6年ぶりに訪れた神奈川県横須賀市…。chuにとり縁浅からぬ横須賀ですが今回訪れるまで随分と間があいてしまいました。そして、本当に久しぶりに訪れた理由は、とある記事→ http://nikkan-spa.jp/1127656 を見たことによります。“ふぅ~ん、横須賀にそんなとこあったんだぁ”が最初に抱いた印象。そしてちょいと気になりWeb上で検索をかけてみました。Keywordは「横須賀市 田浦 廃村」。すると出るわ出るわ、既に多くの方がその詳細をReportされています。ここでPhoto Journalistならぬ“Photoブロガー”chuの心に俄然、火が付きました。そしてそれは、浅からぬ縁がありました横須賀につき知らぬことがあったことへの悔しさであったのは確かです。是非ともその真実をこの目で確かめたい…との強い思いがchuをわざわざ2時間以上もかけて横須賀に向かわせたのでした(^^)v


 さて、先の記事にも記載されていますが要旨を簡単に御紹介致しましょう(^^)/ ~ある時から村に刻まれていた歴史が止り放置されたままになった廃村、廃村と聞くと人口が少ない地方にあるイメージだが実は東京駅から1時間ほどの場所にも存在していた~ 日本は今後益々、少子高齢化が進み、地方都市では若者が都市部に流出、その結果、地方には高齢者しか残らず、しかし集落によっては日々の生活にも支障(病院、日常品を販売する小売店、バス路線、ガソリンスタンド等の撤退)が生じ始まると残った高齢者は生活できなくなり、やむなく住み慣れた故郷を離れる…所謂、「限界集落」の問題は今後益々、大きな社会問題化していくのは間違いありません。このような限界集落が東京駅から1時間のところにある?厳密にいえば、横須賀市田浦は東京駅から1時間では着きません。ま、“不動産広告”的なアバウトなものとお考え頂ければと思います。この「廃村」の所在地、横須賀市田浦はJR横須賀線であれば乗り換えなしで1本で訪れることが出来ます。所要時間は1時間24分。但しJR東海道線を利用して戸塚乗り換えの面倒を厭わなければ1時間14分。この差は、品川~横浜間が直線でつながっている東海道線と武蔵小杉を経由する横須賀線とでは“三角の頂点と底辺”の関係で、前者が底辺を走行するのに対し後者が頂点ルートを辿るからです。しかしこの日chuが採りましたルートはもっと早く&交通費のお得なものでした。品川から京浜急行を利用し「京急田浦」へと向かいました。これだと品川~金沢八景間を京急の快速特急利用出来るので最速58分です。なるほど、上記記事では、この廃村を訪ねるための歩き出し駅は田浦なのですが今回のchuのように京急田浦とすることで見事、1時間を切ったことになります。

 では、“東京駅から1時間の場所にある「廃村」”を確かめにいきましょう!
先ず最初の写真…こちらがその「廃村」の姿。まさに廃墟です。このような住宅がそれこそ何軒もこの地区には残されているのです。

いきなり廃墟をお見せ致しましたが、このような住宅が地域に一軒あっただけなら、それはそこに唯のあばら屋があるだけの話です。しかしある地域一帯全ての家屋がこのようであればそれは「廃村」では。例えどんなに都心から近くても…です。 さて、それでは順を追ってこの「廃村」を訪ねてみましょう。

chuがこの日、降り立ちましたのは京急田浦駅。今まで横須賀には何度も来ていますがこの駅に降りたつのは初めてです。

こちらの駅には快速特急は停車しませんので少し手前の金沢八景駅にて普通電車に乗り換えです。参考まで、この金沢八景駅までが横浜市でここは横須賀市。ですからこの「廃村」は370万の人口を擁する日本第2の都市「横浜」市に隣接していることになります(+_+) さて、電車が行っちゃった後の京急田浦駅ホームの様子。閑散としています…が、京急田浦駅周辺はローカル色は漂うものの、この駅から徒歩20分程度の所に「廃村」が存在することを窺い知ることは出来ません。

京急田浦駅改札口を出ると直ぐ目の前には幹線国道である国道16号が通ります。chuも何度も通ったことのある同国道の交通量はとても多く、国道の歩道を横須賀方面へと歩き出します。ちょっと歩くと「船越一丁目」交差点。この交差点を東側に進むと八景島シーパラダイスへの入り口を経由し首都高速横羽線「幸浦」ランブへのエスケープルートとして頻繁に利用していました。16号線を歩くと田浦消防署、そしてその先には海が見えます。久しぶりに見る横須賀の港。ここは長浦港。海上自衛隊自衛艦隊司令部があるため沢山の自衛艦が停泊していますが一般道からは少し距離があるため、いいアングルで自衛艦を眺めることは出来ません。やはり、本日この後、体験しました「軍港クルーズ」

http://ameblo.jp/chu008/entry-12169828431.html がいいようです(^^)v

(こちらは長浦港)

