……カチッ…カチッ…カチッ……


私を焦らせるかのように、夜が明ける迄のカウントをするかのように、秒針の針が一定のリズムで不気味に空気を揺らす。


身体は疲れているのに、思考はこんなにもハッキリと冴え渡っている。


目を瞑ることさえ億劫になり、真っ暗な天井を眺めながらベッドの上で両手足を投げ出し身体中の力を抜くことに意識を向けてみる。


ふと視線をズラすと、カーテン越しに透ける空が赤らみ始めていた。


どこからか、鳥のさえずりが聞こえてくる。


一瞬視界に入った時計の針が起床30分前を指している事に苛立ち、雑に寝返りをうった。


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「てっちゃん?顔色悪いよ、絶対に帰った方がよか」


ここ一週間ろくに眠れていないのだ。


確かに目が霞み、頭が重い。


朝に比べると、目に見えて悪くなる体調に嫌気が差していたところだった。


覚束ない足取りで練習していても、かえって皆んなに迷惑をかけてしまうだろう。


「ごめん」


ねるのお言葉に甘えて遠慮なく帰らせてもらうことにした。



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ドアが音を立てて閉まり、静まり返った自室をただただ空っぽな目で見渡す。


今日は、これからベッドに横たわり、意識を無くすように眠って無駄な一日を終わらすことになるのだ。


ただ同じ事を繰り返すだけの、生産性のない日常が、笑えてくる程に哀しかった。


ふと視界に入った小瓶を何かから奪い取るように手に取り、中のカプセルを手当たり次第口に入れボリボリと噛み砕く。


ほんの少しだけ毒で心が満たされていく気がして、今の私にはそれすらも気持ち良く感じる。



__ドンッ、ドン、ドン



あんなに乱暴に扉を叩くのは、彼女しかいない。


「てっちゃーん」


予想通りだ。


まあ体調が悪いという体になっているのだから、このまま黙っていれば帰ってくれるだろう。


彼女が普通の人と同じ感性を持ち合わせているのなら。


しかし暫くの沈黙の後。


開けんならこじ開けるばい」


可愛らしい声と台詞がてんで釣り合っていない。


先程までの自信が嘘のように消え去った。


この後の可能性を考えると背筋がひやりと寒くなる。


私はいつもより重く感じるドアを押し開けた。


「なに、どうしたの」


「いつもと雰囲気が違うたけん心配になったの」

 

「ちょっと体調悪くて」


「ちょっとお邪魔するよ」


「あ、ちょっと」


彼女はさっさと靴を脱いだかと思えば、丁寧に両かかとを揃えて並べ、そのまま突き進み両手に持っていた大きなスーパーのレジ袋をどさりとテーブルの上に置いた。


「どうしたの、これ」


真剣な表情の彼女は問いに答える事なく、両手でそっと私の腰を包み込むようにして触れた。


「ちょ、なに」


驚いて半ば突き放すようにして離れると、彼女はそのまま考え込むように自らの顎に手を当てた。


「うーん、やっぱり。てっちゃん痩せたでしょ」


「は?」


「朝ごはん食べた?」


「や、その忙しくて、食べてない」


シュン、と分かりやすく彼女の表情がしょげる。


私の不健康な生活ぶりを、まるで自分のことのように悲しむ表情を見せる彼女にチクリと胸が痛む。


「じゃあさ、作…………




しまった。


彼女の声が聞こえにくいと感じた時には既に全身に痛みを感じていた。


先程狂ったように噛み砕いた睡眠薬がたった今、存分に効果を発揮し出したのだ。


先程の痛みが、身体を強く床に打ち付けた所為だという事を理解したか、していないかの瀬戸際で意識は強制的に遮断された。




_



「目、覚めた?」


冷えピタの貼られた重い頭をゆっくりと揺らし、あたりを伺うと、まるで昨夜の続きかのように部屋中が真っ暗だった。


何が起きたのかと驚いて起き上がろうとするが、まだ完全に薬が切れていないようで頭の痛みが感電するかのように全身を駆け巡った。


「んんっ、」


痛みを押し殺そうと再び目を瞑ると、彼女の馬鹿力がゆさゆさと私の身体を揺さぶった。


「ちょ、これ以上寝ないでよ?私に話す事があるやろ?」


「ねぇ、痛い」


「あっごめん」


激痛と寝起きで薄くぼやぼやとした視界に、バツの悪そうに俯く彼女が映る。


「…ずっと居たの?」


酷く掠れている小さな声など聞こえないかのように、私の質問を無視して彼女はいきなり腕をつき出した。


お、猿腕を発揮しているな。


などとぼんやりとした考えをぶった斬るかのような冷たい声で言い放った。


「これ何?」


ジトり、と彼女の視線が痛い程つき刺さる。


猿腕の彼女がつき出した手には、睡眠薬の入った小瓶。


どうやら私が眠っている間に見つけてしまったようだ。


私は重く怠い身体をゆっくりと起こして、彼女に向けてこうべを垂れた。


「最近寝れなくて、」


「ふぅん。私よりも先に薬に頼ったんや?」


「へ?」


苛々とした口調で私を責め立てる彼女の意図が分からなくて、普段なら絶対に見せたくない大量の涙が止め処なく私の目から溢れ落ちる。


「え、なんで泣いてるの?ごめんてっちゃん、何かあったと?」


突然泣き出した私に慌て、必死に慰めてくれる彼女とすれ違うかのように、私からは涙とともに嗚咽が漏れ始めた。


落ち着かせようとしてくれているのか、愛らしい顔にそぐわない強い力で肩を掴まれ、私の頭が無防備に揺れる。


「私が受け止めるけん」


彼女は私が話し始めるのをいつまでも待っていてくれるような、力強い目をしていた。


「ねる、」


意識が朦朧としている所為か、いつもなら絶対に言葉にしないことが次々と口から放たれていく。


「渡された曲を表現していくうちに、自分の中にある感性が拡張されたような感覚になって、」


「うん。」


彼女が強く相槌をうった。大丈夫、彼女なら私の全てを受け止めてくれる。


そう確信して私は話し続ける。


「前よりも心に余裕のある自分に満足できなくて、でも誰に相談していいのか分からなくて、」


最後まで話し終え、ゆっくりと細い息を吐いた。


自分でも何を言っているの分からなくなった。


ただ、ここ数週間のモヤモヤを全て具体化させる事に全神経を集中させた。


心が凍るように冷たくて、そのまま消えてしまいそうだった。


全てのエネルギーを使い果たし、身体から意識を切り離すように全身の力が抜け、そのままに前のめりに身体がぐらついた。


しかしその身体は冷たい床に打ちつける事なく、彼女によって強く、優しく抱きしめられた。


「あったかい」


「…え?」


私の心を見透かしているような彼女の言葉に、耳を疑った。


「ずっと、これからも、ねるがそばにおるけん」


「っ、」


何故だか解らないが、とどまる事を知らない涙に困惑してただ頷くことで相槌を打つ。


「そうしたらもうこんなに辛くなる事もなかろ?」


芯の通った声で柔らかく呟き続ける彼女に、優しく頭を撫でられる。


現実と夢が曖昧になっていく。


こんなに幸せな微睡みは久しぶりだった。