本屋さんで、ふと目につくタイトルの本があったので、

パラパラと立ち読みしていたら、

不覚にも立ち読みしているにも関わらず号泣しかけ、

こりゃいかん!家で読んで思う存分泣こう!と思い買ってしまった。



女子をこじらせて/雨宮 まみ

¥1,575

Amazon.co.jp



AVライターである作者が思春期から、

「女」であることへの劣等感と「女」でいられることへの羨望の間で

葛藤しているさまが面白おかしく真剣に書かれているのだけれど、

これが、自分のことのように思えて、っていうかもう一人のわたしが書いてるんじゃね?ってくらい

自分と重なり、読んでいるうちに胸が痛くなり、涙が溢れてきてしまった。




中学、高校時代って見えない階級制度みたいなものが存在していて、

可愛くてモテる女子が偉くって、

そうじゃない女子は価値がない。

そんな風潮がどこの学校でもあったと思う。


かく言うわたしも、「お前ってブスだよなー」という今思うと無邪気な男子の一言で、

最近になるまで、「自分はブスなのだ」「ブスは恋愛する資格がない」と本気で思い込んでいた。



昔、兄がバナナが大好きでいつもバナナを食べていたのだけれど、

祖父に「バナナばっかり食べてると、おしりからしっぽが生えて猿になるぞ」

と言われ、それ以降「バナナを食べると猿になる」という思い込みから、

バナナが食べられなくなったと言っていた。



「ブス」と言われたことも、そのバナナの話みたいなもんで、

多感な時期だったから、そういうことを言われると素直に思い込んでしまっただけの話なんだけど、

背骨が曲がっているという病気のコンプレックスも加わって、

本当に長い間「わたしは女として価値がないのだ」ということに苦しんできた。




美容院に行けば、鏡を直視していると「ブスのくせに鏡みてんじゃねーよ」

って美容師さんに思われてるんじゃないかとか、

オシャレなお店に入るのにも「ダサイくせにこの店の敷居をまたぐんじゃねー身の程知らずが」

って笑われてるんじゃないかとビクビクした。


はっきり言って病気だったと思う。


そんなんだから、彼氏なんてできるはずもなく、

いつも彼氏がいる友人を羨むしかできなかった。

そんな友人を見るたびに、このまま自分は一生一人ぼっちで誰にも触れられないまま、

死んでいくのだろうか、と不安で悲しくなった。



大人になってからも、

恋愛をしようにも「わたしなんて愛されるわけがない」という想いと

「だからあなたがわたしを愛して」という想い(重い)がいつも顔を出して、

相手は逃げていくばかり。



でもそれは、相手のせいではない。

ブスと言った男子のせいでもない。

背骨の曲がる病気のせいでもない。

父親のせいでも、母親のせいでもない。



女子をこじらせてしまったわたしのせい。

自意識過剰で、傲慢で卑屈なわたしの態度のせい。



今はありがたいことに自分をブスだとは思わないし、

自分を女として価値がないとも思っていない。

でも時々、こういう本を読むと、まだ癒されていないわたしの女の部分が、

じくじくとえぐられるように痛むのだ。




女であることを楽しんで生きよう。

そう思わせてくれる一冊だった。



女子をこじらせているそこのアナタ!ぜひ読んでみてくれたまえ!!