前回(長坂橋で張飛が大喝すると落馬したのは誰(前))、三国志に関する「長坂橋で張飛が大喝した時に、驚きで落馬した曹操軍の武将は誰でしょうか」という問題に対して、4つの選択肢(夏侯傑/夏侯杰/夏侯覇/そのような人物はいない)のどれもが正解になり、誤りにもなることを記しました。

 

これは過去に見た問題をわざと曖昧にしたのですが、実際に出題された時は、『三国志演義』に関する問題は「毛宗崗本」に基づくことが明示されていました。しかし、「毛宗崗本」で夏侯傑が落馬することを知っていたはずなのに、夏侯覇を選んでしまったのです。

 

これは直前に岩波書店『完訳三国志』を読んでいたところ、「長坂の戦い」で張飛が大喝して落馬したのは夏侯覇だったことに影響されたようです。岩波書店の『完訳三国志』は「毛宗崗本」の翻訳ですが、なぜか「李卓吾本」などに書かれた夏侯覇が落馬しており、「毛宗崗本」に記述された夏侯傑(夏侯杰)にはなっていません。普段三国志に関する情報源は注意しており、特に『三国志演義』では「毛宗崗本」と異なる点は区別して記憶するようにしていたにも関わらず、疑うことなく記憶が上書きされたようです。

 

なぜ岩波書店『完訳三国志』で「毛宗崗本」から人物が置き換わったか、それは訳者の方でなければ真相はわかりません。ただ、挿絵に『絵本通俗三国志』を使っており、丁度長坂とみられる場面で夏侯覇が落馬しています。訳するにあたり、この夏侯覇を採用した可能性が考えられます。もしくは、訳者の方が「李卓吾本」などで夏侯覇が落馬することを知っていて、あえて人物を変えたのかもしれません。

 

ちなみに岩波書店『完訳三国志』第46回では、諸葛亮が曹操軍から矢を得て周瑜に納めた本数が、よく目にする十万本ではなく、「九万本あまり」(原文:十餘万枝)と記されています。しかし直前に諸葛亮は「必ず十万本の矢を納めましょう」「納めずば、厳罰に服する」のように言っており、誤訳とも思えません。これも真相はわかりませんが、何か意図があってこのように訳したのだと思います。

 

岩波書店『完訳三国志』が誤りだと指摘する意図ではありませんが、長坂橋で落馬した人物や諸葛亮が周瑜に納めた矢の本数からは、「完訳」であっても必ずしも忠実に訳しているとは限らず、何らかの意図で原文と異なる訳になっている場合があることがわかります。では原文を見れば良いかというと、前回(長坂橋で張飛が大喝すると落馬したのは誰(前))記したように、現代中国語の書籍では「夏侯杰」と書かれていても、「杰」を見るだけでは元々「杰」だったのか「傑」の俗字や簡体字であるかは判断がつかず、夏侯杰と夏侯傑のどちらが正しいかわからない場合があります。ここまでくると、当時実際に流通していた三国志の文献を見る必要性が出てきて、それこそ研究されている方でなければ確認すら困難になるでしょう。

 

長坂橋で落馬した人物の問題をきっかけに、三国志の正確な知識を得ることの困難さが身にしみましたが、同時に三国志の世界が深く広いことの面白さを再認識することができたように思います。

 

では、三国志の作品は多数あり、問題を作っても正解の限定が難しいことを逆手に取って、何かできないでしょうか。

 

問.董卓が呂布たちに殺害された後、貂蝉はどのようになったか。

 

(a)呂布の妻になった

(b)自害した

(c)人知れず姿を消した

(d)殺害された

(e)そのような人物はいない

 

これも長坂橋で落馬した人物の問題と同様、三国志の作品により正解が変わりますので、どれもが正解であり、誤りにもなり得ます。あるいは、どれも正解ではなく、他の解答ということもあり得るでしょう。

 

しかしこういった問題を多数準備し、自分にとっての正解を選んでもらうことで、その傾向から「その人にとっての三国志」を徐々に絞り込むことができそうです。そうすれば、最初は「三国志のクイズ」だったはずのものが、最終的に「自分にとっての三国志を分析されるクイズ」に変わってしまう。多様な三国志があるからこそ成立する、ちょっとした遊びを作れるのかもしれません。

 

(関連ブログ)

長坂橋で張飛が大喝すると落馬したのは誰(前)」前回

長坂橋で張飛が大喝すると落馬したのは誰(後)」本ブログ

「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(六・「正史三国志」は存在するか)

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