オーストラリア大陸の真ん中で車のタイヤがバーストして、通りすがりの人の助けてもらったということは結構ヒヤッとした出来事だったが、実はその後も中々ヒヤヒヤな事態が続いていたのだった。この近道のダートロードは全体で100㎞程あり、バーストしたのはその1/4程度を進んだところだったので未だ80㎞近くその道を進まねばならなかった。しかし、次に何か起こったらもう予備のタイヤもなく完全に行き詰ってしまうことになる。おのずと運転は非常に慎重になり平均時速30~40㎞で進むことになってしまったのだが、運転を再開した時は既に午後4時半を回った頃で次第に陽も傾いていた。刻一刻と地平線に近づいていく太陽を尻目に走れど走れど、景色は代わり映えせず延々とブッシュの中を走り続けることとなった。その後数台の対向車とすれ違うこともあったが、その他に見かけたのは野良ラクダぐらいのもの。かつて大陸内部の探検のためにアフガニスタンから連れてこられたラクダが、その後野生化して今も生息しているとのこと。とにかく、こんなひと気のない荒野の真ん中で闇夜の運転はしたくないと、とにかく暗くなる前にハイウウェイに辿り着くことのみを祈って道を進めたのだった。
やがて陽は沈み夕空の残照も消えかけたその時、漸くキングズキャニオンへと続くハイウェイに辿り着くことができ、スピード上げてその夜の宿泊予定地へと向かったのだった、そして漸く夜8時過ぎに何とかホテルに到着しチェックインしようとすると、そこでももうひと騒動が待っていた。何と予約がキャンセルされているという。理由は判らないが旅行代理店が勝手にキャンセルを入れていたというではないか。しかもキャンセルされた部屋を含めてすでに満室だという。ちょっと待て、キャンセルなど頼んでないし、現にこうしてここにいるだろう。なんとかせい!と交渉して、通常は満室でも必ず空けておかなければならい身体障碍者用の客室に泊まることができたのだった。ようよう部屋に荷物を置き夕食を取ろうとレストランへ行ってみたら既にクローズ!しょうがないので隣でまだ開いていたパブに行き、辛うじて残っていた揚げ餃子の様な代物とビールで腹を満たしたのだった。
次に話は遡って今から30年近く前の1996年の事、初めてヨーロッパを旅した時ローマで起きた出来事だった。ローマに着いての初日の夕方、市内観光を終えホテルに帰ろうとして近くの大きな交差点で信号待ちをしていた時の事だった。突然背後から声を掛けられ、振り返ると見知らぬ男が地図を指し示しながらここにあるレストランに行きたいのだが道を教えてほしいという。自分は旅行者なので良く判らないが多分あっちの方だろうとさし示したところ、自分も独りで旅行中なので一緒にこの店を探して食事をしないかと言ってきた。見れば小柄でにこやかに人懐っこい表情で話す様子にあまり危険性も感じられず、まあこれも何かの縁かなと思って一緒することにした。
しかし目的の店を見つけて一歩店内に入ってみると、薄暗い店内からいきなり数人の女性が現れてあれよあれよという間に席へと案内されてしまった。明らかに普通のレストランではない。旅行者をひっかけるヤバい罠に嵌められたことに気がついた。しかし気付いたときはもう遅く、仕方がないので取り敢えずビールを一杯だけ飲み、それ以上被害が大きくならないうちに腹が減っているのですぐ引き上げると言って脱出を試みることにした。女性たちはそれならここでピザを食べればいいじゃないと引き留めようとするが、いやいやご勘弁とビール1杯に円貨で約3万円の支払い何とか脱出することができた。結構痛い出費となったが、うっかり油断するとこんなことになるという勉強代だと思うことにした。
滞在していたホテルに帰るためには毎度あの交差点を通らざるを得ないのだが、翌日再びそこに差し掛かると今度は別の男が同じことを言ってきた。又かと頭にきて、あっちの方でしょと指差ししてその後は知らぬ顔でさっさとその場を後にした。したらその次の日もそこでまた別の男が声を掛けてくるではないか、もうまともに相手をする気にもなれず、何を言っているか判りません!って顔で無視してやった。そして更にその次の日は翌日に帰国を控えた最後の1日という事でポンペイの遺跡まで足を延ばして帰って来たところ、まさかと思ったがあの交差点でまたまた日替わりで別の男に同じことを言われてしまった。もういい加減うんざりしていたので、ニタっと微笑みを浮かべながら日本語で「てめえアホかっ!いい加減にせんと、いてこましたるぞ、ボケ!」と捲し立て、呆然と立ち尽くす姿を横目にとっとと立ち去ったのだった。
