ふわりと真っ白なオダマキの香りが鼻を掠める。


暫く東京から離れた穏やかな街でのんびりと暮らすことを決意した私が、1年後に再びこの都会に足を踏み入れることになるとは思わなかった。


感慨深く、白く大きな建物を見つめる。


今日、39日はあの子が制服を脱いでサヨナラを告げる日。


昨夜も遅くまで電話をしていたのだが、なんだか無性に会いたくなってしまって、今日の夜更けに彼女に会いに行こうと心立った。


しかし、いくらなんでも高校に乗り込むのはマズいだろうと思い、メンバーと事務所で待機することなったのだった。


「ねるちゃん?」


突然、後ろからトントン、肩を叩かれる。


「ぺーちゃん。久しぶりやねぇ」


私の声にふにゃりと微笑む彼女は相変わらずおっとりとしていて愛らしかった。


「行こうか。みんな待ってるよ」


そう言って私の肩を優しく押す彼女にされるがまま、私は事務所のドアを開けた。



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「分かった?私がいいって言うまで出てきちゃダメだからね」


1時間後、私は何故か暗くて狭いロッカーの中にいた。


ぐい、と顔を近づけて念押しする茜の表情はいつもの倍は気迫があった。


どうやらてっちゃんは、今日私がこの場所にいることを知らないようだ。


それを先程知った茜が、ならサプライズにしようと私をこの場所に閉じ込めることを提案したのだった。


「ねる、結構長い時間ここに居ることになると思うけどそれ、預かっとこうか?」


茜が指差す先には私が今日の朝、品定めした彼女への贈り物があった。


「あー大丈夫。これは私が持ってる」


「おうけい。じゃー閉めるよ」


ぱたん。ロッカー越しの視界。


私の世界がシマシマになった。




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「ただいまぁ」


「ただいまって、バブここ家じゃないから」


ドアが開くのと同時に彼女の間の抜けた声と、それに素早く突っ込む織田奈那の声が響き渡った。


「制服を堂々と着られるのも今日までだよ。気分はどうですか?」


続くおちゃらけた織田の声に彼女はうーん、と唸る。


「自由が広がったなぁって感じ」


ああ。相変わらず心地良い、彼女の少しハスキーな声が空気を揺らす。


「うん。深いなぁ。私もさ、学生の頃は


「ねぇ、ねる来ないの?」


織田の声を遮るように不安な声色で尋ねる彼女に、私はびくりとして唇を噛んだ。


「んっとね、ねるは仕事が忙しいみたい」


「そ、っかぁ」


「寂しい?」


「んー、別に。ねる頑張ってるみたいだし」


そう言って彼女は唇を軽く舐めるようにして俯いた。


「っ、」


その仕草は、今でも私だけが知るであろう、彼女が嘘をつく時の癖だった。


「はぁい、てち。ご馳走が来たよ。パーティー始めようってえ?!」


友香が両手で寿司の乗った皿を持ちながら部屋に足を踏み入れたのと、私がロッカーを飛び出したのは殆ど同時だったように思う。


「ねる?!」


彼女のあの、自分の気持ちを押し殺すような表情を見た瞬間私の中の何が崩れる音がした。


「てっちゃん、」


「ちょっとねる早いって」


遠くから、茜の焦ったような声が聞こえる。


しかし彼女のあの表情を見てしまった私には、自らの気持ちでさえも止めることが出来なかった。


「てっちゃん、ちょっと来て」


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「ここでよか」


彼女の手を取り走り続けた私は、事務所の階段辺りで息が保たなくなり、腰を折りはぁはぁと荒い息を繰り返した。


「ねぇねる、仕事あるんじゃないの?」


私と同じ距離を走ったのにも関わらず、全く息を切らさず涼しい表情を見せる彼女は相変わらずだった。


「私が、こがん大事な日に、仕事休まんわけなかやろ」


「え、どういう


彼女の狼狽える表情に耐えきれず、私はぎゅう、と強く抱きしめた。



ふっと、彼女の身体から力が抜けるのを身体越しに感じる。


「これが欲しかったと?」


とうとう耐えきれなくなったのか、目に溢れんばかりの涙を浮かべる彼女に、私は戯けて口を尖らせてみる。


「遅いよ、」


くしゃりと顔を歪めて涙を流す彼女。


数年前と変わらない、どこか幼さの残る表情が見れてホッとした自分がいる。


「一人にしてごめんね。卒業おめでとう」


私は紙袋から取り出した赤いアネモネの花束を彼女に差し出した。


「初めて見た、すごい綺麗だね」


そう言って花束を見つめながら、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


学生最後の日、少女に別れを告げる彼女が、本当に綺麗で。


「泣いてるの?」


そんな私を見て彼女は潤んだ瞳で首を傾げた。


「んーん。泣いてるのはてっちゃん」


私は彼女の目尻に光る涙をそっと拭った。


それを見た彼女は、私に倣うようにそろそろと戸惑い気味に、指でそっと私の目元を拭う。


「ねると会えて良かった。」


そう微笑む彼女に、私はゆっくりと頷いた。


「戻ろっか。」


「うん。」


彼女が抱き直した拍子にアネモネの花が優しく揺れる。


弧を描くように揺れたそれは、とても甘い香りがした。