湖月・檀コンビの当初の評判を裏切る健闘のあおりを食らった格好になったのが、二番手だった安蘭けい。首席で入団し雪組に配属され、早くから新公で役が付き順調に路線に乗った進んだ新人時代を送る。1999年(H11年)「ノバ・ボサ・ノバ」では同期の朝海ひかる、成瀬こうきと3人でマール/ブリーザ/メール夫人の三役をトリプル・キャストで分けあい、(だんご)三兄弟と呼ばれたこともあったが2000年に星組へ移動していた。

 

 その後安蘭は二番手時代に2003年(H15年)「雨に唄えば」ドン・ロックウッド役で主演し、相棒のコズモ役に宙組から大和悠河が特出となった。映画ではジーン・ケリー/ドンの二枚目ぶりとの対になる形で、ドナルド・オコナー/コズモの三枚目ぶりが目立ったのだが、この舞台での大和はコズモを普通の二枚目男役で演じたために、ドンとコズモの対称性が薄れてしまい、二人とも今一つ弾け切れなかったように感じた。一方でヒロイン・キャシー役の陽月華と対になる悪声の女優リナを演じた真飛聖は、作りこんだキャラクターで演じて舞台上で一番目立っていた。

 

 当時音楽学校を首席で卒業し、男役でトップスターになった生徒は汀夏子以来いなかった。『男役の首席はトップになれない』というジンクスが言われていたほど。同期の春野寿美礼や朝海が12年目でトップに就任した一方で、上がつかえて中々トップに手が届かない状況に耐えながら湖月の退団で漸くトップとなったわけで、16年目でのトップ就任は当時最も遅い就任記録となってしまった。

 

 相手役となったのが遠野あすかで、花組から一旦専科を経て星組で安蘭とコンビを組むことになる。遠野の専科行きについては、“新専科”や檀れいの場合とニュアンスが異なるように思う。同時期に雪組でも新トップに水夏希が就任することとなり、前任湖月の相手役だった白羽ゆりが雪組へ戻って水とコンビを組むこととなったため、それぞれの組の公演スケジュールを考慮して就任のタイミングを計ったことによるものではなかっただろうか。実際遠野以降最近の星風まどかまで、専科経由でのトップ絡みの人事が時々見られるようになった。

 

 そして二番手に若い柚希礼音、三番手格に立樹遥と涼紫央という体制になった。安蘭は2007年(H19年)「エル・アルコン-鷹-」や2008年(H20年)ドラマシティ公演「赤と黒」の色濃い役で印象を残した後、同年「スカーレット・ピンパーネル」初演を持ち前の高い歌唱力で成功させた。この新公で主演したのが紅ゆずるで、研7でのラストチャンスをものにして路線に乗り、最終的にトップ披露で「スカピン」の再演を果たしたのは有名な話。研7の新公ラストチャンスで主演を果たした生徒は何人かいるけれど、知る限り最終的にトップにまで到達したのは今のところ紅ゆずる、真琴つばさ、瀬奈じゅんの3人のみと認識している。

 

 又、この公演でルイ・シャルルを演じた水瀬千秋が、退団後に”大人向け”なビデオに出て大騒ぎになった。しかし70年代から80年代にかけて、日活ロマンポルノで川村真樹や朝比奈順子といった宝塚出身の女優さんが活躍していたこともあるし、多くの卒業生の中には当然色々なことをする人も出て来るだろう。過去刑事事件絡みで名前が出たOGも何人かいるし、最近でも退団後にやんちゃをして物議を醸した人も何人かいた。

 

 安蘭は翌2009年(H21年)「My Dear New Orlearns/ア・ビヤント」で退団となった。トップに至るまで時間のかかった人のトップ在任期間が短くなり勝ちになるのはしょうがないが、2年半での退団はやはり非常に勿体ない感じがしたのだった。この公演で立樹も一緒に退団となった。この新人公演で研4ながら初主演を果たしたのが真風涼帆で、最初名前を見たときは、「涼風真世のアナグラムみたいな名前だな…」と思ったのだが、偶々テレビでその舞台を見て舞台姿の華やかさに驚いた記憶がある。

 

