10月末に訪れた新潟紅葉鑑賞を一回お休みを頂き、日常のお出かけ、「駅からハイキング」に参加した様子をお届け致します
11月20日に参加しました今回の駅ハイ、JR常磐線の我孫子駅から天王台駅まで、“物語の生まれるまち あびこ”をコンセプトとした7㎞のお手軽コース同じ駅ハイでも10㎞を越えるコースだと翌日には少々体にダメージが残りますからねそして今回の駅ハイでは10月27日に急逝されましたとても大切なブロ友の「ごじゃっぺ母ちゃん」様を偲ぶお出かけに致しましたことを申し添えます。
そして我孫子と言えばこれ👇画家の山下清さんが我孫子駅のホームにあります立ち食いの駅そばや「弥生軒」で働いていたことはあまりにも有名
そして弥生軒さんの名物と言えば唐揚げが入った日本そば👇実際chuも食べたことはありますが…う~ん、好みの問題とは思いますが、ねぇあ、chu的には「コロッケそば」は全然オッケーなんですが、ね
さて、駅改札を出て右側にありました「駅ハイ受付コーナー」、今まで都内の駅ハイ参加が多かったこともあるのと、まぁ今日は平日ですからなのでしょうが参加者がごった返すということもなく、少々拍子抜けしたスタートとなりました。てか、参加者が少ないと先を行く“目印”となる同好の士がおりませんから、道を間違えないようにしなきゃと何時もよりも緊張の面持ちに
ん「物語の生まれるまち あびこ」って、今回の駅ハイのテーマと同じだどんな意味があるのでしょうかそれは歩いてみなきゃ、わからない
あ、実は我孫子はchuの住む松戸とはわりと近くてJR常磐快速線に乗ればわずか二駅、15分もかからず着きますから東京都心部に行くよりも近いのですが、普段は用がないので我孫子駅周辺には全くと言っていいほど訪れることはありませんしかしここは水戸街道が通る宿場町。松戸も昔は「松戸宿」、そして次の宿場は同じ松戸市内の「小金宿」。「我孫子宿」は「小金宿」の次の宿場町ということになりますそして「我孫子宿」の次は利根川を渡り茨城県に入った直後の「取手宿」。こうしてみると現在の常磐線の駅で言えば松戸、北小金、我孫子、取手、と並んでいます。なるほど、これらの町は昔も宿場町として栄えていたんだな、とわかるのですが、ここで一つ抜けている街が…。それは「柏」。ですが通勤電車が走る区間の常磐線(茨城県取手駅まで)沿線で最も栄えているのが柏駅の周辺。江戸時代以前には宿場もなく、取るに足らなかったであろう柏駅周辺が、なぜに急にも“東の渋谷”なる言葉も生まれる程発展したのかは謎であります「駅ハイ」にて柏を歩く機会がありましたらその謎を解明したく思いますのでこうご期待
最初の訪問スポットは「杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)記念館」明治末期から昭和初期にかけて東京朝日新聞社で活躍されたジャーナリスト、杉村楚人冠さんの自宅を改修した記念館との事。杉村さんは新聞社に調査部や記事審査部を設ける等、新聞業界の発展に尽くされた方との事です。なおここもそうでしたが、これから行く“我孫子と文学”を解き明かすであろう各種の記念館があるのですが、“月曜あるある”の言葉通り、全て休館でした駅ハイ、月曜日に参加しちゃ、ダメですよねぇてか月曜日のコース設定はお休みにすりゃいいのに
なお記念館はクローズしていましたが庭園内の散策は出来ました。紅葉にはまだかなり早かったのですが「ししおどし」があり、暫し眺めていました(^^)/
こちらは「白樺文学館」しらかば、白樺、…文学 あ白樺派と関係があるそうです、記念館は月曜休館のため中には入れませんでしたが、この記念館は柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎ら白樺派と呼ばれる文学者たちが手賀沼のほとりに移り住み、文学活動を行っていたことを広く次世代に伝えるために設立された記念館だそうです
「白樺派」、chuは高校の時に「現代国語」の授業でその概要を習った記憶はありますが、今回の駅ハイ参加まですっかり忘れていましたので復習の意味も込めて、皆様も御一緒にどうぞ👇
