その人に初めて会ったのは今から20年以上前の冬のことだった。その年の冬、私はオーストラリア出身の友人にメルボルンにある彼の実家でクリスマスに招待されて年末年始を過ごすこととなり、12月23日に真冬の東京を出発したが到着した豪州メルボルンは南半球の真夏だった。翌イブの日の午後に、彼の家族親族が集まっての帰国祝いのホームパーティーが開かれた。20名くらいの人が集まった真ん中に彼の祖父さんが祖母さんと共にに座して。皆がそれぞれ声高に話し込む中でその二人だけが言葉少なく周囲を見渡すようにしながら悠然としていた。友人が僕を紹介してくれた際は、威厳に満ちた視線を向けられて少々緊張したことを思い出す。当時80歳を過ぎたぐらいだっただろうか、戦後間もなくイタリア・シチリア島から豪州へ家族とともに移民しきたそうで、小柄だががっちりとした体躯に日焼けした容貌そのものがそれまでの年月を語っているようだった。その頃は既に仕事を引退してメルボルンの郊外で農場を営みながら悠々自適に隠居生活を楽しんでいると聞いたが、その時は直接あまり話すこともなく僕は次から次へと紹介される様々な人にただただ圧倒されていた。
クリスマスの翌日ボクシングデイに友人に連れられ、車で1時間ぐらいの郊外にあるお祖父さんの農場を訪問した。なだらかな起伏を見せる大地の中で、野菜を育てるビニールハウスにオリーブ畑、鶏小屋や牛の放牧場、灌漑用の池に囲まれてお祖父さんがお祖母さんと暮らす農家が建っていた。その日の午後はただ何をするでもなく友人とお祖父さんの会話を横で聞きながらお茶を飲み、窓の外の風景を眺めながら過ごしたのだった。お祖母さんとは母国語であるイタリア語で会話し、友人とは時折イタリア語を交えながらも訛りのある英語でボソボソと話す姿は、饒舌で情熱的というイタリア人のイメージとはかなり異なる印象だった。その日は特別何をしたわけでもないのだが、日々の喧騒からはるか遠く離れた特別な時を過ごすことができた一日だった。
その後ほぼ毎年のように年末年始をメルボルンの友人宅で過ごすのが恒例となり、その度にお祖父さんの農場へも訪れるようになったが、やがてお祖父さんのそれまでの人生についても色々と知ることができた。中でもお祖母さんとの結婚に際しては、家族に反対されたので駆け落ちしたという話に驚かされた。とても信心深い人で滞在の終わり別れの挨拶の際にまた来年会いましょうと言うと、いつも神の思し召しがあればまた再会できるだろうと言ってくれたものだった。
初めて会ってから10年後のこと、お祖父さんがイタリアの家族に会いに行き、その後アメリカに渡り現地に移住した親戚に会う世界一周旅行に出かけるという話を聞いた。その頃90歳を超え既にお祖母さんを亡くして一人で暮らしながらも、未だ農場で働き自ら車を運転して回る活発な老人だった。しかしさすがにその年で独りでの世界一周旅行は心配と友人がイタリア行については付き添うこととなり、何故か僕も同行することとなった。ミラノに妹3人が未だ健在とのことで、僕と友人は日本から直接現地へ向かいそこで合流することとなった。
空港で再会し車で街まで送ってもらう際に隣に座ったお祖父さんは、僕の膝をぴしゃぴしゃと叩きながら「よく来てくれた、また会えて嬉しいよ。」と、それまで見たこともなかった破顔の笑いを投げかけてくれた。ミラノでは数日を過ごしたのだったが、現地に行ってみて改めてイタリア人の饒舌さに驚かされた。とにかく常に何か喋っている人々の中で、お祖父さんの寡黙さが余計に目立つのだった。
ミラノで数日を過ごした後にお祖父さんの生まれ故郷であるシチリア島のミリテッロへ向かった。ミリテッロは空港がある島南東部の町カターニアから、バスで1時間ほど山の中に入ったところにある古代ローマ時代から続く世界遺産の町だった。空港から僕はお祖父さんと車で、友人はバスでミリテッロへ向かうことになった。到着するとお祖父さんは僕を連れ出して町の説明をしてくれながら歩き回った。かつては一本の通り沿いに千人以上の人が住んでいたけれど、今は数十人になってしまったという。戦後貧困からシチリア島の人口の半分近くが海外へ移民してしまったそうで、お祖父さんは最初アルゼンチンへ行こうとしたけれど、寸前になって先に移住していた親戚に誘われて豪州へ行き先を変更したそうだ。もしアルゼンチンへ行っていたら友人が生まれる事もなく、こうして私がシチリアへ来てお祖父さんと町を歩く事もなかっただろう。そんな話を聞いて、心密かに運命の廻り合わせに感謝したのだった。僕は数日滞在の後に帰国したが、お祖父さんは暫く留まった後にアメリカへ渡り当地に暮らす親戚と無事再会を果たしたそうだ。
それから5年後に農作業中のちょっとした傷から敗血症を起こしてしまい、お祖父さんは亡くなってしまった。個人的な事情やコロナ禍で暫く豪州へは行けなかったが、ようやく落ち着いてきた頃に久し振りにメルボルンを訪問することができた、あの農場も既に人手に渡ってしまったそうだが、神の思召しで又この地へ戻って来られましたと静かに心内で報告した。