初舞台生64期生で星組トップになったが紫苑ゆうと花組娘役トップの秋篠美帆とひびき美都がいた。男役スターでは郷真由加(月)、幸和希(花)、翼悠貴(花)等がいた。同期の娘役の翼ひかるとは姉妹だが双子ではない。娘役スターに歌の上手い草笛雅子がいたが、彼女の叔母さんは往年の歌姫草笛美子だった。後個性派の仁科有理(月→雪)や今も歌劇団の振付師として活躍している御織ゆみ乃(花)等がいた。

 

 年明け1~2月雪組と2~3月花組は「風と共に去りぬ~スカーレット編」の連続公演となった。雪組は汀夏子のスカーレットに麻実れいのバトラーで、東千晃はスカーレットの妹スエレンで城月美穂がメラニー。花組はスカーレット安奈淳の退団公演ということで、バトラー役は大劇場のみ先に演じた榛名由梨と鳳蘭の特別出演に加えて花組からは麻月鞠緒が登場した。榛名と鳳は先年演じた様にトップ二枚目らしいバトラー像で演じたが、麻月は一歩下がって壮年のバトラーを表現するために髪の毛に一筋の白髪を見せる等渋さを強調した役作りを見せた。北原千琴がスエレン役に回って上原まりがメラニーを手堅く見せた。又ベル・ワットリンングに男役だった汐見里佳が当たり好評を呼んだ。「風共」4組を通じてマミーを演じたのが専科の水穂葉子で、「ベルばら」のモンゼット夫人とは対照的な重厚な演技でスカーレットを支えて舞台を締めていたのが思い出される。一方で1月から6月にかけて断続的に星・月・花組によって「風共」地方公演(全国ツアー)が行われた。

 

 花組はこの後4月に新劇場バウホールの杮落しとなる「ホフマン物語」を上演し、ここで漸くファン待望の安奈の洋物男役姿が最後の最後で登場し北原との最初で最後のコンビの芝居を披露した。またこの後「風共」東京公演の前に、同じくバウホールでサヨナラコンサート的公演「サヨナラにリボンをかけて」を上演。自分はこれのラジオ中継された放送を聞いていたようだ。

 

 大劇場では4~5月月組「祭りファンタジー/マイ・ラッキー・チャンス」を挟んで、6~7月星組は1本立「誰が為に鐘は鳴る」。つまりこの年の前半6ヶ月4組の公演の内雪・花・星組公演が1本立て(雪花は続演)となったわけで、再びファンの間では欲求不満な雰囲気が流れていた。この「誰鐘」には当時の専科から沖ゆき子や大路三千緒といったベテランが多く出演して、芝居に重厚さを感じさせていた記憶がある。当時の専科には他にも美吉佐久子や天城月江と戦前に初舞台を踏んで戦中戦後を乗り越えてきた方々が、天津乙女、春日野八千代、神代錦の3理事以外にもまだ在籍していて、その存在感は半端ないものだった。しかし2010年宙組での再演に際して何となく脇が軽い感じがしたのは、やはりノスタルジアから来る思い込みだろうか。又、この頃新人公演は2回行っており、星組では峰さを理と同期の孝まりおの二人が主演することが殆どだった。孝はかつての月組トップ故里明美の姪だった。

 

 7月以降の公演は各組とも芝居とショーの2本立てで通常運転に戻ったが、7~8月雪組「丘の上のジョニー」では汀夏子の相手役が城月美穂となった。併演のショー「センセーション!」では、汀と麻実れいが女役で凸凹コンビを見せて受けていた。8~9月月組「隼別王子の叛乱」は”古事記”の世界を描いた田辺聖子の小説が原作で、以降田辺作品原作の作品が度々登場することになった。10~11月花組「遥かなるドナウ」は幻となった瀬戸内美八とのWトップ以来4年目にして、改めて新トップ松あきらの披露公演となった。松は北原千琴とコンビを組み、二番手にみさとけいという体制になったが、この公演の後で上原まりは専科へ組替えとなった。併演のショー「エコーズ(絵光図)」では以前記したように室町あかねと平みちによるカマキリダンスの場面が衝撃的で評判を呼んだ。

 

