歴史を散策 | 独りのため息のブログ

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田辺城下の散策に参加してきました。
始めはお城。

1580年 細川藤孝(幽斎)が築いた 三万五千石の城下町です。
現在の京都府舞鶴市ですね。

その後 京極氏 そして牧野氏が幕末まで田辺藩を統治しました。


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こちらは平成になってから造られた大手門です。


この城は 鶴が舞った様な美しいお城だったそうで
『舞鶴城』とも呼ばれたんだとか。

今は堀も無く 資料館があるのみ。
後は 〇〇跡 なんてのがたくさん残る城跡でした。

細川藤孝は 細川忠興のパパですね。
つまり細川ガラシャの舅です。
『和歌 連歌 乱舞 書 弓馬のすべてに優れた人』
と称された 織田豊臣期を代表する教養人であり 文武両道の人物。
その才能は和歌の秘伝を受け継ぐ『古今伝授』を託されるほどでした。
明智光秀とは盟友であり 幾多の戦場を共にしましたが 本能寺の変を知った藤孝は 剃髪して幽斎玄旨と号し 信長への弔意を示します。
見方に付くと考えていた光秀は執拗に勧誘しますが 藤孝はそれを断ります。
光秀と最も近しい細川家の決断は 光秀の山崎の戦いでの敗北を決定づけました。
難局を乗り越えた幽斎は 次の秀吉の時代にも重用されました。

『15000 vs 500の籠城戦』
ガラシャの悲報とともに 西軍の軍勢が幽斎のもとへ攻め寄せます。
時は関ヶ原の戦いです。
幽斎は死を覚悟し 田辺城での籠城を決断しますが『古今伝授』唯一の継承者を失ってはならないと考えた後陽成天皇の勅命で 2ヶ月に渡る籠城は終結しました。
この籠城戦による西軍の足止めも 関ヶ原の戦いでの東軍の勝因のひとつになりました。