「白樺文学館」からは目と鼻の先にあるのが志賀直哉が住んでいた邸宅跡地
“小説の神様”とも称される白樺派を代表する小説家、志賀直哉は我孫子で「城の崎にて」「和解」「小僧の神様」などを執筆。また代表作「暗夜行路」を執筆した書斎が保存されています。しかしこれも月曜日のためしっかり固く閉じられていました
こちらが書斎の説明
しかし大作家が幾つもの小説を書き上げた書斎にしてはあまり大きくは…ないですねでも入ってみたかったま、近くですからその気になればいつでもチャンスはありますよところで白樺派の面々が我孫子に集結したのは、柳宗悦が結婚した声楽家の中島兼子さんの叔父で講道館を創設した嘉納治五郎さんの別荘がここ我孫子にあり、その隣に居を構えたことが始まり。東京から常磐線で1時間余り、眼下には美しい水面を湛える手賀沼が広がるこの光景を柳がいたく気に入り、柳の誘いもあり志賀直哉、武者小路実篤ら続々と移住してきたのだそうですですがこれらの面々が我孫子に居住したのは大正時代の一時期だけで、期間としては決して長くはなかったようなのですが、しかし彼らが若い感性を磨き合い、ここで既存の芸術や文芸から自立を模索したことは、明治とは違う新たな時代を模索した大将の人々に大きな影響を与えた、と案内板に記されていました
次は「旧村川別荘」 こちらは西洋古代史学者の村川堅固が建てた別荘。大正から昭和にかけての別荘地としての我孫子の様子を今に伝える建物傾斜地に建つ別荘はやはり眼下には美しい手賀沼が眺められることでしょう。しかしここも“月曜あるある”のため休館でしたちなみに我孫子のエリアにはこうした傾斜地が多く、台地の崖を「ハケ」と呼ぶそうで、その「ハケ」からは降雨により台地に染込んだ豊富な湧水が各所にあり、また「ハケ」の下は安定した平坦な土地が続くことから集落と集落を結ぶ「ハケ道」というのが出来たそうな。そしてchuが今歩いている道がまさにその「ハケ道」。進行方向の左側が急斜面で右側には家屋が建ち並んでいます。そして「ハケ道」は平地ですから、ここからは手賀沼は直接、見えませんなお、この「旧村川別荘」、平成になり取り壊しの計画があったそうなのですが市民からの保存運動が奏功し今に至っているそうです
そしてやっと、手賀沼湖畔にとうちゃこ
こちらは「手賀大橋」 千葉県道8号線、通称“船取線”の主要道路交通量も多くchuもでは多用しています
キラキラ輝く水面が美しい先ほどの、「ハケ」の上の高台から眺めたらさぞや美しいことでしょう
この「手賀大橋」の真ん中が我孫子市と、お隣の柏市との市境となります。この後、天王台駅に行くためどのみち戻らなきゃでしたから橋は渡り切りませんでしたで、途中で引き返して手賀沼湖畔の北側にあるのが「手賀沼親水広場」。11月も下旬になってもなお夏日に近い陽気が続いていましたが、さすがに親水広場で水と戯れる歳でもなくパス
「手賀大橋」を眺めつつ先に進みます
キラキラ輝く水面が美しく、何枚も
そして湖面に突き出ている木道から眺められるものは…
おっと、河童だ突如、沼の中から河童が現れました
さて、次に向かったのが「水の館」
「水の館」1階には農産物の直販所で「あびこん」以前、何度か来たことがありました。もちろんでですこちらの直売所、レストランも併設されている他、上の階にはプラネタリウム、最上階は手賀沼を望む展望室になっていて。中々充実した施設です
んお野菜も充実してます松戸に開店した農産物直売所「さいてって」よりもスケールがデカいこちらにて昼飯を調達しました
「あびこん」前にありました我孫子市内の観光スポットを説明している看板です。普通、こうした観光看板は駅前などにありそうですが、なかったなぁそして先ほど来、訪れていたスポットは網羅されていましたから、我孫子の主要観光地を歩いていることになります
