前回は👇

続きです(^^)/ 利根川堤防に出ました(^^)v 利根川は「坂東太郎」の別名を持つかつては“暴れ馬”の川。群馬県と新潟県の県境に位置する大水上山をその水源とし、千葉県銚子沖で太平洋に注がれる日本第2位の大河川。その昔には頻繁に洪水を引き起こしていたことから江戸時代には大幅の治水工事も施され川筋の変更もありましたが、利根川はchu的には千葉県と茨城県との県境の河川という認識ですニコニコ利根川堤防に出ると御覧のような展望台がありました(^^)/

ので、さっそく上がってみましたが、河原が広く樹木が生い茂っている上に河川の幅は広くはなく、あまり見栄えがしません(-.-)はて!?なんでここに展望台を設置したのキョロキョロ 反対の北側を眺めると筑波山が見えましたが、住宅街の上に見えているだけで、これも殊更「絵」になるsceneでもありませんね真顔

ただ、この展望台脇にはいくつかのベンチがあり、「駅からハイキング」の参加者の何人かの方はここで持参したお弁当を広げていました(^^)/ chuはお弁当を調達してこなかったので、もっと駅に近いところに行けば食事できるところがあるだろう、と漠然と思いつつ先へ進みます。雲一つない最高の青空チュー 晴れが眩しい照れ この辺りの河川敷は何面ものスポーツ広場となっていましたが、サッカー少年ばかりで⚾をしている子供たちは見かけませんでしたドクロ昨今、若年層の野球人口の減少(高野連調べでは)が言われているところですが、こんな立派なグランドが幾つもありながらのこの現況ですから、まじ、心配になってきました叫び

ここは海から82.5㎞の場所。ここを流れていてる水面はまだ100㎞弱を旅しないと、太平洋には辿り着けないのです口笛

さて、利根川堤防を1.5㎞ほど歩いて目印を右折すると「取手市民会館」。この建物にも壁画が描かれていました。貰ったパンフにはこの壁画の説明はありませんでしたのでちょいと調べてみたら、完成は今年の10月22日の広報誌に出ていますので、出来立てほやほや、「駅からハイキング」の印刷には間に合わなかったのでしょう爆  笑新型コロナの影響で活動機会が減少した市内の芸術家の支援を目的に原画作成から着彩までを市内で活動する芸術家が行ったそうで、市内では17作目となる壁画だそうですニコニコ

続いてすぐお隣の「八坂神社」を参拝。ちょうど七五三の時期ですので、お詣りに来ている親子連れ多数。こちらの社殿は取手市の文化財に指定されているほか、取手市の総鎮守として地域の皆さんを見守ってくださっている社のようですニコニコ

境内には樹齢300年もの巨大な御神木がありましたびっくり

次いでやって来ましたのは「旧取手宿本陣」。そうです、取手は水戸街道の宿場町。chuの故郷、千葉県松戸市も同街道の宿場町ですから、こうした施設に触れられると宿場町つながりで嬉しくなります照れちなみに水戸街道は日本橋から水戸までを指しますが、江戸時代の「五街道」には入っておらず脇街道のポジションに甘んじていますショボーンこれはその後の明治になって、東京を起点に各地へと鉄道が敷設されましたが、東海道や中山道、日光街道が旧国鉄(JRになっても該当していますが)時代に〇〇本線(東海道、中央、東北本線etc)となっているのに対し、常磐線はじょうばんせん、と呼ばれ常磐本線とは呼ばれていないことも、江戸時代の脇街道とされたことから、本街道(本線)よりも一段、低い位置に見られているようで悔しいですチーン 👇が水戸街道の宿場町案内(^^)/ 水戸街道は、千住宿(現足立区北千住)で日光街道から分岐して新宿(にいじゅく・現在の葛飾区亀有~金町の中間)、そしてchuの地元の松戸宿、同じく松戸市内の小金宿、次は常磐線の千葉北県東端の我孫子宿、そして利根川を渡るとここ取手宿となっていたのでした。

こちらが「取手宿」の本陣。年月の経過とともに傷んでしまったのですが、忠実に再建されたものだそうですニコニコ

もともとは地方の名士、染野さんの御自宅だったのですが、大名行列の際には本陣として召し上げられた!?ようですニヤニヤ

この一段高くなった部分が「上の間」で、藩主はここで寛がれたそうです。

欄間には、一つ一つ異なった彫り物。こうして採光することで、室内には光と影が天候や時間によつて異なる様相を呈することになるのですが、谷崎潤一郎が記した「陰翳礼讃」にはそのそこはかとなき美しさにつき、言い表されているchuの大好きな書物の一つでもあります照れ

なお、この間には床下にも欄間があったようで、警護のための藩士が潜んでいたそうです口笛

そして、このお宅が取手宿の本陣として召し上げられたのは、建物が立派で藩主をもてなすのに最適であったことと、主の染谷さんが取手の名士であったことがその理由だったのですが、明治維新後、この建物は郵便局に転じたそうで(ま、新政府により命じられたのでしょうがニヤリ)、その後、染谷家は代々、郵便局長を務めたそうでして、このことは取手に限らず日本全国、同様だったと思われますが、これが今も残る「特定郵便局」制度の起源となったようです(郵便局は、今では「日本郵便」という一応、民間の会社の機関となりましたが、小泉純一郎さんにより郵政民営化がなされる前の郵便局員は国家公務員でしたから、「特定郵便局」の局長や局員…その殆どは家族ですが、公務員試験を経ずして国家公務員となれる特殊な身分(特権ですなグラサン)をお持ちの方たちだったのです。ですのでそうした方々の(何が何でも既得権を守りたいという)団結は固く、「大樹会」(正式名称は全国郵便局長会=「全特」)という特定郵便局長が集まる会を組織し、政治的発言を強める集団となっていたのでした)真顔 こちらは郵便局として利用されるようになってから使用されていた窓口☟

