タイムススクエアの傍にはAMC Empire 25 という25スクリーンの巨大シネコンがあって、当時NYで一番大きな映画館だった。ここではブロックバスターからインディ作品まで、様々な映画を一ヶ所で観ることができて結構重宝していた。それ以外にも当時マンハッタンには5・6スクリーンのシネコンがそこここにあって、オン・ブロードウェイだけでなくオフやオフオフの舞台鑑賞をベースにしつつ、残りの時間に一本でも多くの映画を鑑賞できるように効率的な移動のスケジュールを組んで朝から深夜まで走り回っていた。“オン”とはブロードウェイのメインとなる大劇場で上演される「シカゴ」「オペ座の怪人」そして数々のディズニー・ミュージカルの様な作品群。“オフ”は中劇場で上演される若干マイナーな作品で、ここで当たれば、その後「レント」の様に“オン”に昇格することもある。“オフオフ”は小劇場で上演される本当にマイナーな作品で、場合によってはパイプ椅子を並べた会議室の様な場所で上演されるアンダーグランドな作品もあった。そのような舞台をベースに映画鑑賞を組み合わせて、基本昼間は映画3~4本でマチネがある日は舞台1本+映画2~3本、夜は舞台+レイトショー1本という感じ。また昔ながらの映画館も色々あって、フィルム・フォーラムはNYでも古参の一つ。ここでは主にマニアックなアート系やインディ作品を上映していた。またクアッド・シネマは名前の通り4スクリーンあったが、ここでは娯楽作でもかなり個性の強い作品を観ることができ、「サイコビーチ・パーティ」というかなりぶっ飛んだ映画を観た記憶がある。
今はもうないと思うが、当時アンコール・シアターというロードショーが終わった作品を安い料金で観られる二番館があった。ここへヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ」のリメイク作品、「ダイヤルM」を観に行った時の事だった。上映が始まって間もなく隣席の女性が何やらゴソゴソし始めると、やがて強烈なチーズの匂いがしてきた。何とその女性は映画を観ながら、持参したチーズマッケン(チーズ・マカロニ)を食べ始めたのだ!しかしながら場内はほぼ満席で、ほかの席に移動したくても身動きが取れない状況。とにかく匂いを我慢してひたすらスクリーンに集中しようとしたが、お話が進んでサスペンスが盛り上がって来くると、今度は真後ろに座席にいた女性が叫びだした。ヒロインを演じるグウィネス・パルトロの行動に合わせて“危ない!何やってんの!”とか“そんなことぐらい、何でわかんないの!”とか大騒ぎ、全くかつての「8時ヨ、全員集合!」の“志村!後ろ!後ろ!”状態である。声から察するに若い黒人女性のよう。そっと様子を伺うと、隣にはBFらしき屈強な黒人男性が座っていたので、何も言わずに静かに向きなることにした。
隣席からはチーズの匂い、後ろからは叫び声の状況から逃げることも出来ず、もう映画どころではなくなってきて気が狂いそうな気分でいた。すると食事を終えたらしき隣のチーズ女が、今度は後ろの絶叫女に向かって煩いから静かにしろと苦情を言い始め、それに対して絶叫女も今度はチーズ女に対いて負けじと言い返す。もうカオスである。この状況では最早映画は全く頭に入って来ず、映画を観ている振りをしながら隣と後ろの喧嘩の成り行きを見守るしかない。絶叫女のBFらしき男性は流石に恥ずかしいのか知らぬ顔して映画を見ている振りをしているし、周囲の観客も二人に呆れるばかりの様だった。暫く言い争ったのち、やがて疲れたのか二人とも静かになったので漸く映画に集中することができたのだが、もはや手遅れだった。
そんなNY行を2000年まで夏毎に続けた。そして2001年は夏休みを9月に取ることにしたのだが、その理由はその頃大ヒットしていたミュージカル「プロデューサーズ」を観たいがためだった。これは1967年メル・ブルックス監督した映画「プロデューサーズ」を、マシュー・ブロデリックとネイサン・レイン主演でミュージカル舞台化したもの。当初はいつも通りの夏休みで行こうとしていて、先にチケットを電話予約しようとしたら既に8月中は殆ど売り切れというではないか。しかし9月分なら未だ幾分空きがあるというので、9月に行くことにしたのだった。そして9月13日出発予定で準備していたところ、その3日前に起きたのがあの9.11テロ事件だった。当然ながらフライトから先に予約していた舞台全てのチケットをキャンセルせざるを得なくなったが、それでも諦めきれずに結局年末年始に予定変更して向かうことにした。
という事で念願の「プロデューサーズ」であるが、クリスマス・シーズンを過ぎていたとはいえ、当然ながらチケットは年を越してもソールドアウト。あとはキャンセル待ちに一縷の希望を託すしかないとうことで、早朝8時前に劇場に向かいキャンセル待ちの行列に並ぶことにした。思いっ切り氷点下の寒風吹きすさぶNYの冬の朝ではあったが、着いてみれば既に結構なキャンセル待ち行列ができていた。多くの人はカップルやグループで並んでおり、その中の誰かが温かい飲み物等買ってきて寒さをしのいでいた。しかしこちらは自分唯一人で列を離れることも出来ず、ただひたすら寒さに耐え偲びながら吹き曝しの劇場前に立ち尽くのみ。そんなこんなで待つこと2時間強が過ぎ、何とかギリギリでキャンセル待ち最後の1枚のチケットを手に入れることができた。そしてその日の夕刻期待に胸を膨らませて劇場に行ってみたら、そのチケットはなんと2階バルコニーの最前列ほぼ舞台正面席!あの寒さに耐えたかいがあったというものだった。その公演では生憎N・レインは代役だったが、M・ブロデリックは出演した舞台を堪能することができた。「プロデューサーズ」は2005年に同じ主演コンビでミュージカル版が再映画化され、その日の思い出を胸に抱きながら観ることとなった。