私は、彼女の愉しげに動く唇を眺めるこの時間が堪らなく好きだ。

「でさ、その時の鈴本の顔がね…」

テーブルの上いっぱいに広げられたスナック菓子を幸せそうに摘みながら彼女は話を続けていた。

「やばくない?私多分一年分くらい笑ったの、だって次の日お腹が筋肉痛になってたもん」

彼女が笑うのと同時に華奢な肩が大きく上下する。

テーブルに肩肘をつき、その姿を満足げに眺めていると不意に彼女の表情がピタリと止まった。

「ねえ」

彼女を包む柔らかな空気がいくらか引き締まったように感じて、私は思わずテーブルから肘を離し姿勢を正した。

「ん?」

「私の話聞いてる?」

なんだ、そんなことか。

ふと、彼女の柔らかそうな頬が目に入った。

両手でそのまま包み込み、そのまま圧を加えてみる。

「んぅ」

「へへ」

むにゅりと潰れた唇がタコのようで思わず笑みが溢れた。

「ね、理佐、酔ってりゅ?」

私にほっぺを摘まれたままの彼女はブンブンと首を振り手を振り払って眉を顰めた。

「ぜんぜーん」

なんだか今日は心地が良い。

彼女を想う気持ちを抑えきれず、私は不機嫌な顔で黙り込む彼女の頭をくしゃくしゃと撫で回した。

その時だった。

彼女は飲みかけた缶を強引に手に取ると、そのままぐいっと垂直に傾け、中身をゴクゴクと飲み始めた。

「えっ」

急激に酔いが覚め、背筋にヒヤリと冷たい汗が流れる。

「んあっ、にっがい…何これ」

コンッ…と彼女が勢いよく缶をテーブルに叩き置く音が部屋中に響き渡った。

状況を頭の中で整理するのに、暫くの時間を要した。

「え、ちょっと何してるの」

「だって理佐がちゃんと話聞いてくれないから」

「だからって…これ全部飲んだの?」

「うん。これで話聞いてくれるよね」

そう言って立ち上がろうとする彼女だが、体軸がブレた際にフラつき、そのままフローリングの上に横たわった。

「冷たぁい」

「ちょっと、しっかりしてよ」

私は彼女を抱き抱えると、そのまま真後ろの白い壁に寄りかからせ座らせた。

彼女はというと、薄く目を閉じたままうんうんと唸るように愚痴をこぼし始めた。

「さっきまでは理佐だってろくに私の話聞いてくれなかったくせにぃ」

「それはごめんって、許して」

「いやだねー、この罪は重いから」

そう言いつつも彼女の口角は少しだけ上がっていた。

酎ハイ半分でここまで潰れてしまうとは、彼女の両親も相当アルコールに弱いのではないのだろうか。

そこまで考えてふと気づく。

私、てちの両親に会ったことが無い。

彼女の幼少期もよく知らない、欅坂46に入る前まで何をしていたのかも全く分からない。

もしかしたらてちの事、何にも知らないのかもしれない。

「ねぇ。…てちの両親はお酒強いの?」

「うーん、どうだったかな」

「覚えて、ないの?」

「昔のことは思い出したくないかなぁ」

「…家族のことも?」

「んー、別にそういうわけじゃないけど。」

「あ、あのね」

「ん?」

「私は、てちの事がもっと知りたい」

「うーん」

曖昧に唸るだけの彼女に少しだけ落胆して視線を落とした。

「ねぇ」

「どうした…」

彼女の問いに最後まで答える前、にグイと両肩を掴まれる。

「理佐にはね、今の私だけを見て欲しいの」

「え…」

困惑する私の耳に、かすかな電子音と共にスマホが振動する音が聞こえ彼女の力が少し緩められる。


「…あ、なんかごめんね。マネージャーからだぁ。そろそろ帰らなきゃ」

「いや待って、まさかそのまま帰るつもり?」

「だって人様の家だし」

「人様の家って…第一もうひとりじゃ立てないでしょ」

「そんなことないよーほらァって…ああぁ」

彼女はへにゃりと腰が抜けたようにその場に尻餅をついた。

「いいから、はい。今日は私と雑魚寝しよ」

「んー悔しいな」

毛布持ってくるね、と一言残してその場を離れる私の背中に彼女の掠れた声が聞こえた。

「何が?」

「理佐に面倒みてもらうなんて。」

「ふふ、何を今更」

「理佐ぁ」

「な…」

彼女が壁にぐったりと凭れたまま、ひょいひょいと手招きするので顔を近づける。

段々と近づく彼女の顔。

何か耳元で囁くのかと思いきや、彼女の手がそのまま私の頭に回され彼女と私の唇が触れた。

「んっ」

突然の出来事に、私は思わず両手で唇を抑えた。

「今日ずぅっと私の口見てたでしょ。そんなにキスしたかった?」

流石、人の気持ちを察することに優れている彼女には既に気づかれていたらしい。

数十分前までの自らの行動を思い起こすと、羞恥で頬が熱くなるのを感じた。

「ねぇ理佐、眠い」

彼女は眠そうにゴシゴシと拙い手つきで目を擦った。

「あ、ごめん。すぐに毛布持ってくる」

「ん」

「ん?」

目を瞑り項垂れながら両手を広げる彼女に驚き、思わず問い返した。

「雑魚寝は嫌、ベッドまで連れてって」

アルコールが入った所為か、いつもの数倍は我儘になっている気がする。

「しょうがないなぁ」

私は腰を落とし、腕を広げながらうつらうつらしている彼女を正面から抱きかかえた。

彼女を抱き抱えるのは曲中を除くとほぼ初めての事だった。

顔を覗き込むと、彼女は完全に気を抜いて眠っていた。

桃色に染まった頬と無防備に緩んでいる口許。

彼女が作る表情は、何処と無く幼い子どもを連想させる。

過去の事を一切話してくれない彼女だが、ここまで気を許してくれている。

ただそれだけで心になんとも言えない温もりを感じる。

彼女の規則正しい穏やかな寝息が私の横髪を静かに揺らす。

彼女が側に居てくれる、その事実を噛みしめるようにもう一度強く抱きしめた。