 11~12月星組「宝花集/セ・シャルマン」は和洋のレビュー二本立てで、全くもって鳳蘭の独壇場となった。依然として二番手は但馬久美だったが、太陽があってこそ輝く月の様に鳳がいてこその二番手という別格的な位置付けで、以下に中堅を固める生徒はいたもののトップ鳳の存在感が強烈すぎたせいかその影に隠れてしまうような感じだった。結局将来のトップ候補を見据えた今で言う路線スターは、8期下で当時研7の峰さを理まで飛んでしまっていた。

 

 バウホールの次の公演は6月に当時研6の大地真央初主演作「マリウス」が上演され、10~11月にはメキシコ・アルゼンチン・ブラジルの3国を巡る中南米公演が順みつきトップで行われた。

 この年の初舞台生63期生には花組の娘役トップで、松あきら・順みつきの相手役を務めた美雪花代がいた。男役スターではあずみれいか(星)や旺なつき(月)、月組副組長だった葵美哉。歌が上手かった愛原さゆ美(星)、常盤幸子(月)も思い出される。葦笛るかは大路三千緒の姪であり、NHKの朝ドラにヒロインの友人役でレギュラー出演し、バウでは大地真央の相手役も務めた。真琴愛(星)は優ひかりの妹で、3年目で退団後は鈴江真里の名前で歌手デビューしていた。個人的にこの期で一番美人だと思ったのは佐保雅世(月)だった。

 

 1~2月花組は天津乙女の受勲を記念して上演された「朱雀門の鬼」と、18世紀の小説”カンディード”を原作としたショー「ル・ピエロ」。尚”カンディード”は後に紫苑ゆう主演の「華麗なるファンタジア」としてミュージカル化もされている。2~3月雪組「鶯歌春/マンハッタン・ラグ」から高宮沙千の後に東千晃が汀夏子の相手役となり、汀・麻実れいに対して娘役に東・城月美穂という体制となった。東は元々星組だったが「ベルばらⅢ」の後で雪組へ組替えとなっていた。高宮とは対照的な清楚なヒロインタイプで、アイドル系の汀とは相性がよさそうに見えた。城月は先に月組から組替えしてきており、東とは対照的にゴージャスな美貌が印象的な娘役だった。「マンハッタン」では当時の雪組を代表する娘役ダンサー、加奈霞と汀が組んで踊ったシーンが印象に残っている。

 

 そして「風と共に去りぬ」が4~5月月組榛名由梨バトラー・順みつきスカーレットと5~6月星組鳳蘭バトラー・遥くららスカーレットで連続上演が行われた。以前記した通り、ここから自分の本格的宝塚人生が始まったわけだった。この星組公演でそれまで鳳の相手役を務めてきた、衣通月子と奈緒ひろきが退団となった。


 7~8月雪組「あかねさす紫の花/ザ・レビュー」に続いて8~9月花組「宝舞抄/ザ・レビュー」とレビューの連続公演が行われた。この花組公演から北原千琴が月組から移動となって、安奈淳の相手役に就任した。一方それまで相手役を務めていた上原まりは以降別格扱いとなった。高宮沙千もそうだが実績も実力もある生徒に対して今時このような人事を行ったらかなりの大騒ぎになっただろうが、トップコンビ体制が強固に確立している現在と違ってこの”ベルばら4強”時代は男役の充実に比して初風諄以外の娘役の扱いが、たとえトップの相手役を務めていたとしてもかなりぞんざいな印象だった。

 

 「ザ・レビュー」は「モン・パリ」初演50周年を記念する気合の入った作品で、内容は3部に分かれており夫々を横澤英雄・岡田敬二・草野旦の3人の演出家が担当した。その草野が担当したのが第3部”夢人”で、当時の草野らしい少々変わったテイストが印象に残っている。その後「ザ・レビュー」シリーズは何作か上演されている。

 

 以上の通りこの年は半年間にわたって「風と共に去りぬ」と「ザ・レビュー」の連続上演に「あかね」再演に和洋レビューの二本立てと続き、何となくファンの間にもやもやした欲求不満的雰囲気が漂っていたような気がした。特に花組「宝舞抄」は春日野八千代が特別出演した和物レビューだったのだが戦後春日野が出演した「白蓮記」が再現されたり、安奈と北原が蝶々夫人とピンカートンとして並び立った姿は好評だったものの何だか古臭いと評されてしまい、その前作「朱雀門の鬼」は天津乙女特別出演の舞踊劇でこの1年花組で芝居の上演がなく、特に安奈ファンの間で更に悶々とした気分が漂い始めていた。

