『まもなく岸ノ巻です』
電車でうたた寝をしていた俺は飛び起きた。
横のスポーツバッグを担ぐ。
荷物はこれだけだ。
『お忘れ物をなさいませんよう、ご注意くださいませ』
アナウンスを聞き流し、ドアの前に立つ。
俺以外に、降りる客はいなかった。
改札口をで出た俺の目に飛び込んできたのは、のどかな空だった。
改めて、岸ノ巻が絵に描いたような田舎であることを再認識する。
「工藤くん!」
元気な声に思わず振り向く。
水澤遥と春河舞依だ。
「……ただいま」
出迎えが彼女でないことに、少し胸の奥がチクリとする。
「江岸は?まだ寝てるのか」
「ははは、まさかぁ~」
「でも、梨奈どうしたんだろうね。普段なら真っ先に飛んでくるはずなのに」
俺も、そう思った。
「あ、それより工藤くん。今日は燕ノ巣で宴会やるよ~」
「え?料理長まだ入院してるんだろ?誰がメイン作るんだ?」
いくらなんでも、帰ってきて早々にあそこの厨房に立つのはごめん被る。
「ほら、夏休みが始まる前に自分の店だすために辞めていった浮田っていう人いたじゃん。今日のために店閉めて作ってくれるんだって。綾瀬が言ってたよ」
「へぇ……」
改めて、岸ノ巻の温かさは健在だった。
俺は2人に別れを告げると、坂道をゆっくり上って行った。
岸ノ荘に着いて、大家から以前の部屋の鍵をもらい、部屋に向かう途中で、隣室のドアをノックした。
求めていた相手はすぐ出てきてくれた。
「おかえり、工藤くん」
露樹梓だ。
「お久しぶりです」
「っていうか、半月だけどね」
そう言いながら、相変わらずチューハイを口に運ぶ。
「何してたんですか?」
「ん?ため込んでた課題をちょっとね…。すぐ終わると思ってたかをくくってたら、全然終わらないの。はぁ、面倒くさい」
そういえば、大学生だったな、この人。
「誰が手伝ってあげてると思ってるんだい、梓」
ん?
中から男の声がした!?
「……浮島さん」
「やぁ」
現れたのは、浮島隼人。
「君が麗菜さんの遺品整理やら何やらで葬儀の後すぐまた東京に戻ったけど、僕は教授から遅い夏休みをもらってね。今まで研修やらで忙しかったし、教授も岸ノ巻の人々の温かさに何か感じたんだろうな。で、今はこうして梓の宿題を手伝ってあげてるわけ」
「えぇ、感謝してますとも」
露樹さんは拗ねたように唇を尖らせると、浮島さんの腰に手を回した。
「工藤くん、私達、来年結婚するんだ」
「本当ですか?」
いつも以上に脈絡のない告白はこの際置いておこう。
「うんっ」
「やっぱり彼女が忘れられなくてね。ずっと一緒にいてほしいって、心から思えたんだ」
心から嬉しそうに笑う2人。
俺は、心が温かさで満たされていくのを感じた。
「ところで、江岸がどこにいるか知りませんか?」
ふと思い出して尋ねると、露樹さんはクスクス笑いながら答えた。
「私たちは知らないけど、多分いつもの場所じゃない?」
「いつもの場所……」
思い当たる場所はひとつしかなかった。
「ありがとうございます……あず姉」
前から言いたかった呼び名を、やっと言えた。
また一歩、俺は岸ノ巻の中に溶け込めた気がした。
『あず姉は、あたし達にとってお姉さんみたいな存在なんだ』
それは、俺にとっても同じだった。
あず姉がいたからこそ、過去のフラッシュバックにも耐えられたし、過去を言い訳に逃げてきた自分を変える手助けをしてくれた。
俺にとって、あず姉は実の姉みたいだった。
あず姉は一瞬目をパチクリしていたが、やがてゆっくりと笑顔になる。
それは俺が見た中で、一番優しい笑顔だったと思う。
だから、俺の返す笑顔も、とても穏やかだった。
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ついに夏の浜辺クライマックスです!!
次回最終回!!