戦略シミュレーションゲームで三国志をテーマにすることとは(上)
これまで家庭用ゲーム機やパソコンで、いくつか三国志の戦略シミュレーションゲームをプレイしてきました。ここで言う戦略シミュレーションゲームはいわゆる「国盗り」タイプで、国力を高めて全拠点を自分の勢力下におくか、他の勢力を倒すタイプになります。記憶にある限りですが、プレイしたものとしては・『三國志』シリーズ(番号なしの1作目~11、14) 光栄、コーエー、コーエーテクモゲームス(現在)・『三國志Internet』 コーエー・『三国志 中原の覇者』『三国志II 覇王の大陸』 ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)・『群雄三国志』 エニックス(現スクウェア・エニックス)・『昇龍三國演義』 イマジニア・『鄭問之三國誌』 ゲームアーツ・『天舞 三国志正史』 ウルフチームがあります。特に光栄の『三國志』(1作目)はかなりの時間を費やしました。今でも能力値や在野で発見できる国と年を覚えている武将がいますし、呂布や張飛に書物をあげ続けて軍師にしたり、武力やカリスマを100になるまで育てたりして、後に出版された攻略本に書かれていたテクニックはほぼ把握していました。以後、三国志を題材にしたゲームをいくつかプレイしてきましたが、年代や人物を変えて何度クリアしたかわかりません。※ここ以降、ゲームのメーカー名は省略させていただきます。さて、散々遊ばせてもらったにも関わらず、プレイしてきた中で思うことが色々あります。まずは、タイトルにもある通り、戦略シミュレーションゲームで三国志をテーマにすることについて考えてみます。大きな話ですが、どういった要素に三国志(実質は三国志演義)をシミュレートしていると感じ、三国志らしさを表現できているかということです。三国志を題材にするからには、古代中国の地図や人名を使うだけのゲームではなく、固有名詞以外にモチーフが三国志と感じる要素が必須と考えています。言い換えれば、キャラクターを変えて三国志の要素が失われるようなら、三国志をシミュレートしていると言い難いということです。戦略シミュレーションゲームではないもので極端な例えですが、将棋の駒に三国志の人物名を書き、将棋のルールそのままであれば、さすがに三国志がテーマと言えないだろうということです。なお、前述の通りプレイしたゲームの大半は10年以上前の作品であり、スマートフォンで三国志のゲームはしておらず、やり尽くしているとは言えません。間違いなく古い知識ですので、既に実現されているようなことを堂々と書くかもしれませんし、三国志のゲームを開発された方には失礼な話も出ると思いますが、ご容赦ください。1.一騎打ち一騎打ちは三国志における武勇の見せ場とも言え、ゲームで採用される割合は比較的高いように思います。ただ、一騎打ち自体はアクション要素が強いためか、戦略シミュレーションゲームというジャンルにおいては、納得の出来映えと思えたものはあまり記憶にありません。大雑把に言うと、数値化された武力と乱数の運任せで決着が着くのを眺めるだけで、戦っている実感に欠けています。もっとも、一騎打ちに限らず格闘技やスポーツのようにアクション性が高いものを、シミュレーションゲームで表現することは難しいと思いますので、特性上やむを得ないとは思います。三国志の物語における一騎打ちで何に惹きつけられるか思い返すと、関羽が華雄、顔良、文醜を圧倒的な武力で討ち取った時の爽快感や、呂布対張飛・関羽・劉備、孫策対太史慈、関羽対黄忠、張飛対馬超のように力の限りを尽くし戦い続ける姿を見た時になります。しかしこれをゲームで再現すると、呂布や関羽、張飛らが相手武将を一刀で討ち取れば捕まえて味方にしたかったと思い、長時間一騎打ちを続けた結果が勝負なしであれば盛り上がらないことになりそうです。さらに、自分の扱う武将が格下を相手に勝てないと不満が残り、格上を相手に勝利し、ついでに捕らえようものなら大喜びです。勝手なもので、原典がどうかに関わらず自分の側が勝って欲しいと考えてしまいます。これはアクションゲームなら自分の操作(技量)で勝ち負けが出るので受け入れやすいが、シミュレーションゲームだと運が絡み自分の力が及ばない部分で勝ち負けが決まるため、しっくりこないのかもしれません。ではシミュレートするのが難しいからといって、一騎打ちの要素をなくしてしまうと、どこか物足らなさを感じます。また、三国志演義で一線級の武将が一騎打ちをすると、大抵は決着がつかずに終わります。一騎打ちで相手を討ち取れるのは、ほとんどは実力差が大きい場合で、関羽が華雄・顔良・文醜、張飛が紀霊、黄忠が夏侯淵を討ち取ったのは少数の例外と言えます。そもそも実際の歴史上でも一騎打ちはほぼ発生しません。これらを総合して考えると、一騎打ちは三国志らしさを感じる点で必要な要素だが、武力の高い武将同士が一騎打ちをして決着がつきにくいのは面白みに欠けるものの、ある意味三国志演義に準じているというところでしょうか。「戦略シミュレーションゲームで三国志をテーマにすることとは(中)」に続く(関連ブログ)「戦略シミュレーションゲームで三国志をテーマにすることとは(上)」本ブログ「戦略シミュレーションゲームで三国志をテーマにすることとは(中)」次回(続き)「戦略シミュレーションゲームで三国志をテーマにすることとは(下)」