 

 10~11月月組「わが愛しのマリアンヌ」で小松美保はタイトルロールの“マリアンヌ”で、彼女の持ち味であるコケティッシュな魅力を存分に発揮していた。しかし、この作品が「華麗なる千拍子」の作者高木史朗の最後の作品となった。11~12月星組「テームズの霧に別れを/セ・マニフィーク」から正式に娘役に転向した遥くららと鳳蘭のコンビがスタートした。二番手の但馬久美は変わりなかったが、この年の年初の東京でそれまで星組の中堅処を固めてきた同じ53期生同士の浦路夏子と三代まさるが退団してしまい上條あきらが雪組から移動してくるが、その後何度か星と雪を行き来する。娘役では玉梓真紀が遥に次いでの二番手となった。

 この年の初舞台生62期からトップになったのは日向薫(星)、また夏美ようが未だ専科で現役を続けている。専科では飛鳥裕も長く活躍していた。花鳥いつきは宝塚テレビロマン「はいからさんが通る」花村紅緒役で主演の後、汀夏子の退団公演「去りゆきし君がために」で相手役を務めた。瀬川佳英、奈々央とも、正規煌(振付師の麻咲梨乃)とダンスに優れた人たちもいた。朱穂芽美の娘が星組にいた音花ゆりとタレント相武沙季というのは有名な話。個人的には高瀬美亜という生徒がお気に入りだった。娘役では美風りざも記憶に残っている。

 

 雪組の年明け1~2月「白鷺の詩」と6~8月「星影の人」では、前年「フィレンツェに燃える」に続いて高宮沙千が汀夏子の相手役を務めた。アイドル系の汀と妖艶な高宮では一見合わなさそうな感じだったが、これを柴田侑宏マジックというべきか、「フィレンツェ」「星影」共に上手に二人のコンビネーションを見せた佳作となった。2~3月花組公演「あかねさす紫の花」も演出家柴田の傑作の一つ。柴田作品の特徴は座付き作家として各組の構成、スターの個性を上手に生かした当て書の脚本でありながら、巧みな構成の人間ドラマを描き高い文学性を漂わせることができたこと。1985年星組初演の「哀しみのコルドバ」などその最たるものだと思っている。「星影」で舞妓役になったのは、当時未だ若手娘役だった高ひずると昇路みちるのコンビで、稽古中とにかく笑い転げていて流石の柴田先生も呆れていたとか。尚、高宮はこの後声楽専科へ移動となった。

 

 そんな文学的な柴田作品とは対照的に後年“植田歌舞伎”と評されるように、ド派手にぶち上げるのが得意な植田紳爾作の3~5月は星組大劇場「ベルサイユのばらⅢ」となった。鳳蘭フェルゼンに月組から特別出演した初風諄アントワネットがメインとなるお話は今で言う“フェルゼンとアントワネット編”、更にそれまでの月・花・雪の各組公演でオスカルを演じた榛名由梨、安奈淳、汀夏子が順番で特別出演し、星組からは順みつきが演じるという豪華版となった。鳳は当時「男には飲ませるな~♪」と唄う赤玉ポートワインのTVCMが話題となったりして、マスコミは鳳の出演を"「ベルばら」にいよいよ大物登場"と話題にしていた。又当初はこの星組公演が初風の退団公演となるはずだった。一方で、4月から7月にかけて花組は「ベルサイユのばら~アンドレとオスカル」の地方公演(全国ツアー)で北海道以外のほぼ全国を回っていたが、これには地方のファンと人材の掘り起こしという目的もあった。そしてこの時の仙台公演を見て、音楽学校の受験を決めた一人の少女が後の杜けあきだった。

 

