突然ですが皆さま、今年の大河ドラマ「青天を衝け」御覧になっていますか!?

基本、chuは大河ドラマはあまり見ないのですが、しかし幕末期に動いた人物に照準を当てた“幕末もの”だけは例外的に見ることがあります。ちなみに大河ドラマでは幕末ものは視聴率が取れないことが多いとの事で、意外な感じキョロキョロだって、幕末ものは近世のため史実の検証がし易く、よってストーリー全般も歴史上正しいことが殆どです(ちなみに視聴率が一番取れるのは「忠臣蔵」だそうですグラサン)。chuは徳川幕府贔屓ですので※1参照(末尾)、明治維新前夜の、所謂“新政府軍”が大嫌いプンプン幕府を頼っていた孝明天皇が謎の急逝ガーン、その後、幼帝(後の明治天皇)を操り錦旗は偽装(された、とchuは理解していますが、明治新政府はone・peaceにおける「世界政府」であるため、自分に都合の悪い史実は消してしまった、と)されたため、江戸300年を守っていた徳川将軍の功績否定につながる徳川慶喜の“朝敵”像が捏造されてしまった…。ま、幕末のことをchuに語らせましたら延々と続いてしまうのでやめますが爆笑前回(5月16日)放送の「栄一と運命の主君」は実に痛快でした照れ

こちらにてご覧ください👇(“天下の大悪党、”憎っくき薩摩の魂胆が暴かれていますニヤリ)そして草彅剛さんの演技も実にお見事ビックリマーク島津久光を罵倒するシーンではワタクシ、思わず喝采し、そして後のシーンで登場する“快なりぃぃ”では一緒に叫んぢゃいましたチュー

そして、薩摩の悪だくみにより作られた「参与会議」は☝をもって終了、このことは紛れもない正確な史実です👇ウインク 「青天を衝け」では主人公の渋沢栄一と最後の将軍・徳川慶喜との出会いから慶喜逝去の際の葬儀委員長を務めるまでの間が描かれていくものと思われますが、風雲急を告げる幕末まで、徳川将軍家は全て順風満帆に選ばれていたわけではなくて、今日、ここに至るまで将軍争いの中には多くのドラマがあったのです※2参照(同、末尾)
で、本日のお題はオープニング・ロールで流れる“撮影協力 茨城県つくばみらい市”についてニコニコ はて、何に撮影協力しているのだろうキョロキョロ!?
それはぶっちゃけ、ロケ場所を提供しているのですウインクそれがこちら👇

早い話、この「ワープステーション江戸」は江戸時代の景観を造り出した大規模なオープンセットの空間。そしてその生い立ちは新しく、2000年に「歴史公園ワープステーション江戸」という名称でオープンしたテーマパーク。経営母体は茨城県と、地元の伊奈町とが共同出資し設立した第三セクターでしたが思いのほか来場者は少なく赤字続きとなったため、その3セクは経営破綻(>_<)その後、「茨城県開発公社」が経営参画し、主にロケ地・撮影施設として活用されていました。しかしそれでも赤字経営が続いたため、NHK直営の番組制作会社である「NHKエンタープライズ」にロケ事業の運営を委託、その後はテーマパークとして入場客を受け入れながらロケ事業も並行して行いつつ、やがてパークそのものを同社に売却したのです。そしてchuがここを訪れたのは2014年6月ですので、拙blogを始める半年前のこと。確か訪れた当時は、現にロケ撮影が行われている時には部分的に立ち入りが制限されることがあります、的なわりと緩い制約があったと思いましたが場内の写真撮影は自由OK ま、はっきり言って一度訪れればそれで十分なわけてしてグラサン入場者が伸びなかったのもそこら辺が理由なのかも知れませんねニヤリ ですがその後、Photo blogerとしての活躍の場を広めたchuウインク “んぢゃ久しぶりに再訪してみるか”ってことで公式HPを覗いたところ、なんと「場内撮影不可」にガーンで、確認のため現地に架電して確認してみたところ、やはり場内での撮影は出来ないとの事チーンそれぢゃ再訪する意味がないや、と訪れていませんでした。なお訪れた当初も、ただ江戸の町並みやお城の城郭、旅籠エリアなどがセットとして設置されているだけで、何ら来場者を楽しませる催しはないので、結局は廃れてしまったのだと思うのですが、例えば京都の「東映太秦映画」や「日光江戸村」のような形にすれば首都圏からはアクセスしやすい場所に立地しているため、「テーマパーク」としてのその後の姿は異なっていたのでは、と思われます。