こちらが国道沿いにある海上自衛隊の入り口。大型バイクに乗った方が敬礼を受け敷地に入って行きました。なんか「愛と青春の旅立ち」にこんなシーンがありましたね(^^)/

国道16号を横須賀方面へとさらに進むと間もなくJR横須賀線が国道を高架で越える地点に着きます。その手前の道路を右折です。線路際に咲く紫陽花は見頃(^^)/ただ、この日は炎天下の晴天。紫陽花は快晴よりも少しうす曇りの空の色の方が似合うのかも知れません。

すると今度はJR横須賀線の上を京急線が立体で交差します。多くの鉄道ではこうした交差地点に乗り換えのための駅を設置するものですがJRと京急は三浦半島南部に住む方々を横浜や東京に運ぶため、互いにしのぎを削りあうライバル同士。そのため利用者の利便性より利用者の“囲い込み”を優先させているのか、京急本線の品川~京急久里浜間で両社線の乗り換えがスムーズにできるのは品川、横浜の2駅のみ(>_<) 久里浜、川崎とも京急線は駅名に「京急」の冠をつけており駅自体も微妙に離れています。そのため特に京急線沿線に住む横須賀市以南にお住まいの方が中華街、山下公園、みなとみらいなど、横浜の人気スポットに行くためには結構不便なのです。あ、これって、以前、拙blogにてReportしましたchuの地元・千葉県でやはり利用者争奪のため利便性よりも社益を優先させていますJR総武線と京成電鉄に酷似していますな(-_-)

ここがJR線と京急線との立体交差部分。

ここより少し手前のJR線踏切から京急線との立体部分を眺めます。立体交差の上の部分が京急線の線路。ここに駅があればJR線沿線のお住いの方には特に利便性が高まります。何故ならJR線は田浦から横浜、東京方面に向かう際、逗子、鎌倉、大船など大回りをしていくからで、ここで京急線にスムーズに乗り換えが出来れば大幅な時間短縮が可能に。また、京急線沿線にお住まいの方が神奈川県を代表する観光地である鎌倉を訪れる場合、ここからJR線を利用できれば便利です。ちなみに先の例に出しました京急線沿線にお住まい

の方が中華街、山下公園、みなとみらい方面に行かれる場合ですが、京急線とこれらの観光拠点の最寄り駅があるJR根岸線とはやはり↓の写真と同様、立体交差で交わるだけで駅はありません。京急線の杉田とJR線の新杉田が連絡しやすい、というだけで連絡駅ではありません(-_-)

さて、ここまで京急田浦駅から徒歩15分程度。国道沿いは車両ももちろん、人通りも多いのですがJR線の線路沿いへと入りますと、途端に行き交う人は減ります(2枚上の写真のとおり)。しかし閑散とはしていますがごく普通の街並みです。京急線のガードをくぐると右手には盛福寺という寺社もあります。そして、寺とは反対側にいく細い小路があります。そこには“この先、二輪車しか通行出来ない”との警告が。そして手前には「ホタルの里」(赤丸で囲みました)の案内があります。このあたりは、ごく普通の舗装路でした。ここまでは、です…。

“え、何?この踏切… これぢゃ自動車通れないよ?”あ、そうか、だから先ほどの注意書きか…。でも、いきなりですよ。まだ先ほどの車道から100mも入ってきていません。

この踏切、「田浦沢踏切」というのが正式名称のようで、きちんとした住所もあるようです(横須賀市田浦町4-57)。しかし正にこの先に突然、信じられないような光景が広がっていたのです…。

踏切途中から、こちらは上り・東京、横浜方面です。とてもレトロなレンガ造り。なんか、トンネルの入り口って、少しだけ不気味かも(^^ゞ いえ、これは今から瞼に飛び込んでくる予兆を敏感に感じたのかも知れません。快晴の、昼日中のことですが少し“ぞくっ”と背中に感じるものがありました。

踏切を渡り“こちら側”に来ました。行き交う人は誰もいません。風になびく木々がこすりあう音、そして虫…、いや、獣の息遣いが聞えて来そうな場所…背中にじとっと汗を掻いてきたようです。

繰り返しますが、快晴の下の昼日中。また土曜日でしたので、ここに至るまでの住宅街には人の気配は多々ありました。踏切を渡って50mも行くと路がなくなります。樹木が頭上を覆いかぶさり、昼でも陽が射しこみにくい薄暗さ…。周囲には誰もいません。これはもう、“肝だめし”のWorldです。

突如として、このような住宅が目の前に現れます(冒頭の写真はこの「廃村」入り口にありました住宅です)。ただ、リンクしました記事や多くのレポートにありますように、そう遠くない昔まで人が普通に生活していた痕跡はあります。廃屋となっているとは言え、土地の権利関係がどのようになっているかはわかりませんので敷地内に立ち入ることは出来ません。と、言うより不気味さが際立っておりますので自分から進んでいこうなど、とてもとても思えません。

