今回からは2023年10月に上京した際の記録、一昨日までの“2023紅葉シリーズ”の執筆を優先させていたためこのままお蔵入りかなぁと思っていたのですが、しかし快晴の下、28000歩近くを歩いた、とても気持ちの良かった中秋の散歩。「中秋の都心さんぽ」と題して3回シリーズでお届けする事にしましたお出かけしたのは10月12日の木曜日。あれその頃はまだ紅葉取材には出かけてなかったぞ…と思って自分のblogを振り返って確認したところ、6月に赴きました北海道の記事を連載中でしたリアルタイムにお届けすることが中々少ないchuのblogですがまぁそんな重要なことを綴っているわけぢゃありませんから、実際にお出かけした日時と掲載日時がズレても何ら世間に影響を与えるわけでもなく、ご容赦頂ければ幸いですなお今回の「中秋の都心さんぽ」、28000歩を歩きながら非常に多くの枚数の撮影をしていましたが、その中から都心の今をお伝え出来るものを中心に沢山の枚数を掲載するため、何時ものblogに見られる永い解説文は極力、省かれていますので普段よりも読みやすいことと思われますそれではご一緒に歩いている気持ちになってGo
この日の上京、第一歩目は有楽町東京駅を出発したばかりの東海道新幹線が西に疾走していきます🚅🚅🚅
正面に見えているのは交通会館ビル 学生時代、あのビル内のテナントでバイトしてたなぁちなみに当時の時給は450円正に隔世の感があります
有楽町駅の奥に見えているガラスを主体とした流線型の建物は「東京国際フォーラム」。元々あの場所には東京都庁があったのですが、都庁舎が新宿西口に移転してしまい東京の中心は新宿に移ったか学生時代はともかく、働くようになってから、chuはあまり、新宿には行かないんですよねざわついているし、それに家から遠いいし
東海道新幹線、ここからでは列車種別まではわからないのですが1時間当たり10本くらい、しかも上下線が通りますから1分間隔で見かけます。ですがchuはもう東海道新幹線には10年以上、乗ってませんねぇだって用ないんだもん
そしてこの日の第一目的である、とあるMissionを達成するために銀座にとうちゃこ
「銀座の恋の物語」の碑 まだ社会人になったばかりの頃、職場の部課長ら幹部や上司に連れられ二次会のスナックでカラオケと言えば演歌しかありませんでしたなぁ(いわゆる忖度でした友人同士でスナックに行った時は松山千春さんとか谷村新司さんを好んで歌ってましたけどね)
数寄屋橋交番は待ち合わせの定番この交番の特徴は尖がった屋根なのですが、何をモチーフにしたのかと言うと「まち針」なんだそうです
正式名称は「有楽町センタービル」ですが一般的に知られている名称は有楽町マリオンですオープンは1984年とまさにバブル前夜2大テナントとして「西武百貨店」と「阪急百貨店」東京に関西系私鉄の百貨店はとても珍しかった最もこれよりも前から吉祥寺には「近鉄百貨店」はありましたが。なお有楽町マリオンの場所は江戸時代、大岡越前守の南町奉行所がありました
有楽町マリオンの名物、からくり時計ですが、1分経過しちゃいましたから、ちこっと遅かったですが次のからくり作動はこの後59分後。これを待つほどchuは暇人ではありません
有楽町電気ビル、はオフィスビルですが、1階や地下には飲食店のテナントが入っていて週末のオアシスでした
おぉ、「謝謝」、ここで良くランチを食べたなぁ
“都心の街中華”といった趣きですが、価格も比較的リーズナブル。そして炒飯をこよなく愛するchuはここでも食しましたが、そのお味はまぁ普通でしたが付いてくるのは炒飯スープぢゃなくて定食に合わせたであろうみそ汁なのそこは大減点でした炒飯にはちゃんと炒飯スープ、出せよ
日比谷に辿り着きました。「東京ミッドタウン日比谷」です
次いでやって来たのは「日比谷公園」噴水と青空がとても似合います
「東京ミッドタウン日比谷」をバックに、日比谷公園の噴水です。お昼休みの時、ここで寛いでいるとよくTV局のインタビューを受けました。chuは仕事柄、政治的な発言は出来ませんでしたので全てお断りしていました
おっと、こちらは「日比谷公園」の第二花壇。2024年の5月まで工事は続くようで閉鎖中です。なんの工事かな👉都立日比谷公園は、日本における近代的洋風公園の先駆けとして明治36年(1903年)に開園した都立公園です。皇居など周辺と一体となった都心の貴重な緑と憩いの場として、長きにわたって都民に親しまれてきました。都は、令和3年(2021年)7月に「都立日比谷公園再生整備計画」を策定し、開園130周年を迎える令和15年(2033年)の完了に向け、本公園をエリアごとに段階的に整備していくこととしています。 本計画では、日比谷公園を、年齢、性別、国籍、障害の有無などに関わらず、誰もが利用しやすく、楽しめる公園に進化させ、将来の都民へ引き継いでいく必要があります。令和5(2023年)年7月に本計画の実現に向け、事業計画として「バリアフリー日比谷公園プロジェクト」を取りまとめました。以上、東京都建設局HPから転載しました。しかしこの後も段階的に整備、ということになると、あの紅葉の名所もこの先、クローズになるんだろうなしかも全ての整備が終わる完成予定は2033年って、あと10年後そんな先まで生きてるかどうかわかりゃしないどうも今年の紅葉鑑賞が最後だったかもです知ってりゃ、もっと晴れた日に出向いてましたよ