 退団後に出演した「スカピン」でヒロインのマルグリットを演じたのは、「エリザベート」の一路真輝と同じパターンだった。

 香寿たつきの退団発表後、次の星組トップは“新専科”以前に星組にいたことのある湖月わたるか彩輝直のいずれかと言われたが、某演出家先生お気に入りといわれた彩輝が有利との見方が大勢だった。ところが蓋を開けてみると意外にも次期トップは湖月に決まり、相手役はやはり専科の檀れいとのこと。この人事はかなりの衝撃をもって迎えられ、誰もがこのコンビは短期で退団し彩輝か安蘭けいが次のトップになるだろうと考えた。

 

 現にある新聞社系の宝塚評コラムでは、『このコンビは長くは見られないので、ファンは心して観るべし。』と明言したほどだった。丁度2000年の新専科騒動に起因して発生した2002年の匠ひびき、絵麻緒ゆうの“ワン切り”騒動の記憶も新しい時期だったので、今度は2人まとめてという思いを誰もが抱いたのだった。

 

 174cmの長身を生かしたダンスで注目を集めた湖月は順調にキャリアを重ねて、当時人気のあったバレーボール選手によく似ていたため、街中で間違えられて追いかけられたということもあったそう。そして宙組立創立メンバーとして姿月・和央につぐ三番手となったが、姿月の退団を受けて二番手になった直後の2000年“新専科”騒動で専科へ移動となっていた。

 

 そして2003年(H15年)オペラ「アイーダ」に基づく「王家に捧ぐ歌」がトップ披露公演となる。ただしこの公演で元々のヒロインであるアイーダを演じたのは二番手となった安蘭けいで、コンビを組むことになった檀は湖月ラムダス、アイーダと三角関係となる王女アムネリスを演じた。当時個人的には『長くは見られない』と言われる割には、随分な大作が披露公演になったなと思ったものだった。

 

 檀は入団時の成績はあまり良くなかったがその美貌で注目を集め、月組配属から雪組へ移動した後に風花舞の次の真琴つばさの相手役として再度月組へ戻る。二度の中国公演の際は『楊貴妃の再来!』と大評判を呼ぶも、真琴退団に伴い専科へ移動した後に今度は湖月とコンビを組むこととなった。2004年(H16年)「花舞う長安」で檀は楊貴妃に扮し、湖月の玄宗皇帝と相対した。又安蘭に続くところで、立樹遥、真飛聖、涼紫央、柚希礼音らが三番手グループとなっていたが、徐々に真飛と柚希が抜け出して来るようになった。

 

 当初は短命と言われながらも、湖月・檀コンビはビジュアルの良さもあってよく健闘し、2005年(H17年)「長崎しぐれ坂」で檀が退団するまで続いた。又この公演後に真飛は花組へ組替えとなった。この時の檀の芸者役の好演が、翌年の映画「武士の一分」出演に繋がったのではないかと個人的には考えている。檀退団後は雪組から白羽ゆりが来て湖月とコンビを組み、2006年(H18年)海外公演として初めて韓国で「ベルサイユのばら」を上演し、そして同年「愛するには短すぎる/ネオ・ダンディズム」で退団となった。

 

 檀が退団後に、何かのイベントでの会見の際の記者とのやり取りから、『美貌と裏腹の気の強さに驚いた…。』というような記事を書かれたことがある。しかし月組で娘役トップとなった際にはファンから相当な言葉を投げかけられ、その後真琴の退団で梯子を外されて専科行となったにもかかわらず退団せずに留まり、そして再度星組でトップに返り咲く。更に退団後も娘役出身でありながら芸能界の第一線で活躍を続けられるのは、とにかく強い気力と根性があってこそのことで、見た目だけの美人さんにできる事でないなと妙に納得できることだった。

 

湖月も退団後に高卒認定を取得し放送大学卒業、更に英語の勉強を重ねて「シカゴ」の来日カンパニーへの参加を勝ち取る等公私に渡って積極的な活動を続けている。劇団がどの様な思惑でこの組み合わせを決めたのかは知らないけれど、当初泡沫の様に見られながらも結果的には前評判など吹き飛ばして、トップコンビとしての責務を全うするだけの力を持っていたということだろう。

 2001年は前述の通り”春の「ベルばら」東西同時公演祭り”の影響で、星組の公演形態は少々イレギュラーな形となった。1~2月は大劇場で稔幸主演「花の業平/夢は世界を翔けめぐる」、3~5月の東宝公演と8~10月の大劇場は稔と星奈優里の退団公演となる「ベルばら2001」となった。結果11~12月の東宝公演が次の星組トップ香寿たつきのお披露目となって、「花の業平/サザンクロス・レビューⅡ」が上演された。かつて瀬戸内美八が大劇場公演で退団したため、次の峰さを理のお披露目が東宝で「アルジェの男」の再演となったのと同じ様な形となった。

