9.袁術と英布(黥布、※1)

 

呂布は董卓殺害後、諸勢力を渡り歩いたがあまり良い扱いは受けず、項羽は各地に諸王を封じたものの次々に背かれており、周辺との関係はあまり良好と感じられません。周辺の勢力の中でも、呂布にとっての袁術、項羽にとっての英布は、味方にもなることもあれば敵対したこともある勢力です。袁術と英布は異なるタイプのような印象がありますが、共通点を探るため歴史書の記述を確認します。(※2)

 

(袁術)

・呂布は董卓殺害後、袁術を頼ろうとしたが受け入れられなかった。

・袁術は皇帝を僭称し、寿春を本拠地とした。(a)(d)

・袁術は呂布の娘との縁談を申し込み、一度は話が進んだが中止になった。

・曹操に攻められた呂布は、袁術との縁談を再度進めて救援を依頼するが、失敗に終わり救援が来なかった。(b)(c)

・袁術が袁紹を頼ろうとしたため、曹操は劉備と朱霊に防がせたが、袁術はちょうど病死した。(e)(※3)

 

(英布)

・項羽は英布を配下としていたが、戦功第一であったため九江王に封じた。(a)

・項羽が斉王田栄を攻撃する時、英布は病と称して出陣せず、部将と兵のみ派遣した。また、劉邦軍が彭城を攻撃した時は、英布は病と称して救援しなかった。(c)(※4)

・彭城の戦いの頃、項羽が味方と頼れるのは英布だけだった。(b)(※4)

・随何に説かれ漢の味方をすることになった時、楚から出兵要請があった。随何の行動もあり、英布は楚の使者を殺し、逆に楚に対して出兵した。(c)(※4)

・劉邦は英布を淮南王に封じた。(a)(※4)

・劉邦に対して反乱を起こした時、討伐に来た劉邦に理由を問われ「皇帝になりたいだけ」と答えている。(d)(e)(※4)

 

袁術、英布それぞれ異なる記述のようではありますが、呂布および項羽との関係性を中心に並べていくと、以下のような共通性が浮かび上がってきます。

 

・呂布が本拠地にした下邳[下ヒ]と、項羽が本拠地にした彭城はともに徐州にあり、袁術が本拠地にした寿春と、英布が封じられた九江や淮南は同じ地域である。地理上の位置関係が非常に近い。(a)

(下邳[下ヒ]と彭城の位置は、前回の『呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(八・ゆかりの地)』に記しています)

・曹操に下邳[下ヒ]を攻撃された頃の呂布が、味方にできる数少ない勢力は袁術だった。彭城で劉邦と戦った頃の項羽は、頼れるのは英布だけであった。(b)

・下邳[下ヒ]の呂布が寿春の袁術に救援を求めたが得られず、彭城の項羽が九江の英布に出兵を求めたが得られなかった。(c)

・袁術は皇帝を僭称し、英布は反乱を起こして皇帝になりたいと言っており、高い位への野心が感じられる。(d)

・袁術が病死する直前に出陣してきたのは劉備、英布が反乱を起こした時に出陣してきたのは劉邦であり、共に劉姓である。(e)

 

整理すると、本拠地が徐州の呂布と項羽は、淮南地域の袁術と英布に救援を求めたが来てもらえませんでした。また、袁術と英布は高い位への野心が見られ、最後に劉姓の人物と戦った後、死を迎えます。

徐州と寿春、淮南は地理的に近く、西方から曹操や劉邦に攻撃されると結び付きやすい地理的な要素もあるでしょう。そして本稿は都合の良いところを拾い過ぎとも思います。しかし、例えそうだとしても、不思議な一致があるように思えてなりません。

 

小結:呂布、項羽が味方として頼れる袁術と英布は、支配地域や行動などに共通性が見られる。

 

呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(十・陳宮と范増)』に続く

 

(関連ブログ)

呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(一・呂布の強さ)

呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(二・項羽の強さ)

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呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(十二・命運の尽きる時)

呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(十三・人物評)

呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(十四・両者の共通点を整理)

呂布が最強になったのは項羽をモデルにしたのか(終・項羽のモデルは呂布)

 

(※1)

黥布は通称とされていますので、本来の英布で表記します。

 

(※2)

歴史書に拠る部分は、ちくま学芸文庫「正史三国志」魏書呂布臧洪伝、ちくま学芸文庫「史記」項羽本紀を参考に、抜粋、要約していますが、箇所が多くなるため都度注釈はつけないようにします。それ以外の資料を参照した場合には参照元を記します。なお、共通点を見出す目的のため、小結につながる記述に絞る場合があることはご容赦ください。

 

(※3)

ちくま学芸文庫「正史三国志」魏書武帝紀より抜粋、要約

 

(※4)

ちくま学芸文庫「史記」黥布列伝より抜粋、要約