その数年後90年代も押詰まってニューヨークで映画・演劇に耽溺する夏休を送っていた時の事、ある夜ダウンタウンで映画を見終えたときにはかなり夜も更けた頃となっており、7番街に沿って走る地下鉄にのってホテルへ帰ろうとしたのだった。泊まっていたホテルチェルシーの最寄りは23丁目駅なのだが、その日に限って通過してしまい次の28丁目駅で降車せざるを得なくなってしまった。今は知らないが当時NYの地下鉄では、時々突然工事等の理由で駅をすっ飛ばすことが多々発生していた。ということで28丁目に降り立った時は午前0時間も回ており、しかもホテルまでは5ブロック歩いて帰らなければならない。当時90年代後半のマンハッタンはかなり治安が悪かった70~80年代よりは改善されていたものの、それでも夜遅くに大通りとはいえひと気のない道を独りで歩くにはかなりの勇気が必要だった。この様な場合の対処方法として、如何にも旅行者然としたようなビクビクと怖がる様子を絶対に見せず、周囲に気を配りながらも真直ぐ前を見て、自分は地元民であり何処へ向かっているかちゃんと把握しているという気配を見せながら、暗いところを避けてなるべくひと気の多いところを選んで速足で歩くべし、と聞いていたのでその通りに実行した。内心はとんでもなくヒヤヒヤしていたが、とにかく何でもない風を装ってひたすら道を急ぎ何とか無事ホテルへ辿り着くことができた。しかし部屋に入ってドアを閉めたときは、緊張が一気に解けて文字通り腰砕けになって座り込んでしまったのだった。
又別の夜、ヴィレッジのアンジェリカ・フィルムセンターで映画を見終えた時、時計は既に深夜0:30を回ったところだった。さすがにその時間から地下鉄で帰るのもどうかと思ったのでタクシーで帰ることにした。何とか車を拾って走り出しある交差点にて信号待ちで停車した時の事、突然車のドアが外から開けられたのだった。吃驚し何が起こったかと見てみると、ガタイの大きな黒人男性が頭を車内に突っ込み自分に向かって何やら叫んでくる。どうもこのタクシーは自分が使うからお前はさっさと降りろ、と言われているらしい。パニックになりかけて、どうしようもなく座席の奥に身を押し込み固まっていると、少々年はいっていたがやはり黒人のタクシー運転手さんが何やら言い返してくれた。ちょっとの間二人で言い争っていたが、信号も青に変わると襲ってきた輩は乱暴にドアを閉めて立ち去ったのだった。運転手さんは“Sorry”と一言ぶっきらぼうに言っただけで、その後何事もなかった様に車を走らせてホテルまで送ってくれた。そして料金支払いの際にチップをはずんだことは言うまでもない。
話は再び豪州に戻る。今まで約25年の間で首都キャンベラを除き、豪州の全ての州の主な都市について全て訪問してきた。その中で大陸の南東タスマン海に浮かぶタスマニア島をメインとしたのがタスマニア州で、その州都は島の南部に位置するホバートである。ここは豪州でシドニーに次いで二番目に古い街で、19世紀初頭英国からの流刑者による植民を起源としていた。このタスマニアを旅したのは2007年初のことだった。そんな歴史のためかホバートの街には結構幽霊話があるようで、夜間のゴーストツアーも開催されており物は試しと参加してみることにしたのだった。ホラー映画や怪談話等は嫌いじゃないが、自身では幽霊やら何やらの心霊体験といわれることはおろか、UFOすら1度も見たことが全くない霊感ゼロ人間なので、まあ話のタネになればぐらいのつもりだった。そして夜8時に開始ということで集合場所付近にてスタートを待っていた時、一緒に旅していた友人がいきなり近くの家の二階の窓に何かがいると言い出したのだった。言われたところを見上げても誰もいず、ただ灯の消えた暗い窓があるだけなのだが彼は何か感じるらしい。普通ならば冗談だろうで済ましてしまう所なのだが、実はそうも簡単に片づけられない理由があった。