ですが「ワープステーション江戸」はその後、経営主軸をロケ撮影への特化を図り、誠に残念ながら一般公開は2020年3月31日をもって終了してしまったのですショボーン👇

よって「ワープステーション江戸」は現在ではテーマパークではなく、映画やテレビの「ロケ施設」として機能しているそうです。時代劇向けには江戸時代の商家や長屋、お濠や太鼓橋のほか戦国時代の城門などが大河ドラマを始めNHKの番組だけに限らず、民放の時代劇や映画撮影などにも利用されているようでして、chuが推測するところとして、ロケ地としての使用率が格段に高まったため、一般公開してお客さんを入れる余裕がなくなったということなのでしょう叫びま、経営としてはその方が安定しますから、民間企業である以上致し方ないことなのですショボーン

なお、昨年3月末までは一般公開されていたのですが、chuが訪れて以降にも施設は充実を重ね、江戸期だけではなく大正・昭和初期の景観を中心とした近現代エリアが完成し、この新エリアでは鉄筋ビル9棟を始めとした建物など、一時的なセットではない恒久建築物のほか市街地を一周する路面電車の軌道敷や、この軌道を実際に走ることが出来るレプリカ車両なども登場したようでして、数年前の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」では、この新しいエリアを利用してロケが進められていたそうですニコニコ

 

と言うことで、2014年5月に訪れていました「ワープステーション江戸」、撮り貯めてありましたセットの様子など、今では一般公開されていませんのでもう見ることは出来ないのですが、ここに貴重なその画像を公開させて頂きますウインクなおchuが訪れた当時は、場内の撮影には制限がなく、よってここに公開することも何ら規約には違反していないことを申し添えますニコニコ

 

また予め申し上げますが、chuが訪れた当時、「ワープステーション江戸」場内には江戸時代のそれぞれの景観、商店街(繁華街)、城郭と城下町、そして旅籠が立ち並ぶエリアなどに大別され、セットでの小道具細工などに使用するのでしょうか、脚立などがそのまま置かれており、エンターテインメントに富んだプログラムは何もありません。ただ、自分が現に立ち、歩いているところが江戸時代にタイムスリップしたかの錯覚を受けること…そうです、ですからこの施設は“ワープステーション”なのでした爆  笑

 

こちらが「江戸の町並み」を表しているゾーン

こんな町屋長屋のような造りの住宅がたくさんあったのでしょう。「青天を衝け」では一橋慶喜を補佐する、堤真一さん演じる平岡円四郎は一橋家に入る前は、旗本の跡取り息子(長男)ではなかったので、木村佳乃さん演じる妻と、このような住み家で慎ましく暮らしていましたっけ(^^)/ そして「青天を衝け」では間もなくすると平岡円四郎さんは攘夷志向に凝り固まった水戸藩士に襲われ絶命しますガーン残念えーん

ここら辺はいろいろなアングルから撮影することで全く違う印象を出せると思いますよ口笛

江戸時代ですが…何故か脚立があります爆笑

 

ここからは更なる繁華街 大川端(現在の隅田川)の再現!? 大河ドラマではありませんが平岩弓枝さん原作の「御宿かわせみ」とか、藤沢周平さん原作の「腕におぼえあり!」など、江戸時代後期の江戸の街を舞台にした時代劇、chuは大好きでした合格クラッカー

江戸時代の物資の運搬は舟運がメインでしたから、“船着き場あるところに繁栄あり”だったのでしょう。こちらもたくさんのアングルからの撮影でいろいろなsceneに利用出来ると思われますニコニコ

こちらなんか、日本橋(現在の中央区日本橋/五街道の起点です)として設定されることが多いのではキョロキョロ

そしてここからは旅籠ゾーン ここらあたりは江戸市中ではなく、近郊の宿場町の外れって感じです。chuの住む千葉県松戸市は水戸街道の宿場町として江戸時代から栄えていましたから、大名クラスのえらい方が宿泊する立派な宿もあったのでしょうが、木賃宿レベルのものもあったことでしょう。そしてこの旅籠エリアも、そうした立派な宿から安宿まで揃っているのです。それでこちらは…まぁ、安宿の類なのでしょう爆笑
ん、道の真ん中に現代風の荷物が置かれ、作業している方は江戸時代の人ではない滝汗 ま、これはスタッフの方でして、先ほどの脚立が出張っていた光景もありましたが、次のロケで使用する際の小道具の準備をしていたんだと思いますニヤニヤ
以上が旅籠ゾーンでしたが、余り立派な宿(高級感溢れるグラサン)はありませんでしたねあせるあせるあせる
 
