藤岡裕大(ふじおかゆうだい) 1993.8.生まれの25歳 岡山県出身  

右投げ左打ち 内野手

岡山理大付属高校-亜細亜大学-トヨタ自動車を経て昨秋、「千葉ロッテマリーンズ」からドラフト2位の指名を受け、2018年、遂にプロ野球のフィールドにDebutしました強肩巧打の内野手。高校時代には甲子園出場は叶わなかったものの、その後に進学した大学野球界、最高峰の実力校が集まる東都大学野球連盟に加盟する亜細亜大学では1年時よりその頭角を現しました。とある日、神宮球場で観戦した東都大学野球のリーグ戦、3塁線へのボテボテの、内野安打になりかねないゴロに猛ダッシュで飛びつくや、すぐさま矢のような送球をファーストへ…。この時、初めて藤岡選手のプレーを目の当たりにしたchu、“なんなんだ、この選手は”びっくりびっくり!!!!!!

 

以来、ずぅうっと(と言っても可能な限りでしたが(^^ゞ)、彼のプレーを追い続けてきました。例えばランナー1塁、バント「も」予想される時のサード・藤岡選手の打者への猛チャージには驚くべくものがあります。藤岡選手の、この守備スタンスを熟知している相手チームはバントの構えからヒッティングに転じることも当然視野に入れるのですが、それでもそれ(ヒッティングに転じられること)を恐れず(当然、投じる配球につき投手との連係プレーですが)積極果敢なプレーをする、そして相手の進塁を許さないその華麗なグラブさばきは大学時代からプロのレベルにありました。それは長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督のプレーを彷彿させるあの華麗な動き。

 大学時代には全日本チームのメンバーにも選出されており国際大会の経験も豊富、そして冒頭、「巧打」と書きましたが、東都大学リーグ戦での通算安打数は104本。持ち前の俊足を生かし、通常では単打と思われる場合でもセカンドベースまで辿り着くことも数知れず…巧打俊足かつ強肩の中距離ヒッターというのが藤岡裕大選手を現すに最適な言葉かと思われます。そして、大学4年時の秋のリーグ戦中に行われる「新人選手選択会議」…誰もがドラフト上位指名(複数球団の1位指名競合、もしくは単独1位指名、或いは外れ1位指名…悪くても2巡指名では早々に確定)が確実と思われていました時に、まさかの指名漏れガーン 今では、TV中継もされ、また、ネットでもほぼリアルタイムにその進行状況を知ることが出来る中、この年のドラフト会議には例年以上の関心を寄せていましたchu、 選択2巡目(6球団×2=12人)までに藤岡選手の名がコールされなかったことに胸騒ぎを覚えました。その時の心境は“おいおい、3巡目以降はないだろう、そりゃ失礼だぞえー”と…。実はこの年、亜細亜大学からは主将の北村祥治選手(内野手 星稜高校 石川県出身)もドラフト上位の有力候補。“藤岡・北村の両選手はドラフト上位で指名確実”というのが下馬評でした。なのですが、2巡目までに両名の名がコールされることはなく、そして遂に最後まで…。同年のドラフト会議が終わった直後、chuが叫んだ言葉を今も忘れることはありません“ナンセンスだパンチ!!!”と。

 

ドラフト会議当日の夜、指名漏れをまだ現実のものと受け入れられない藤岡選手は失意のどん底に…。しかし翌朝、同大学の生田勉監督は敢えて藤岡選手に厳しい言葉を投げかけます。“プロに指名されなかったからと言って、まだリーグ戦が続く中、そんな(もうどうでもいいという気持ち)ことでなんだ! 他の(プロを目指さず卒業後には就職など一般的な進路に進む)奴らは 例えば一社、(就職試験に)落ちたからと言って 次に進むことを考えているんだ。そんなことならお前は今日、練習に来なくてもいい!一日中、布団でも被って寝てろ👊 ”…

 