そしていつしか今回のコースの中間地点を越え、今度は水戸街道の宿場町でありました「我孫子宿」から成田方面への分岐点でありました「成田道追分」にですが江戸よりも前、現在、成田街道と呼ばれている道は以前は「江戸道」と呼ばれており当時の「江戸道」は東我孫子、湖北、布佐、利根川を渡り水戸へと続いていたそうです。しかし江戸時代になり徳川幕府は「水戸道」を五街道に次ぐ重要な脇街道に定め人の往来を統制。その後、陸路、水路の整備が進み布佐方面から利根川を渡るルートを通っていた水戸街道はルートの変更がなされ「我孫子宿」から「取手宿」へと現在の常磐線のルートに変更されたそうです。そしてかつて「水戸道」と呼ばれていたこの場所が「成田道」の起点となったそうですそして現在では国道356号線の起点としてここを東に進めば太平洋に面した日本一の漁獲高を誇る千葉県の銚子市へ至るのですなおこちらの看板にははっきりと“成田街道”と記されているのですが、成田街道は船橋~佐倉、酒々井を経て成田に至る国道296号線だと思いますので、成田街道ぢゃなくて、単に「成田道」ではないのかなと思うchuでありました。しかしいずれにせよこの場所が、新しくなった水戸街道と一度成田方面に向かった後に北上して水戸に向かった昔の「水戸道」との分岐点、そして今では成田方面に向かう「成田道追分」となったたのでした。
成田追分から成田方面を望みます
こちらは「成田道」、国道356号線と途中までですが並走して走るJR成田線我孫子支線。“我孫子支線”というのは実は正式名称で、本来、成田線はJR総武本線の佐倉駅を起点とし、酒々井、成田、佐原、小見川などを通り銚子へと至るルートなのですが、ここ我孫子から成田に至るこの線路も成田線の一部であり、しかし成田線として一括りにしてしまうと混乱が生じるため敢えて「成田支線」としているのです上野東京ラインとも相互直通運転をしており、常磐線の快速電車が品川からそのまま成田まで行く電車も数多くあります。しかし常磐線から分岐した先は終点の成田まで全線がこのように単線👇一気にローカル色が強まりますちなみに写真の奥側が成田方面そしてchuの小中学校の友達のMMさんはこの先に住まわれています多分、「安食」駅か「下総松崎」駅のどちらかに安食、と書いて「あじき」、下総松崎、と書いて「しもうさまんざき」と読ませる、両駅とも読むのが難しい難読駅名の一つですお~い、MMさん、聞こてますかぁ近くまで来ましたよお互い歳をとりましたが元気に頑張りましょう
そして今回の駅ハイではこんなところも立ち寄りスポットにJR常磐線の車両基地ですよただ、鉄分が濃いい方にはなのでしょうかワタクシ的には、鉄道写真を撮ることはありますが、車庫ぢゃ、ねぇ
でもでも、何時も利用していた常磐線の車両が勢ぞろい前言撤回しますぅなかなかなもんぢゃないですかけど、chuが乗っていたのは東京メトロ千代田線や小田急小田原線と相互直通乗り入れしている常磐緩行線の車両でしたから、これらとはちこっと、違うんだなぁあ、あと👆の看板には「松戸車両センター我孫子派出所」とありますように、“本部”は、chuの住むわが松戸市にある車両基地ですがスケールはこちらのほうが断然デカい“庇を貸して母屋を取られる”ん、ちこっと意味は違うかちゃんと、“「松戸車両センター」に所属している、私は我孫子にある、ただの派出所ですよ”って正直に言ってますから許すこととしますか
「あびこん」を出た後は、県道「船橋取手線」を北上し、そのまま歩けばすぐここに来られるのですが、「成田追分」やら「松戸車両センター我孫子派出所」等がコースに組み入れられているため地図上を蛇行しながら歩く歩かせられるのが駅ハイですそしてここは県道船取線と国道6号線(水戸街道)とが合流するほんの少し手前にある、我孫子市柴崎にあります向原歩道橋。この歩道橋を渡り反対側に行くのですが、この歩道橋の老朽化が凄い所々に陥没した箇所があり穴が開いています真下は交通量がとても多い主要県道歩行中、万一この歩道橋が倒壊しようものなら大惨事になりますということで、今回の駅ハイはJR東日本と我孫子市との共同企画のようでしたので、すぐさま我孫子市には“向原歩道橋をこのまま使い続けたら危険ですよ”とメールを送っちゃいました
朽ちた歩道橋でしたが、ここを渡らなければ次のポイントに行けませんから恐る恐る、倒壊しないことを祈りつつ渡りますすると少し雲は出でいるものの快晴と呼んで差し支えないこの青空視界の先には「日本百名山」の一つを構成している筑波山