そして、郵便局が発足した当初では郵便局強盗から身を守るために銃、郵便銃と呼ばれるものですが、携行が許されていたのですびっくり

新しい郵便制度が発足したのが1871年(明治4年)。当時、強盗被害が多かったことから、2年後の1873年(明治6年)に「短銃取扱規則」で郵便配達員に銃を一丁だけ所持することが認められたようで、さらに1887年、現金書留郵便の配達が増えたため、郵便物保護の為の鉄砲の所持も認められました。一方、警察官が正式に拳銃の携帯を許可されたのは、郵便配達員の拳銃携帯許可から50年も後の1923年だそうです。そして現在は、自衛官や海上保安官、さらに税関職員、刑務官、麻薬取締員も、拳銃の携帯を許可されているのですが、意外に多くの職業で拳銃の携帯を認められていることには驚きですびっくり(しかし、警察官以外の職種において拳銃や銃弾の紛失といった不祥事を聞かないのは、所持自体は法律で認められてはいますが、実際には使用されていないんでしょうね爆  笑 空や海の幹部自衛官や海上保安官の知人に聞いたことがありましたが任官後、訓練で使用したのは指折り数えられるほどだとかグラサン もっとも自衛官は拳銃ではなく、もっと殺傷能力の高い武器を使用して訓練はしていますし、それは国防のためであれば当然必要なことでありますニコニコ自衛隊は日本国民の生命と財産、国土、日本国の国体を守る組織であり他国と連携し防衛力をシェアするための組織ではない訳でして、一時的な、その時の政権による解釈で集団的な自衛権行使を可能とすることはあってはならないのが、本来的な憲法の考えの根幹なのです、とchuはその大昔ですが田上譲治先生の憲法の授業にて学んでいます(^^)v)(てか、当時は、まさか一政権が最終的に憲法との合憲性や整合性とを判断する内閣法制局長官の人事を、自分の考えを通すために今までの慣例を覆し懇意の官僚を無理くり任命するという、意のままにする人事をするなんて、誰も想定していませんでしたからドクロ叫び by Abe)

こちらは土間

屋根は茅葺屋根でしたね(^^)/ 15年に一度くらいのペースで葺き替えが必要なそうです。しかし首都圏では、一般の家庭では茅葺屋根はあまり使われていないでしょうから、葺き替えの出来る職人さんと匠の技は伝承されていかなければならないのです照れ

お次のポイントは長禅寺ですが、お寺に向かう道すがら、宿場町の面影を残す建物もちらほらと見かけました(^^)/ 手前のお宅には杉玉(酒玉)がぶら下がっていますから、造り酒屋さんのようですニコニコ

向かって右側が田中酒造店さん、左側が新六本店さん。今回の「駅からハイキング」マップを見せればそれぞれの店舗で特典がありました(^^)/ ところが、楽しみにしていた田中酒造店は、なんと月曜定休と、chuが訪れた11月3日は祝日のためお休み(>_<) 「駅からハイキング」の取手駅編は11/1~7までの一週間ですから、ましてキャンペーンにも参加されているのですから、出来ればお店は開けておいてほしかったショボーン(確実にお客さん=chu、売り上げを落としましたぞえー)

そしてお隣は新六本店 奈良漬やさんのようです(^^) /なんでも奈良漬けは取手の名物だそうですキョロキョロ

そして長禅寺に到着(^^)v 931年に平将門が創建したと伝えられています。

仏の教え照れ

お堂には、けっこう急な階段を登らなければ辿り着きませんあせるあせるあせるお年寄りにはちょっと、きついんぢゃあないかなニヤニヤ

階段上から真下を見下ろす図滝汗

「相馬霊場総本地」とあります。元々、相馬とは福島県の相馬市から下総国の流山(千葉県流山市)との関係にも見られる民謡の「相馬流山」にもあるように、常陸国の今の常磐線一帯をさすエリアであり、江戸時代に流行した四国巡礼のお遍路さんにあやかった関東版でもありますニコニコそして新四国相馬八十八カ所霊場は、現在の取手市〜我孫子市周辺に現存する250年もの歴史のある巡礼地です。この長禅寺はそのうちの一つ(^^)/

そしてこちらが「三世堂」。ご覧のように外観は二階建て(2層)ですが、建物内部は3層で、“さざえ堂”と呼ばれる珍しい造りになっているようです(堂の内部は拝観できません)(-.-)。福島県会津若松市の会津若松城(鶴ヶ城)にも、さざえ堂、ありました(^^)v

その説明など👇(^^)/

こちらが本堂

そして秋の気配、色濃く照れ

時刻は14時前となりました。ここまで昼食は摂っておらず…てか、昼飯を頂けるようなお店は皆無絶無でした滝汗散策マップでは、こちらのお弁当屋さんが5%引きになる特典がありまして口笛ですが500円相当のお弁当が5%引きってニヤニヤ でも、おなかすいちゃいましたので、唐揚げ弁当を買って、利根川河川敷のベンチで食べましたビックリマークそう、それがこの日のランチです。写真は…ありませんグラサンが、その代わりにエリア新聞の記事をどうぞ(^^)/👇

 

 

後編に続きます(^^)v