監督の言葉が、秋季リーグ戦の最中であるから、ドラフト指名漏れとなったからといって、チームの主力選手である藤岡選手の力が必要だから、きちんと残りの試合に挑め、ということではないのです。これは言わば、生田監督の優しさ。こんなこと(指名漏れ)で潰れる選手じゃない、潰れてはいけない、まだ先(社会人野球を経てのプロ入り)がある、苦しく辛い環境の中でこそ、敢えて厳しく接することで奮い立たせる、そう、気持ちを萎えさせてはならない、との思いがあったからこその、突き放すかのような言葉。そして、生田監督の厳しい言葉を受けつつも、直ぐには気持ちの整理もつかない、沈んだ気持ちがぬぐい切れぬ中、グランドに出てきた藤岡選手。いつも通りの練習が終わり、グランド整備後には亜細亜大学野球部恒例の、選手全員による手を後ろに組み、胸を大きく剃らせて行う2回の大唱和。“フレーフレー 亜細亜”。しかしこの日のそれは何時もとは異なりました。フレーフレー亜細亜、の唱和に続き、“フレーフレー藤岡”と“フレーフレー北村”と、まさかのドラフト漏れを喫した二人の名前が他の部員から大きく発せられたのです。亜細亜大学の野球部寮とグランドがあります東京都下の日の出町。グランドの西側には奥多摩の優しい山容が広がる、特に夕景にはその山肌が美しく橙色に反射する長閑な地(ですが、グランドの東側には巨大な「イオンモール日の出」がありますので、東京都内では珍しい「町」ではありますが田舎ではありません(^^)/)に、何時もとは異なるフレーズの唱和(フレーフレー藤岡&北村)の声が響いたのでした。この時、藤岡選手は“自分は一人ではないんだ”との思いを感じた、と報道で拝見しました。

 まさかの指名漏れの後も、気分を切り替えた藤岡・北村の両選手はその後のリーグ戦に挑み、主力選手としての責任を十二分に果たし秋季リーグを制覇ビックリマークそして、11月に開催される秋の大学野球日本一を決める「明治神宮大会」には東都大学野球リーグを代表して出場し見事優勝!!大学野球最後のSceneを有終の美で飾ったのでした。ドラフト会議翌日の、他の部員による、“フレーフレー藤岡 フレーフレー北村”という、落ち込む二人へのエールがあったからこその、どん底に落ち込んだ気持ちを覚醒させたのではなかったでしょうか。

 

 大学を卒業した藤岡選手と北村選手、やはりリーグ戦優勝、大学日本一に導きました石塚投手と共に翌春、社会人野球の名門、「トヨタ自動車」へと進みます。なお、社会人野球の名門チームと言えども会社が考える選手枠は当然、あります。ですので初めから自社に入社を希望している、もしくは監督推薦などで受け入れを決めていた選手などの場合には、社会人チーム側にも計画が立てられているため支障はないことと、また、“(入社確約後でもドラフト指名をされた場合には)お互い(大学と企業が)状況により誠意をもって協議する”場合などもありますので、会社側としては心積もりもあるのですが、藤岡・北村両選手に関しましては大学3年時より早々にプロ入り確実と目されていたことに加え、選手側にも「意向調査」(各球団が選手に対して行う、やや非公式な取り扱いのもので一般的には“調査票を提出した”などと報道されています。確約ではないためプロ球団、選手ともに拘束するものではありません)がなされていたことから、これは推測ですが事前に社会人チームとの交渉(この場合は人気名門「トヨタ自動車」)は綿密にはされていなかったのではと思っています。ですので、ドラフト漏れを受け、有力な二人の将来を託す(2年目以降のドラフト指名のチャンス)に値するトヨタ自動車への働きかけは、アマチュア球界で“亜細亜に生田勉あり”と言わしめている生田監督の実績、人脈、そして指導者としての名声&評判なしには考えられません。 なお、生田勉監督の、その指導者・人としての素晴らしさは「松坂世代」☞http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309408194/

という、矢崎良一さんが記した書(河出書房)にも記されています。その生田勉監督は、今年度からの全日本大学野球Nationalチームの監督を務められることになりました。生田監督は監督就任後には、本塁打を放ち自軍のベンチに戻った際に“あつぉぉ”と叫ぶマッチこと松田宣浩選手(Lionsファンのchuとしてはかなり“いらっムキー”と来ますがパンチ!)、高校(沖縄尚学)3年時の選抜優勝投手で大学時代には元西武の松沼雅之投手(東洋大)が記録していた、もはや誰にも破られることは不可能とさえ言われていました完封記録を更新しました昨年度のパ・リーグ最多勝投手、東浜巨選手(共にSoftbank)、完璧な守護神ぶりを発揮し大躍進の要となっています山崎康晃選手(帝京高校)や高校時代には東浜選手とバッテリーを組んでいました、先日にはノーアウト満塁の場面で打者が放ったゴロをショートが掴み本塁封殺、遊撃手→捕手の後、何とサードに送球するというとても珍しいダブルプレーを見せた捕手の嶺井博希選手(共に横浜DeNA)、昨年大ブレイクしセ・リーグ連覇の立役者となりました薮田和樹選手や九里亜蓮選手(共に広島Carp)など、近年では多くのプロ野球選手を輩出させている名指導者でもあります。