 そしてこの次の5~6月大劇場月組「長靴をはいた猫/スパーク&スパーク」は、「ベルばら」初演でフェルゼンを演じた大滝子の退団公演だった。しかし大対初風の組子を巻き込んだ大騒動の影響か、初風とは対照的に退団公演としては余りにもつつましいものとなっていた。そもそも「長靴」は童話劇で大は猫耳をつけて登場、「スパーク」もスペシャル感は殆どなしの通常運転なショー作品で、しかも東京へは行かずに大はこの大劇場をもってサヨナラとなってしまい、その後OGイベント等でも殆どその姿を見ることはなかった。その結果この空いた月組東京の枠で「ベルばらⅢ」を続演することになり、今度は鳳が星組から特別出演という形となった。何でも月組生から「初風を最後は月組公演で送り出したい!」との声が上がったから、とのことだったと伝え聞いた。榛名は「ベルばらⅢ」大劇場は花組からの特別出演だったが、大の退団を受けてこの東京公演から改めて月組のトップに就任してオスカル役で出演となったが、大劇場では特別出演だった枠での登場となったので、公演を通じて実質的には初風の月組トップ退団公演のような形になっていた。これによって、花組安奈淳・月組榛名由梨・雪組汀夏子・星組鳳蘭という、所謂"ベルばら4強"体制が確立された。

 

 その後8~9月の大劇場花組は安奈淳単独主演で「うつしよ紅葉/ノバ・ボサ・ノバ」となったが、初日前日に「ノバ」作者の鴨川清作が急逝するという悲劇に見舞われてしまった。以降安奈をトップとして二番手松あきら、三番手みさとけいという体制が固まった。因みに翌年春の花組地方公演(全国ツアー)の際は、季節が変わっていたために「うつしよ桜」に変更となっていた。10~11月星組「夕陽のジプシー」ではTV界から漸く遥くららが男役で復帰。本来は「加奈子」の撮影を終えた段階で復帰したかったのだが、星組は「ベルばらⅢ」の真っ最中だったので、この時まで待たなければならなかった。

 

 11~12月月組「紙すき恋歌/バレンシアの熱い花」で榛名、瀬戸内に「ベルばらⅢ」後に移動となっていた順を加えた3トップが揃うこととなった。娘役も小松美保・舞小雪・北原千琴の3人が揃って強力な体制が出来上がる。尚「紙すき」は瀬戸内が主演し舞小雪が相手役となった。「バレンシア」も柴田作品で、この年は「星影の人」「あかねさす紫の花」と合わせて3本もオリジナル作品が上演され、いずれも後年再演が繰り返される当たり年となっていた。


 ところで、当時雪組には舞千鶴という上級生がいて、当時は姉妹でなくとも当事者の了承が得られれば同じ姓の芸名も認められていたのか、花組にも星里未子と星すばるという二人がいて、いずれも血縁関係はないようだった。

 この年初舞台を踏んだのは61期生で、花組若葉ひろみと星組湖条れいかの娘役トップが2人、男役スターでは朝香じゅん(花2番手)、桐さと実(月)がいた。その他にも記憶に残るのが、先ず1978年(S53年)ミュージカル「アニー」の日本版初演に際して初代アニーを演じた愛田まち。ミュージカルがかなり身近になった現代ではアニー役は子役をオーディションで選出して上演しているが、初演に際しては確か身長150cmそこそこと非常に小柄だった愛田が抜擢されたと記憶している。後に専科で長く活躍した一原けい、箙かおるや、歌の上手かった優ひかり、父夢路いとし譲りのコメディエンヌだった麻泉沙里なども活躍した。

 

 榛名由梨は前年に月組から花組へ組替えしていたが、1月月組「春鶯囀/ラビング・ユー」に出演した。(「春鶯囀」主演は春日野八千代)、一方安奈淳は1月花組東京「アン・ドウ・トロア」に星組から特出で主演した後で正式に花組へ組替えとなった。尚、併演の「太陽と海とファド」の主演は花組Wトップのはずだった松あきらと瀬戸内美八。そして3月花組公演「夢見る恋人たち/ボン・バランス」から改めて榛名と安奈が花組Wトップに就任し松あきらが3番手となり瀬戸内は月組へ移動、次の7月花組「ベルサイユのばら~アンドレとオスカル」が榛名アンドレと安奈オスカル、上原まりアントワネットと松フェルゼンというキャストで上演された。当時は組替えに際しても公演スケジュールを優先して、移動となる生徒には負担となるような場面が散見されていた。

 

