『三国志平話』は『三国志演義』に先行して成立しており、『正史三国志』などの史書に始まり『三国志演義』が成立する過程を考えるには、欠かすことができない作品です。成立順は『正史三国志』と『三国志演義』の間に位置するとはいえ、正史に近い部分もあれば、『三国志演義』より虚構が強い部分もあります。

本記事では龐統[ホウ統]に着目し、『三国志演義』が成立する過程において、龐統[ホウ統]の人物像がどのように描かれているか、その変遷をたどります。

変遷をたどる場面は、龐統[ホウ統]が『三国志平話』と『三国志演義』の両方、またはどちらかに登場する箇所とします。『正史三国志』に該当する箇所があれば、併記して変遷を確認します。そして、『三国志演義』で創作が進んだ部分から強調したかった龐統[ホウ統]の人物像、『三国志演義』に含まれず削られた部分からどのような意図があったかを探ります。(※1)

では最初に、劉備が龐統[ホウ統]の存在をどのように知り、龐統[ホウ統]の登場を確認する箇所について、どのような創作がされたかを確認します。

1.劉備が龐統[ホウ統]の存在を知る

『三国志演義』で龐統[ホウ統]は、実際に登場するより前に、劉備が得るべき人物として名前が出てきます。

【正史】(記載なし)
【平話】徐庶が劉備の下を去る時、千里の外で勝ちを収める人物として、南に臥竜・諸葛亮、北に鳳雛・龐統[ホウ統]がいると教える。
【演義】劉備は襄陽で殺害される危機を脱し、檀渓を越えたところ、司馬徽の牧童に会い、司馬徽の友人に龐統[ホウ統]がいることを聞く。司馬徽からは伏竜、鳳雛のうち、一人得られれば天下を安んじることができると言われたが、この時点で鳳雛が龐統[ホウ統]であることはわかっていない。(第35回)
その後、徐庶が劉備の下を去る時、鳳雛とは龐統[ホウ統]のことであると明かされる。(第36回)

実際の歴史において、劉備がいつ龐統[ホウ統]の存在を知ったのか、定かではありません。『三国志平話』、『三国志演義』はともに登場に先立ち、劉備が天下を得るため必要な人材として存在が示され、存在を知ることになっています。さらに、『三国志演義』ではまず得るべき人物のあだ名「鳳雛」を知り、後に名前が判明する段階が増えており、『三国志平話』から『三国志演義』への推移において、登場への期待度が高くなるように変化していることがわかります。

2.赤壁の戦い「連環の計」

『三国志演義』で実際に龐統[ホウ統]が登場するのは、赤壁の戦いで周瑜が火攻めを実行する前です。周瑜は魯粛を通して、龐統[ホウ統]に曹操軍への「連環の計」の実行を依頼します。

【正史】(記載なし)
【平話】(記載なし)
【演義】周瑜からの依頼を受け、蒋幹[ショウ幹]を利用して曹操に会い、「連環の計」を実行する。(第47回)
徐庶に「連環の計」を見破られるが、龐統[ホウ統]は身を守る策を伝える。(第48回)

『正史三国志』で龐統[ホウ統]が赤壁の戦いに関与したことは記録されておらず、『三国志演義』にのみ登場します。先に「劉備が天下を得るのに必要な人物」として、鳳雛こと龐統[ホウ統]の存在が示されていましたが、登場するとすぐに「連環の計」を成功させ、赤壁の戦いで孫権・劉備連合軍が勝利する立役者になります。龐統[ホウ統]への期待を抱かせ、智謀を印象づけるよう創作されたと言えます。

『三国志演義』では、人物が名前だけ先行して登場し、後で実際に姿を見せるまで間が空く事例は少ないように思いますが、劉備が存在を知ってから登場まで、10回を超える間隔があります。その数少ない例に含まれた面からも、龐統[ホウ統]は特別扱いされた人物であると考えられるでしょう。

「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(二・呉との離別)」に続く

(関連ブログ)
「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(一・鳳雛の登場)」本ブログ
「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(二・呉との離別)」次回(続き)

(※1)
各三国志の比較部分では、煩雑にならないよう以下のように表記します。
・『正史三国志』を【正史】と記します。内容は蜀書先主伝、蜀書龐統法正伝[蜀書ホウ統法正伝]の抜粋、要旨となります。
・『三国志平話』を【平話】と記します。
・『三国志演義』を【演義】と記します。カッコ内にいわゆる「毛宗崗本」における巻数を示します。