筑波山からやや西に当たる視界の先は茨城県南西部に位置している古河市。実はずっとお話をさせて頂いておりましたブロ友さん、「ごじゃっぺ母ちゃん」(私は何時も“ごじゃっぺお母さま”とお呼びしていました)が10月も末の27日、突然、本当に突然、急逝されたのです。直接、お会いしたことこそなかったのですが、ごじゃっぺお母さま、お出かけと写真が大好きで、chuと重なる趣味が多くたくさんたくさんお話させて頂いておりました。葬儀などを終え、ほんの少しだけでしょうが日常を取り戻しつつある中の先日、御子息様、御令嬢様らの御子供様がごじゃっぺお母さまのblogを更新して下さり、そのことをお伝え頂けたのでした。お母さまは以前、松戸にもお住まいだったこともあり、それこそchuと同じ町内の時もありましたからきっとどこかですれ違っていたと思われます。chuが発信する松戸のblog情報もよく読んで下さり、その情報を基に古河から松戸まで足をお運び頂きましたことも数多くあります。またそれとは逆に、ごじゃっぺお母さまが発信して下さる情報を基に、chuが茨城、栃木県方面へ遠征したことも沢山ありました。報を受け、古河までは出向けませんでしたが、古河方面を望めるこの場所から…歩道橋の上と言う、高いところからでもあり礼を失していること、申し訳ない限りなのですが、ごじゃっぺお母さまの御冥福を衷心よりお祈り申し上げさせて頂きました。本当に今までありがとうございました。またいつか、chuもそちらの世界に参りましたならば従前同様の御交誼の程を宜しくお願い申し上げます。
向原歩道橋を渡り反対側に来るといきなり里山の趣き何なのぉこの違いは
しかし200mほどの竹林や雑木林を抜けると忽然と住宅が出現 戸建ての建売住宅です。本日のゴールとなりますJR常磐線の天王台駅から徒歩で12分と至近、そしてなんと敷地面積は301.55㎡、91坪もある大邸宅然るに124.69㎡(37坪)の未利用地あり、と小さく書かれていました何この未利用地って…利用したくても出来ないんでしょchuが想像するところでは斜面斜面だけで37坪って…37坪あれば4LDK車庫付きの家が建ちますよ利用出来ない“未利用地”分も固定資産税算定の際には個人の所有地にカウントされますから、もしホントにこの未利用地が斜面だとしたら無駄な税金を永遠に支払い続けることになりますちなみにこの大邸宅、5LDK、車庫2台分が用意されていて価格は44480万円(税込み)。
御関心のある方はこちらをご覧くださいね👇
さ、残りわずかですちゃちやっと行っちゃいましょうこちらは曹洞宗の寺院で東源寺。境内には根元の周囲が6m、高さ24mの大木、榧(まがや)の木があります。写真、左側の木ですがデカすぎて全部入り切りませんでした
こちらが榧(まがや)の木
そして最後の立ち寄りスポットがこちらの柴崎神社。天慶元年(938年)、日本武尊が東征の際に創建したと伝えられている古社。地域の総鎮守だそうです
神域にありますこちらの亀の石像、狛犬ならぬ狛亀というようなのですが全国的にとても珍しいそうで妙見信仰が由来との事です
そしてゴール 今回の駅ハイ、そのコース7㎞は楽勝でした途中の休憩を入れても3時間少々。ですが、この時間だとまだ“お疲れさん会”か出来るお店がオープンしていないのが最大の悩みどころか
天王台駅に掲示されていました今回の駅ハイを告知するポスター。けど、ゴール地点に掲示されていても、ねぇ
そしてただ今の時刻は13時40分。この時間ぢゃ、居酒屋は開いてないと言うことで綿密な作戦の下、スタート地点の我孫子駅が始発の常磐緩行線に乗り換え“この電車は千代田線直通 各駅停車の代々木上原行き”です。そうです、chuが通勤に利用していた電車。懐かしぃなあ
そして熟慮の末に決まりました本日の“お疲れさん会”の会場は松戸市内に戻りましての「焼き鳥日高」開始時刻は14時10分でした
何時もながらの駅ハイからの、ごじゃっぺ母ちゃん様を偲ぶ、思い出に残る「駅ハイ」になりました。次回は新潟紅葉旅を再開させて頂きます