 

 トヨタ自動車に進んだ藤岡選手はここでも一年目から頭角を現します。社会人チームは高校や大学のそれとは異なりプロ球団と同様、先輩が3年や4年という限られた期間で卒業することはありません。ですので、実力が伴わなければいくら大学時代の実績がありましてもレギュラーの座が確約されているわけではありません。そして時のトヨタタ自動車には、その年のドラフトで西武ライオンズの指名を受ける源田選手がショートのレギュラーとして活躍していました。では内野手の藤岡選手はどうなったか…内野手としての守備位置確保が当時のチーム事情としては難しく、しかし藤岡選手の俊足巧打を活かしたいチームは、藤岡選手の強肩に目を付け外野へのコンバートを行いました。岡山理大付属高時には投手経験もあるほどの強肩…大学時代には矢のようなバント処理で走者の進塁を許さない肩は右翼手として、また、俊足巧打のその実力でチームに貢献し、その年の社会人野球の2大大会の一つ「都市対抗野球」に出場し大活躍、チームは見事優勝し、藤岡選手は最高の活躍をしました新人に授与されます「若獅子賞」を受賞するなど、2年後のプロ野球入りにアピール抜群の実績を残します。そしてトヨタ時代の2年の間、藤岡選手は“絶対にプロ球界に入るんだ”という気持ちを切らすことなくトレーニングに励み迎えた昨秋のドラフト会議…。chu的には、「西武ライオンズ」に入団頂きたい思いではありましたが、前記、トヨタ自動車から前年に指名を受けていました源田選手の目覚ましい活躍によりレギュラー不在の遊撃手のポジションが固まったことで内野手の補強の必要性が薄まったため、この時点で内野手の指名はなくなりました…。がしかし、藤岡選手の類まれな実力…神宮球場で見たそのプレーに魅了されましたchuは一日も早くプロ野球のグラウンドにて、その華麗な守備のみならず巧打俊足強肩…「走攻守」3拍子揃ったと言われる一流選手としての要素を有した藤岡選手を、多くの野球ファンの方に知ってもらいたいとの思いが強かった!!

 

藤岡選手の高校時代のチームメイトには、同じ東都大学リーグに加盟している國學院大學へと進学しました柴田竜拓選手がいました。高校時代、同じチームで内野手として連携しつつ別の大学に進学し切磋琢磨しプロ球界を目指した二人。ですが、柴田選手は藤岡選手が指名されたなかった同年のドラフトで、「横浜DeNA」から

3位指名を受けて入団。また、藤岡選手は大学時代の4年間に104本という安打を放ちましたが、東京六大学野球の明治大学に所属していました高山俊選手は六大学での最多安打記録を更新し、「阪神」からドラフト1位で指名を受けプロDebutしています。また、「明治神宮大会」で大学日本一を争いました際の早稲田大学には茂木栄五郎選手が「楽天」からドラフト3位で、重信慎之介選手が「巨人」からドラフト2位で、また同年の「明治時宮大会」準々決勝では立命館大学のエース桜井俊貴選手を僅かなチャンスを逃さず攻略し、その後の日本一へとつなげたのですが、この桜井投手は「巨人」から1位指名を受けています。また、藤岡選手の亜細亜大学のチームメイトには板山選手が6位で「阪神」から指名を受けている等、藤岡選手以外の大学時代のドラフト候補生は北村選手の他、やはり下馬評が高かった慶応大学の谷田選手など以外の多くは2016年の春からプロ野球のグラウンドに飛び出しているのです。いわば、平成5年度(1993年)に産まれたアマチュア選手は、実は稀に見る“あたり年”であったということも出来るのでしょうウインク ですので藤岡選手は、こうした同年代の選手達からは2年遅れてのプロ球界入りということになりました。が、2年です。既にプロDebutし、活躍しています選手の背中に追いつき、そして追い越すことは十分に可能合格クラッカーニコニコ

 