 

 香寿は当時有望な若手ひしめく花組で先ず注目されたが91年研6の時に雪組へ、96年研11で再び花組へ、97年研12でまた再び雪組へ、研15となった2000年“新専科”騒動で専科へ、そして翌2001年専科から星組公演「花の業平」に二番手格で出演後に、改めて星組へ組替えと移動が続いた。この間何度か退団を考えることもあったようだが、紆余曲折を経た後に漸く星組のトップとして落ち着くこととなった。

 

 相手役に渚あきを迎えてコンビを組むのだが、当時渚は入団から14年目で娘役のトップ就任としては異例の遅咲きだった。ただ二人は新人公演で組んだこともあったため、その際の相性の良さもあったのだろうか。そして2番手に安蘭けい、3番手に夢輝のあという体制となって、改めての大劇場での披露公演は2002年(H14年)「プラハの春/LUCKY STAR!」となった。

 

 「プラハ」はまたも星組得意の政治絡み近代史劇、1968年に勃発したソ蓮によるチェコ侵攻を題材にしたのもので、夢輝演じるソ連軍将校の悪役振りが強烈な印象をのこした。夢輝は瀬奈じゅん、貴城けい、大空祐飛らと同期の78期生で当初雪組に配属されたが宙組創立メンバーとなり、宙組では新人公演で姿月あさとの役をもって2度主演を果たし「エリザベート」ではトートを演っていた。

 

 またこの東宝公演のパンフレットを見ると、出演者顔写真一覧の最後の方にこの公演で初舞台を踏んだ88期生の生徒が並んでおり、そしてその一番最後に載っているのが紅ゆずるだった。ここから始まり最終的にはパンフの表紙を飾ることになったわけで、以前成績が良いか悪いかの極端からスターが生まれると言われたこともあるが、紅はその良い例と思う。

 

 同年中国公演を上海、北京、広州で行い、次回公演2003年(H15年)「ガラスの風景/バビロン」トップ在任約1年半であっさり退団となった。香寿は男役らしい男役スターで、「風共」スカーレットを演じたときは順みつきを彷彿とさた。「エリザベート」初演のルドルフ役もあるけれど、個人的には「凍てついた明日」や「ノバ・ボサ・ノバ」のオーロなどが印象に残っている。また、夢輝も「ガラス」で同時に退団となった。

 麻路さき退団に伴い、二番手だった稔幸が順当に昇格しトップにった。シアタードラマシティ公演1998年(H10年)「聖夜物語」でトップお披露目公演を上演した後、1999年(H11年)「ウエストサイド物語」が大劇場披露となり、相手役として星奈優里が引き続きコンビを組むことになった。この頃から大劇場での披露公演の前に、別箱や全国公演でプレお披露目を上演するようになったように思う。

 

 稔は同じ71期生の愛華みれ、真琴つばさ、轟悠と4人一緒に同時期にトップを務めた。しかし2000年6月に各組の二番手と三番手が丸ごとごっそり専科に移動するという、かつての”若返り大騒動”に匹敵するような大人事異動が発令され大騒ぎとなった。いわゆる”新専科”騒動である。

 

 二、三番手が抜けた後の各組の状況は2つに別れた。花組は愛華の下にいた匠ひびきと伊織直加が移動し、残った春野寿美礼、瀬奈じゅん、水夏希、蘭寿とむは皆後年トップとなった。月組は真琴の下の紫吹淳と初風緑が移動し、残った大和悠河、霧矢大夢、大空祐飛もトップ就任。雪組は轟の下香寿たつき、汐風幸と後に成瀬こうきも移動し、残留した安蘭けい、朝海ひかる、貴城けいがトップ就任と、これら3組については当時路線に乗っていた中堅クラスの充実が見て取れる。

 

 一方で星組は稔の下の絵麻緒ゆうと彩輝直が移動した後、残留組からトップが誕生するのは1世代後の真飛聖まで待たねばならないし、宙組に至っては姿月あさと退団直後、和央ようかがトップになったばかりのところで湖月わたると樹里咲穂が移動となったが、その時の主な残留組からトップは出なかった。未だに宙組生え抜きのトップが生まれないのは、この辺に遠因があるのかもしれない。という事で、星組中堅クラスの補強を図る目的が明白な、雪組から安蘭、宙組から夢輝のあの組替えが行われた。

