内の本下水整備に最大の御尽力を頂きました元松戸市長の宮間満寿雄さん、その功績は今の「ふれあい松戸川」にも繋がり、江戸川流域に住む千葉県及び東京都の住民が安心、安全な水道水を利用出来るようになりましたことに心よりお礼を申し上げたく、しかし6期21年の長きに渡り市長職にありました在任中の平成6年5月15日に急逝されたのですが、平成7年6月19日に「松戸市名誉市民」として顕彰されておりますことを御紹介させて頂き宮間満寿雄元市長の功績を称え、感謝の意を表し、終わらせて頂きたく思いますウインク