以上、藤岡裕大選手の球歴を、駆け足にて御紹介させて頂きました。「千葉ロッテマリーンズ」は今年から、内野手として大リーグ経験を持つ井口資仁新監督を迎え、昨シーズン最下位からの脱出を目指します。千葉ロッテ内野陣には、2000本安打達成を目前に控えます、千葉県が生んだHERO、福浦和也選手(習志野高校)や、東都大学で大活躍し、東洋大学黄金時代を築いた鈴木大地選手、他にも六大学で活躍した中村奨吾選手(早稲田大学)、そして藤岡選手が指名漏れしたその年の1位指名を受けた平沢大河選手(仙台育英)、また、昨年2位指名の藤岡選手を上回る評価を得ていたからこその1位指名である安田尚憲選手(履正社)など、ライバルがひしめき合っています。年齢層が異なる福浦選手は遊撃手の守備争いに加わることはないのですが、他の選手はみな好敵手。同じチーム内の同じポジションを狙う選手同士ほど、感情を露わに、目の色を変えて競うことになります。美談ふうに仕上げれば“切磋琢磨”なる言葉で表現されますが(注 先に挙げた藤岡選手の高校時代のチームメイト 柴田竜拓選手はポジションが異なりましたので切磋琢磨でいいのです(^^)/)、その実態は綺麗ごとでは済まされません。今までに何人かいました“海を渡った内野手”の殆どの選手が思うような活躍が出来ず実績を残せぬまま日本球界に復帰された中、井口監督だけは世界の頂点であるワールドシリーズ制覇に2度も貢献するなど、日本人野手としてのその実績は抜群です。そして今シーズン、“世界のトップを見た眼“が、遊撃手の開幕スターティングメンバーに抜擢したのが藤岡選手だったのです。そして、その藤岡選手の実際の動きを確認できたのは春のキャンプが始まりました今年の2月1日以降、3月末の開幕まで1か月半程度。それは井口監督御自身が昨シーズンまで選手でしたので、トヨタ自動車や亜細亜大時代の藤岡選手のプレーを直接見ていることはありません。指名直前までは、恐らくその名前すら御存知なかったというのが正確でしょう。昨秋、伊東監督の退任を受け回ってきました監督就任。正式に就任された後にはすぐさまドラフト会議が行われたことから、選手選択(指名)の選別や優先順位決定にあたっては、少なくとも昨秋のそれでは全国に地区割されていますスカウトの面々の発信力が強かったことは確かでしょう。そのためある意味、先入観を持たずに接したことで藤岡選手の卓越した「走攻守」が瞬く間に経験豊富な井口新監督の目に留まったのかもしれません。そしてこの時、井口新監督の脳裏には、まるで20年前の御自身の姿を感じたのではないでしょうか…。

 