「急斜傾地崩壊危険区域 神奈川県」の表示。そして横には電柱。要するに“工作物を設置する際には届け出て下さい”的な案内ですので人が暮らしていたことを証明するものです。

勇気を絞って小路を進みます。その昔、ありました“川口浩は今日も行く”的な行動をしている勇敢なるchuです(^^)v しかし背中は実は汗びっしょりだったりして(^^ゞ そしてこちらが「ホタルの里」の入り口のようです。先ほどの一般道にありました案内先がこちらのようです。この案内板を見る限りでは、まだ“ホタルの里”として機能しているのでしょうか?がしかし、一般道からここに至るまでの道、不気味です(この先、もっと不気味です)。そしてホタル観賞を昼日中にするわけではないので当然、とっぷり日の暮れた夜間にホタルが飛び交うのかも知れません。しかし、街燈一つもない、漆黒のこの小路を来るのは不可能に近いのではないでしょうか…。chuなら御免被りたいです(>_<)

こちらの階段を登ったところが「ホタルの里」なのでしょうか?この先、「廃村」視察をしなきゃでしたので、この階段を行くことはなかったのですが、なんかここを登ったら“二度と降りてくることが出来ないのでは”と霊気を感じたのです。ホントの話…。

さて、廃屋がここかしこに広がります。10数軒はあるのでしょうか…。こちらの住宅はまだ十分、綺麗です。けど敷地周辺は藪が生え放題。簡単に住宅に入れそうにはありません(頼まれても入りませんが)

既に人の立ち入る可能性などないのですが、まだこのような看板が複数の箇所に掲げられています。“関係者以外立ち入り禁止「湘南田浦ニュータウン(株)」”…。Web検索したところ、どうも横須賀市役所内でも審議対象となっているようです。しかも平成26年。まだ、このニュータウン構想はとん挫していないのでしょうか?

https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4805/tokei/daikibo/dsiryou/documents/h25-dai2.pdf#search='%E6%B9%98%E5%8D%97%E7%94%B0%E6%B5%A6%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E8%A8%88%E7%94%BB'


そしてこちらに比較的詳細に事の経緯が記されています。やはり中止でしたね。http://www.townnews.co.jp/0501/2015/04/03/278255.html

横須賀市外の建設会社が「湘南田浦ニュータウン」構想を打ち立て、1999年(平成11年)に住宅開発の許可を取得していたようです。今から17年前のこと。しかし未着工のまま2013年には愛鷹商事が開発区域を取得。しかしニュータウン構想を進める訳ではなくメガソーラーを設置するためのようです。しかし計画段階ではこの急峻な地に500戸の住宅を建設しようとしていたようですので大規模な造成工事と、そのための巨額な開発費用が必要だったのでしょう。最初にリンクしました記事によればそもそもの構想は30年前。大手商社(丸紅)が絡んでいたようですがchu的には確証を得ていませんので多くは語れません。ただ、横須賀市はここと同様の急傾斜地に住宅が立ち並んでいる場所は多々、あります。市道などの公道から個々の住宅に至る小路は階段状の道など、車両を横付け出来ない宅地も多数、見受けられます(横須賀市不入斗、汐入等)。ですので今では「廃村」、ゴーストタウンと化してはいるものの、大規模開発が夢物語であったとは言いきれません。

造成途上の名残でしょうか。平坦地からさらにその上の位置に進むための階段があります。しかしその傾斜はとても急。こんな急な階段、よく認められたなぁ…。お年寄りではとても上り下り出来ませんw。階段脇や上下には草木が生い茂り足を踏み入れることも躊躇します。後でわかったことですが、これほど日が当たらないと敷地はじくじくしたまま常時、湿った状態です。マムシが多数、繁殖していたようです。この日chuは「廃村」巡りをするためきちんと靴を履いてました。ただし短パン(^^ゞ…。日頃、夏のこの季節は短パン、素足のサンダルで行動することが多いchuです。もし万一、かような軽装でここを訪れていたらマムシにやられちゃっていたかもしれません。その意味では、霊気を感じる、背中に汗を掻く程の不気味さもですが、マムシや獣に襲われるという現実的な危険もあるのです。もし、この廃村を実際に見に行かれたいと思われた方は、底の厚い靴、靴下、長袖、そして毒蛇が嫌うと言われている藍染の生地、Gパンですね、で行かれることを提案しておきます。chuがこの日無傷で戻れたのは、ある意味、運が良かったのかも知れません。全ては自己責任で…。

さらに上へと進みます。

落下防止の柵があったりもします。

この路地の地面には「境界杭」も打たれていますので測量は行われていたのでしょう。ですよね、だからニュータウン計画が出来上がったのでしょうから。

途中、バイクが放置されていました。確か、「廃村」入り口に注意書きがありました。が、この狭い小路をこのバイクは通っていたのでしょうか?