 

 1997年から98年にかけて新公で麻路さきの役で連続主演した若手エースとして音羽椋がいたのだが、2000年(H12年)「黄金のファラオ/美麗猫(ミラキャット)」をもって研9で退団してしまった。しかし2001年(H13年)「花の業平」以降新人公演で真飛聖、柚希礼音、涼紫央といった、次世代を背負うことになる若手の活躍が目立ってくることとなる。

 

 2001年の星組は大劇場で「花の業平/夢は世界を翔けめぐる」を1~2月に公演後、3~5月はいよいよ新築となった東京宝塚劇場で、東京初演となる稔と星奈の退団公演「ベルサイユのばら2001(オスカルとアンドレ編)」を上演した。同時期に大劇場では龍真咲や早霧せいな等87期生の初舞台となった、宙組公演「ベルサイユのばら2001(フェルゼンとマリー・アントワネット編)」が上演されていた。つまり”春の「ベルばら」東西同時公演祭り”となっていた訳だった。さすがに東西入れ替わっての再同時公演はなかったが、8~10月の「ベルばら2001」大劇場公演をもって2人は退団となった。

 麻路さきは初舞台後、同期の久世星佳や若央りさと共に月組に配属された。多分月組での最後の公演の1986年(S61年)「哀愁」だったと思うのだが、新人公演で中心となったダンスシーンの最後を見事に決めて、絶賛を取ったことがあったことを覚えている。1986年研4で星組に組替えとなった後、峰時代の後半から日向時代の新公のほとんどで主演を務めることとなった。

 

 前述の通り紫苑ゆう負傷休演の際の大劇場公演と全国公演の代役を務め、1994年に紫苑退団を受けてトップ就任となったものの、年が明けた1995年1月に発生した阪神淡路大震災により宝塚大劇場は多大な損害を被ることとなってしまった。同年3月復興なった大劇場の再開第一作「国境のない地図」が披露作品となる。この作品はベルリンの壁崩壊にまつわる物語で、星組らしい政治絡みの近代史劇。麻路はピアニスト役で得意のピアノを劇中で披露する場面もあった。

 

 麻路は白城あやかとコンビを組み、二番手に稔幸、三番手格に真織由季という布陣となった。真織は月組の新公で涼風真世の役で主演を何度か務めた後に星組に組替えとなっていた。しかし同年の次作1995年(H7年)「剣と恋と虹と/ジュビレーション!」で退団となり、花組から同期の紫吹淳がやって来て3番手に収まる。因みに「剣恋虹」は2020年(R2年)シアタードラマシティ公演「シラノ・ド・ベルジュラック」と同じく。「シラノ」を原作としている。

 

 麻路はクールでニヒルなキャラが似合っていて、1996年(H8年)「二人だけが悪」などはその最たるものだったと思う。同年次作「エリザベート」で2代目トートを演じることとなったが、麻路は元々ダンスの人で歌唱の方はあんまりな印象だったため、上演に際してはかなり不安視されていた。しかしいざ幕が開いてみると、ビジュアルの美しさと手の動きでトートを表現し切ったとの評判を取ったが、このエリザベート役で白城は退団となった。

 

 この後1997年(H9年)「誠の群像」で土方歳三を演じるが、やはりこれもクール&ニヒル路線に乗った作品だった。この公演で相手役となった月影瞳は雪組へ組替となり、入れ替わって雪組から来たダンスが得意な星奈優里とコンビを組むことになる。紫吹も月組へ移動となり、絵麻緒ゆうが3番手となった。麻路・星奈コンビで同年かつて春日野八千代が演出・主演した「ダル・レークの恋」を1本立て作品として再演したが、東上に際しては、東宝劇場の建替え工事中のため帝国劇場で上演された。

 

 そして1998年(H10年)代替仮設劇場だったTAKARAZUKA1000days劇場で、「皇帝/ヘミングウェイ・レビュー」をもって退団し、直後に結婚してブラジルへ移住したのは有名な話。

 

 2016年に「シカゴ」を宝塚OGキャストで上演した際に、麻路が弁護士ビリー・フリント役を峰さを理、姿月あさととトリプルキャストで出演したが、随分と大胆なキャスティングに少々驚いた。