前年2006年の夏、その友人のたっての希望で下北半島の恐山を訪れ、その後とある温泉に宿泊した。泊まった旅館の部屋は10畳の和室で床の間と押し入れの後ろ側に浴室・トイレがあり、部屋からは回り込んで行かなければならない間取りとなっていた。その夜食事や温泉も一通り済ませてTVを見ながらくつろいでいた時友人がトイレに立ったのだが、自分はそのままTVを見ていた。すると彼が何やらトイレで騒いでいるので、何事かと様子を見に行った。たら、「使用中のところを覗きに来るなんて、何を考えているんだ!」とのたまうではないか。トイレのドアを開けたま座って用をたしていたところ、扉の陰から誰かがひょこっと頭を出して覗き込んだと言うのだ。ずっとあっちでTVを見ていたと言っても、絶対自分だったと、大体2人しか部屋にいないのに他の誰が覗きに来るのか?と言って譲らない。まあこんなことで喧嘩しても仕方ないと思ったので、取り敢えず驚かせて悪かったと謝って事を収めることにした。彼はそれで納得したようだったが、自分としてはその旅館は恐山から結構な距離があったものの、多分何かを連れてきてしまったのかなと思わざるを得ず、その夜は少々不安な気分で床に就いたのだった。しかし、結局翌日以降は特に何も起きることはなく、無事帰路に就くことができた。直接自分が関わったのはその時だけだったが、彼はそれまでも何度か奇妙な人影を見たことがあると言ったことがあったので、所謂霊感体質の持ち主で“見える人”なのだろうと思っていた。
そんなことがあったので彼が何かいると言えば多分何かいるのだろうと思ったが、自分としては全く持って何も見えず感じないので特に怖いとも思わずにそのままゴーストツアーは始まったのだった。当時ホバートの街は夜8時を過ぎるとショップどころかカフェ・レストランも殆どが店を閉めてしまい、所々にパブやバーが開いている程度で路上に人影は疎らにしか見えないという感じ。そんな街を歩きながらあちこちの街角で、そこここにまつわるいわく因縁の話を聞きながらツアーは進む。そしてとある古ぼけたビクトリア様式のビルの地下室に入って行ったのだが、そこは何もないがらんとしたただの地下室でむき出しの壁も荒れた感じだった。しかしガイドさん曰くそこには数人の幽霊がいるとの事だったので、室内の写真を数枚撮ってみたのだった。結局ツアー冒頭で「何かいる!」と言われたものの、特に何かが見えたり起きたりすることはなく、特に友人もそれ以上不気味な事を宣わずに無事その夜のゴーストツアーは終了したのいだった。
帰国後に旅行中の写真を友人と一緒に見ていたら、あの地下室で撮った写真を見て幽霊が5体ほど映っているという。そことこことと示されてよくよく見ても、自分にはただの壁や床のシミにしか見えない。彼曰くかなり古い霊体でもう動くことも出来ずに半分消えかけているけど、未だその地下室にいたのだとのこと。とは言え相変わらず見えず感じずの自分としては、「ああ、そうなのね…」としか言えなかった。その数日後旅行のお土産を渡しがてら、久しぶりに親に顔を見せるために実家へ帰ることにした。旅の話をしながら持参した写真を見せていると、例の地下室の写真を見た父親が「この写真には幽霊が5人写っているね…。」と言い出した。吃驚してどこにと尋ねれば、友人が示したと同じところを指差すではないか!それまで畑仕事が趣味のただの頑固爺と思っていた父親が、何という事か!余りの衝撃に言葉もなく固まっていた自分に向かって、「本家(父の実家)はな、昔拝み屋と言われていたんだぞ」と言ってにやりと笑った。過去命に関わるような病気もしたこともあるが、何にも増してこの時こそが自分にとって人生最大の恐怖を感じた瞬間だった。因みに父親が亡くなった際に、今現在本家を継いでいる従兄弟にこの話をしたところ、拝み屋と言われていたことなど全く知らないと言っており、何が真相だったのかはいまだ謎のままである。