 月組では榛名が抜けた後大滝子の単独トップ体制となり、二番手に榛名と入れ替わりで花組から移動となった瀬戸内に3番手叶八千矛という体制になった。しかしながら次の4~5月月組「ラムール・ア・パリ」はサラ・ベルナールの生涯を描いた作品で、ベルナール役を演じた初風諄が前年の「ベルばら」初演アントワネット役に続き、事実上の主役となった。尚、これ以降大劇場の公演期間が1ヶ月半となった。初風はヨーロッパ公演(ソ連・パリ)に参加したため、次の10~11月月組公演「恋こそ我が命(東京公演は「赤と黒」に改題)」では、舞小雪が大滝子の相手役となった。この頃TV”ザ・タカラヅカ”で未だ若かった邦なつきと風かおるが漫才コンビのように喋くっていたのを見て、邦はコメディ系の人かと思っていた。

 

 2月雪組公演「フィレンツェに燃える」は汀夏子と高宮沙千のコンビで上演されたが、先頃花組全国ツアーで47年振りに再演された作品。情熱のアイドル汀、妖艶な高宮、男らしい順という当時の雪組の布陣に合わせた柴田郁宏の当て書職人技が光る作品だった。併演された「ザ・スター」は長く雪組のトップに君臨し当時は専科にいた真帆志ぶきの退団公演。因みに前年月組「ベルばら」初演東京で併演されたのが初演で、この大劇場をもって真帆は退団となった。当時は大劇場公演をそのまま東京で上演しないことはそれほど珍しい事ではなく、4月の「フィレンツェ」東京公演で併演されたのは、3月大劇場花組で上演された「ボン・バランス」だった。

 

 5~6月星組公演「屋根裏の妖精たち/マイ・ハイ・スイング」のショーの「マイ・ハイ」は、幕開きヨガのポーズを取り入れた逆立ちではじまる”東洋の神秘”レビューでほぼ鳳蘭のワンマンショー。昭和の宝塚歌劇を代表するショー作家だった奇才鴨川清作の作・演出で、同年9月末から翌年1月中旬まで続く長期の海外公演となったヨーロッパ公演「ビート・オン・タカラヅカ」の試作となった作品だった。尚、この逆立ちシーンはその後2000年に行われたベルリン公演で再演されている。11~12月の星組次公演は鳳がこのヨーロッパ公演参加のため不在で、「フィレンツェに燃える」の後で星組へ移動となっていた順みつき主演で、「美しき青きドナウ/ザッツ・ファミリー」が上演された。

 

そして7~8月花組と8~9月雪組は連続で「ベルサイユのばら~アンドレとオスカル」が上演され、一気にブームが加速していった。花組は前述の通り安奈淳と榛名由梨のコンビで上演されたが、雪組は汀夏子オスカルに対するアンドレに麻実れい抜擢され、フェルゼンみさとけい、アントワネット高宮沙千いう配役で上演されたが、以降汀と麻実が男役コンビとして人気を博していくこととなった。

 先の宝塚歌劇団思い出50年記では、各組毎にトップスターの変遷を巡りその時々で感じたことを書き散らかしてきた。完結後にしばらく時間を置いたのちに改めて読み返してみたところ、いくつか追加修正はしたもののそれでも書き漏らした生徒さんや出来事が色々と思い出されてくる。また、各組毎の時間経過を中心に追った記述となったので、その時の他の組との関係性が見え難くなってしまった。そこで、今度は年度毎に横串を刺す形でその頃の歌劇団全体の雰囲気を思いだしながら改めて年代記を再スタートさせてみたいと思う。尚、以前の記述と重複する事柄もあるので、ご了承ください。

 

 また、当時の宝塚は公演体制がシステム化されトップコンビが確立しスターへの道のりが明確な現在とは違って、人事や東京公演の興行についても結構混とんとした場面が多々見られ、その辺の推移について詳しく記していきたいと考えている。尚、基本的に宝塚大劇場公演をベースとし、東京宝塚劇場の公演については東京公演と記することする。

 

 前回は1970年から話をスタートしたけれど、今回はある程度具体的に思い出すことができる1975年(S50年)から話を始めることとしたい。観客動員不足で低迷していた宝塚歌劇団が、その前年1974年(S49年)月組「ベルサイユのばら」が初演されたことによる“ベルばら特需”で、一気に上り詰めようとしていた頃のことだった。