「東京ミッドタウン日比谷」と帝国ホテルを背景にした噴水 まさに“都心のオアシス”の光景に相応しいですね
こちらが雲形池 紅葉の鑑賞ポイントです
紅葉の季節、まさにここからのアングルが最高なのです
中央合同庁舎が連なります
年の瀬になり、今、最も注目されてきた省庁が入る中央合同庁舎6号館 この中の「東京地方検察庁」がそれ。なお同庁は最高検察庁の下部組織のため中央省庁ではないのですが、東京地検の中の一組織である「特別捜査部」、そうです、通称、特捜部と呼ばれる部署こそ“日本最強の捜査機関”で、その動きが最大の注目を集めているのです(と、特捜部の説明をしてきましたが、現在特捜部はこの庁舎内ではなく、千代田区九段南にある九段合同庁舎に移転しているようです)特捜部の概要はWikipediaからも知ることが出来ますが、弁護士事務所のHPにはわかりやすく説明された箇所がありましたので、二つのサイトをリンクさせて頂きます👇
現在、自民党の各派閥での政治資金規正法違反が次々に明らかになりました。特捜部は果たして“悪の枢軸”にメスを入れることが出来るのでしょうか今日のこの事態、何時ぞやの究極の“官邸の守護神”を造り出そうとして最後の最後に失敗に終わったことが影響しているのかも知れません。もし成功していたら握りつぶされていたのでは、と裏で糸を引いていた(と容易に想像出来た)2人のうちの一人は、もういません
こちらには“赤レンガ派”と呼ばれる検察官(法務官僚)が勤務しますので直接、事件捜査には加わりません。ですが方向性を決める最終の決裁権者が“官邸の守護神”であれば事件化されることはなくなりますからね
法務省に勤務する検察官(法務官僚)の、“赤レンガ派”の語源である法務省の赤レンガ棟
👆にも説明されていますが法務省の赤レンガ棟は重要文化財に指定されています。
https://www.moj.go.jp/housei/tosho-tenji/housei06_00005.html
さらにこの建物の内部は一部エリアのみではありますが予約不要で見学できる施設もあります👇
https://www.moj.go.jp/housei/tosho-tenji/housei06_00004.html
こちらは中央合同庁舎2号館(左側)と、右手前は警視庁。左のビルには警察庁も入ります。言わばこのエリアは日本警察の中枢と言ったところか。
国会議事堂 国民の代表として、中身のある議論を続けて欲しいのですが、果たしてその職責をこなしている方はどれくらいいるのでしょうか
こちらは現存する江戸城11か所の城門のうちの一つで桜田門 幕末期、幕府の事務方トップでありました大老の要職にあった彦根藩主の井伊直弼。井伊直弼は自身が推し進めんとする幕政を快く思っていない志士たちを片っ端から取り締まり、弾圧。“安政の大獄”と呼ばれた恐怖政治を敷いていたところ、帝の勅許をえずして開国の方針を推し進めたことから攘夷論者の標的となりました。水戸藩を脱藩した旧水戸藩士らが中心となり暗殺を遂行。世に伝わる“桜田門外の変”はこの場所で起こったのでした。
そして桜田門を潜ると、昔は城内でしたが今は皇居前広場と皇居外苑が広がりますお濠の水面に映っている高層のビル群は千代田区丸の内一帯。岩崎弥太郎が開発を手掛けたことから150年の歳月を越え、現在も旧三菱財閥系の企業の本社屋が連なる“三菱村”を形成しています。そして実はここからの夜景、とっても綺麗数年前にアップしたblogがありますので、ここにリバイバル投稿(現在と比べるととっても拙い構成ですしかしその分、文章も短い)
砂利が敷かれた皇居前広場です
そしてこちらが皇居の正面に当たる二重橋 手前側が正面石橋で、その奥に架かる橋が正面鉄橋と呼ばれています。
奥に見えているのが江戸城伏見櫓 年始の一般参賀や天皇誕生日などに参加する際は、この二重橋を通って宮殿前まで進みます。来年の一般参賀はもうすぐ(令和6年1月2日)。宮内庁より要領が公開されていますので参加をお考えの方は御参考にして下さい👇
正面石橋です。この辺り、観光客がいますが日本人はchuのみだ
皇居前広場を北に進むと宮内庁が見えてきました(緑色の屋根)。手前は坂下門です
「中秋の都心さんぽ」、中編に続きます