 開幕スタメンでプロDebutしました藤岡選手、即座に「2番 遊撃」の位置を不動のものとします。開幕直後から安打を量産…しかしそこはプロ、甘くはありません。開幕当初こそ新人離れした打撃でアピールしていたものの、次第に相手に研究され早くもプロの壁に当たります。打率は急降下し、遂には2番の座を譲ることに…。この間、月間本塁打は2本。元々中距離ヒッターですのでホームランは、そうは見込めず期待もされてはいないのですが、それでも1か月の間に2本の本塁打を記録しています。そしてここ最近では復調の見込みも立ち、再び2番に復帰。打率は2割台前半と、まだ持てる力を存分に発揮しているとは言える状態ではないのですが、今シーズンは始まったばかり。長いシーズンを通して、今までに培った勝負どころを掴み、持ち前の積極果敢さを押し出し、華麗な守備と一つでも先を狙う脚力を如何なく発揮し、「新人王」を目指してもらいたいものです!! なお大学時代の藤岡選手、初球ストライクを振りに行く傾向が強かった(-_-;) それは安打になればいいのですが必ずしもそうではなく、よって試合のスピードを速める(東都大学野球の1試合平均所要時間は2時間20分前後)には役立ちましたが凡退を繰り返すのであれば相手投手を助けるためにしかなりません。以前、観戦した試合では藤岡選手を含めた3人の打者が1,2球目までの投球を打ちに行き何れも凡退(-_-;) その回の相手投手が投じた球数は僅か6球、攻撃時間は数分間ということがありましたが、これでは自軍の投手はホッと一息つく暇もありません。攻撃時の方針なのでしょうか、“ファースト ストライクは積極的に行け”とか、サードにランナーがいる時等、ギャンブルスタートを恐れずさせるものの、何度も本塁タッチアウトの場面もある等、“もう少し じっくり攻めればいいのにな”と感じたことは数知れず…です。しかしこれは生田監督の方針。相手は同じ大学生です。しかし今、藤岡選手が対戦します相手チームの各選手は、厳しいレギュラー獲得競争を勝ち抜きました百戦錬磨のプレーヤーばかり。いかに将来を嘱望される藤岡裕大選手と言えども相手は桁違いの実力を有している方が多いのです。世界制覇を経験している井口監督の下、指導を受け、日々の研鑽を怠らず1年間のシーズンを乗り切って下さい。井口資仁さんが新監督となられたことで、藤岡選手のプロ1年目はとっても幸運であったとchuは感じます。内野手にとり、最高のお手本がチームの監督として同じダッグアウト内に陣取り、その呼吸ひとつをも逃さずにいられるポジションなのですから(^^)/。 他チームの先例として、國學院大學から「楽天」に入りました嶋捕手は、同じく捕手の大ベテランでもありました野村監督のすぐ傍に座り、監督の采配、呼吸を何一つ逃すまじ、として結果、今では球界を代表する捕手へと育っています。嶋選手の場合にも、野村監督の教え…これは練習中の指導ということだけではなく、ダッグアウト内での阿吽の雰囲気を感じ取ったからこその今があるのだと思います。その意味から、藤岡選手の今年1年は、将来、大成するに向けてとても大事な1年となるのです。もとより大学低学年の時からその可能性を感じていましたchuは、今年、平成5年組の大卒同級生より2年遅れでプロ野球のフィールドに立ったのではありますが、その将来性は極めて明るい、と見ています。彼は必ずや、明日の日本球界を背負って立つ、素晴らしいプレーヤーとなることを確信しています!!!!

 

 3年前のドラフトで、藤岡選手が指名漏れとなりましたことは今もって意味不明(-_-;)(>_<) 当時としては巷間、

“右投げ左打ちの内野手は飽和状態で足りている”とか、“(藤岡選手は上位指名に拘り)2位指名まででなければその球団には入らない”等と、意向確認の際に示していた等とも言われていました。藤岡選手から直接、そのことにつき確認は出来ないため、指名されなかった理由は未だに「謎」であります。ですが、トヨタ自動車時代の活躍を見て、指名をしなかった各球団は後悔をしたことでしょう。西武ライオンズ命のchuとしましては、同じリーグのライバル球団に入られたことで複雑な心境であるのは事実。しかし、いつもは志を同じくしますライオンズファンの皆さま、藤岡選手が打席に入りました時だけは…まぁ、その時の試合進行具合にもよりますが…、心の中で“ガンバレ 藤岡裕大”と叫ぶchuがいたとしましても、どうぞ寛容なお心でお許し頂けますよう、いまのうちから当blogにて宣言させて頂きますウインク

 

そして、本日、拙blogをUpしました理由です!! やっと本題爆笑

冒頭の写真、chuの地元であります千葉県松戸市の松戸駅と、直通電車では千葉市の千葉中央駅とを結んでいる新京成電鉄の“「千葉ロッテマリーンズ」ラッピング”車両。昨年までも、少ない編成ながら存在していましたが当時は藤岡選手は千葉ロッテには在籍していませんでしたので特別の思いもなくスルーしていました(かつてのライオンズのエースでありました涌井秀章投手のラッピング写真を見た時は一瞬だけ、びくっと反応しましたが、西武ライオンズ時代には多くの実績を残し、また、涌井投手は地元・松戸市出身で「松戸市民栄誉賞」も受賞するなど親近感は大なのですが、西武ファンの残留を願う気持ちを振り切りFAにより千葉ロッテ入りしてしまいましたため(>_<) 涌井選手には感謝はしていますが今では異なるユニホームを着ていますのでさしたる気持ちはなくなってしまったのです 最も、涌井投手にFAの決意をさせてしまいましたことにつきましては西武フロントに大いに問題があったことも確かでした。西武ライオンズほど、毎年シーズンオフには主力選手が流出するチームを、ライオンズファン歴40年以上のchuは残念ながら知りません(-_-;)) が、昨日、久しぶり(今シーズン初めて)に見た千葉ロッテのラッピング車両、そこに見つけたのが藤岡裕大選手だったのです照れ

 