小路は益々、狭くなりました。そしてやっと丘の上に来ましたので日当たりはよくなりました。ちょうど高圧線の鉄塔のベース部分です。“良かった、鉄塔の向こう側はきっと開けた住宅街だから、このまま現世に戻れる”と思ったのですが…。

この小路を登り切りましたところがこちら。遂にここで小路すらも終わってしまいました。現世に戻るには来た道を戻るしかないようです(>_<)なおこちら、原始的ながら耕作地のようです。しかしこの時にはどなたもいませんでした。また、このような荒れ地で何が収穫できるのかもわかりません。けど、草木が生い茂っていないということは人が入植していることを無言で伝えてくれているようです。

しかしここは「廃村」、ゴーストタウン。あるのは廃墟だけ。誰が農作業をしているのでしょうか?まさか、廃墟の中でどなたか人が生活している家屋があるのかな?しかしchuが確認した限りでは見受けられませんでした。聞えてくるのは樹木の木々が風で触れ合う音、虫の音、そして獣の気配のみ…。ミステリーです。もう「廃村」の確認は十分しました。chuは意を決して、今登ってきました小路を下ります。

 そして必死に小路を急ぎ降りました。が、一歩足を踏み外すと転落死しちゃうかもですので、急ぎつつも慎重に…。現世に近づくと踏切の警鐘を聞くことが出来ました。とてもホッとしました!(^^)!しかし、恐怖のあまりにそのまま降りていき踏切をくぐってしまう人がいないとも限りません。ひょっとしたら、この踏切では過去、人身事故などはなかったのでしょうか?遮断機は下りています。でも、もうここまで来れば大丈夫、ホント恐怖の世界から戻れました(^^)v

この時、上り下りの電車が同時にここを通過しました。そして(+_+)!決して“鉄分”は濃くはないchuですが電車の撮影は好きです。乗るのも好きです。今、通過する電車を見てびっくりしました!

NEXは東京近郊と成田空港とを結ぶJRの空港アクセス特急。横須賀方面に向かっています。そして黒っぽい車体は伊豆半島を走る伊豆急の「リゾート21」のよう。この2種類の電車は普段、ここは走りませんので「?」と思いました(NEXは大船まで、また「リゾート21」は東海道線を走ります)。chuはこの時、横須賀の街中で「よこすかYYフェスタ」なるものが開催されているとは全く知りませんでしたので、この後、横須賀中心街に赴きこれらの特急がここを運行していることに合点がいったのでした(^^)/

 それでは「リゾート21 黒船電車」の接近写真をどうぞ(^^)v

件(くだん)のレトロトンネルに消えていく「リゾート21」です(^^)/

そして静けさが戻ったレトロトンネル…ぞくっとした冷気を想い出しちゃいました。早く一般道路に出よう!と、chuは急ぎ踏切を渡ります。

現世に戻った気分です。マムシにも獣にも襲われず、妖怪につかまることもなくここに戻れたのは本当に運が良かったのかも知れません。怖いもの見たさで「廃村」を見に来ましたが、そこに至るには数々の事情があったのでしょう。怨嗟の気配も感じられるゴーストタウン。これからも日本全国で「限界集落」からやがて廃村へと余儀なくされる集落は続くことでしょう。そして今回chuが訪れましたこちらは、たまたま“都心から1時間の場所”にあったに過ぎないのかも知れません。
 写真、オレンジで丸が込みした部分が先ほどの農耕地のあたり。距離にして僅かなもの。大規模造成が完成していたのであれば高台の、日当たりのいいひな壇に数多くの戸建て住宅が完成していたに違いありません。京急田浦駅から徒歩20分、横浜は勿論、都心へも通勤可能な立地です。今回、この地の探索に要した時間は恐らく30分程度(アクセス時間は含みません)。ですが丸1日、現実から隔離されたような錯覚を覚え、背中にびっしょりとした汗を掻いたことは忘れることはないでしょう…。「湘南田浦ニュータウン」構想が、本当はどのような理由で中止となったのかはわかりません。ただ、15年ほど前までは人々が生活をされていたことだけは確かなのです。ところでふと思った疑問…。かの地に人々が生活されていました時、例えば大型家具や家電の搬入は当然あったことでしょう。また引越しなどの際、多数の荷物の運搬もあったことでしょう。あの踏切より先は勿論、踏切手前にも2トン車ですらとても入れるスペースはありません。人々がどのような手段で、15年前まで生活をされていたのか…そして今は廃墟となった建物に残されていたおびただしい生活物資の数々…。深く、知ろうとしてはいけない現実もあるのかも知れません。