そしてこちらが城郭エリア。天守閣はなく城門やお濠、城郭などがありました。「暴れん坊将軍」等でも江戸城のシーンは姫路城の遠景を使用していますし、そして何より江戸城の天守閣は1657年の「明暦の大火」で焼失しており、その後は再建されていませんから「暴れん坊将軍」の8代将軍・徳川吉宗の時には既に江戸城の天守閣はなかったわけでして、同ドラマで吉宗がお城に居る時のイメージとして使われる姫路城から借りている江戸城の天守閣は、時代考証と照らし合わせると大間違いだパンチ!となるわけなのですwニヤニヤ
こうした城郭の中に、CGで天守閣を造っちゃうこと等、今の技術ではおちゃのこさいさいなのですよウインク ただ、大河ドラマ「真田丸」でもこちらをロケ地として使用していたようですから、であればこの城郭の造りは何ら手を加えることなく利用出来ていたのかもです。chuは同番組は視聴していませんから実際、どのように使われていたのかは、わかりませんがニヤリ
 
と、以上が「ワープステーション江戸」、2014年5月の様子です。その後、場内にはいろいろな施設が造られていったようですが、その頃はもう写真撮影は禁じられていたと思われますのでchuは再訪してはおらず、残念ながらかような写真は持ち合わせてはおりません。いかかでしたか??写真だけではお感じ難いかとは思われますが、chuが体感しました“タイムスリップ体験”、いぇ、やはりこちらの施設の名称から“ワープ体験”とした方がいいのでしょうか、拙い説明と、あまり変化のない写真ばかりでしたが、プロのTVカメラマンが撮影すれば、きっとなん通りものsceneとして放映されていることでしょうウインク

 

ということで、「青天を衝け」、オープニングロールに流されている“撮影協力 つくばみらい市”に迫った今回のリポートでした(^^)v

また、今では一般には公開されていない「ワープステーション江戸」ですが、どのような経過を辿るにせよ、いつの日か観光用のオープンセットスタジオとして、再び一般公開される日が来ることを願ってやみません照れ

 

※1 chuが徳川贔屓なのは千葉県松戸市に生まれ育ち、「松戸徳川家」の存在を身近に感じていたから。拙blogにたびたび登場している松戸市の「戸定が丘歴史公園」は、最後の水戸藩主にして最後の将軍である徳川慶喜の弟、徳川昭武公の私邸。そしてこれは勿論個人の住宅ですから普通の人は立ち入ることは出来ないのですが、徳川昭武公の流れで「松戸徳川家」が創設され代々、こちらに居住されていたのですが昭和末期にこの邸宅を松戸市に寄贈。その後、整備を経て「戸定が丘歴史公園」として広く一般に公開されるようになったのです。右上にある、私のブログの検索欄に「戸定が丘歴史公園」と記入いただければ何度もこちらをblogに取り上げさせていた だいていますのでご覧いただくことが出来ますウインク で、chuが“徳川贔屓”なのは、まだ幼少の頃、この鬱蒼とした戸定邸の森の近くを通った際に、亡母に対して“ここは何はてなマーク”と聞いたところ、“ここは徳川様のお屋敷だから普通の人は入れないの”と聞いていましたので、やがて松戸市に寄贈されたことを知り、徳川御三家の一つである「水戸徳川家」、即ち最後の将軍、徳川慶喜公を生み出した伝統と名誉ある水戸徳川の流れを汲む「松戸徳川家」に対しては畏怖、ではなくて尊敬と親しみの念を抱き、今に至っているのです。故にchuは親・徳川であり、幼帝と没落していた貴族を操り徳川に朝敵の賊名を付けた、“新政府軍”と名乗る似非官軍を今も許すことはしないchuでありました。

 

※2 江戸時代における300年間、その間、実に15代にわたり征夷大将軍を排出し続けた徳川家の流れ、それを取り巻く御三家の勢力図、勢

力争いを詳細かつとても分かりやすく説明頂いている秀逸の著、と思います(^^)v