新京成電鉄の「千葉ロッテマリーンズ」ラッピング車両👇

昨年は、幾度となく「ふなっしーラッピング車両」に遭遇しましたっけ爆笑

(写真は何れも新京成電鉄「松戸駅」にて撮影)。

 

藤岡裕大選手、枚数は多くはないのですが今まで幾枚か、その姿を撮影しています。そして今シーズンは…まだ球場で直接、その雄姿を観てはいません(仕事で忙しく西武の試合にもまだ行けていないのです(-_-;))

こちらは「千葉ロッテマリーンズ」入団時の会見で(^^)v


選手名鑑用の顔写真

トヨタ自動車1年目の都市対抗大会で(^^)/

トヨタ自動車野球部の紹介写真

都市対抗優勝の瞬間

亜細亜大学時代

何度も通いました神宮球場(写真は 藤岡選手卒業後のものです)

この方ともお逢いしました(#^^#) その際、写真を撮影させて頂きました(^^)v OBの木佐貫さん。今は巨人軍のスカウトをなさっています。

さて、こちらは秋の大学日本一を決める「明治神宮大会」の決勝戦(^^)v 途中から雨が降り出す悪コンデション(>_<)しかし、その条件は両チームとも同じです。

打席へと向かう藤岡選手。この日の二打席目です。

☝がchuが神宮でこの試合を観戦しました際に撮影したもの。ヒットを放ちました藤岡選手。と同時に、この決勝戦はTV中継されていましたので録画したもの👇も帰宅後に編集しました。

窮屈なコースへのボールを、腕をコンパクトにたたみつつ、巧打です。まさに藤岡選手の醍醐味ですね(^^)v早稲田の投手は大竹耕太郎選手(済々黌)。熊本の名門校出身で正に文武両道の選手。昨シーズンのドラフトでは育成枠ではありますがソフトバンクの指名を受け入団しています。しかし今では育成出身者でも一流プレーヤーになっている方もいます。そのソフトバンクには、千賀投手もいますしね。しかしライオンズの敵です。大竹選手には申し訳ありませんが、わがライオンズとの対戦があった際には明治神宮大会同様、打ち崩しさせて頂きます。👇はファーストを駆け抜けました藤岡選手。10枚上の実写版の時です(^^)/

主将の北村祥治選手 同じくドラフト指名漏れで失意の中、主将としてチームを引っ張り日本一を勝ち取りました。北村選手は残念ながら昨秋のドラフト指名はありませんでしたが今年で「トヨタ自動車」3年目を迎えます。何としても今年のドラフトでは指名されますことをchuは応援しています。なお、北村選手の弟さん・北村拓己選手は兄の背中を追い続け、星稜高校→亜細亜大と進み昨秋のドラフトでは「巨人軍」から4位指名を受け、一足先にプロ入りしました。お兄さん、弟さんに続け(^^)v

この試合、先制を許しましたが後に逆転、延長戦にもつれ込んでいましたが…勝ち越しに成功ビックリマーク

そして、最後の打者を三振に仕留めますクラッカー この日のリリーフは花城投手。花城君は国指定の難病・黄色じん帯骨化症を発症させて一時、選手生命が危ぶまれましたが、本人の再起に向けての努力と、亜細亜大野球部員全員の願いとが叶い4年生の時に復帰。日本一達成時の胴上げ投手となりました。

そして、この方が生田勉監督です

そして、とあるレセプションにてまだ大学4年時の藤岡裕大選手と会話をする機会に恵まれました時に撮影させて頂いたお写真ですウインク 残念ながらドラフト指名漏れを受けた直後です。この時は、悲しさを微塵にも感じさせないにこやかな表情で会話をしてくださいました。爽やかな青年、というのが印象でした。

ですが、“2年後を見ていろメラメラ”との闘志を秘めていたことでしょう、その思いと努力とが見事に結実し、“二番 ショート ふじおかゆうだい 背番号「4」”とコールされる今日、この日を迎えたのでありました。しかし、藤岡裕大選手、勝負はこれからだ(^^)v もっと大きな目標を見据えて頑張れグー 

 

夢を叶えた藤岡裕大 君はまだスタートラインに立ったばかりだビックリマーク 君は、明日のプロ野球界を背負っていく人間!! 夢にときめけビックリマーク明日にきらめけビックリマーク目指せ、プロ野球での「日本一」(^^)v

☝一部のフレーズは「ROOKIES」のニコガク高校 川藤幸一監督のお言葉をお借りしました(^^)/