1970年(S45年)大阪万国博覧会が開催され、この万博観光客を目当てに上演されたのが「四季の踊り絵巻/ハロー・タカラヅカ」、タイトルからして初見の客向けということが判る。この公演で麻実れいと一緒に初舞台を踏んだ56期生は70名もおり、その時の首席が夏川るみ(小柳ルミ子)だった。公演終了後に即退団し芸能界デビューしたのだが、本当は音楽学校卒業時点で辞めたかったそうで、せめて初舞台だけでもと説得されてしぶしぶ出たそう。
麻実は当初星組に配属となり、翌1971年(S46年)「ノバ・ボサ・ノバ」初演でドアボーイ役を演じた際の、腰のバネを利かせたキレの良い動きが評判を呼び注目を集めた。その後この「ノバ」のドアボーイ役は、出世役と言われるようになる。そして1972年(S47年)「花の若武者」にて鳳蘭が演じた弁慶役で新公初主演を務めた後に雪組へと組替えとなり、雪組では「ベルばら」以降2番手でありながら、汀を男役コンビという形で支えていた。
汀の退団により麻実はトップに昇格し、星組から遥くららを相手役に迎え、更に高汐巴と入れ替わりに花組から来た寿ひづる(後にひずるに改名)が二番手という体制で、1980年(S55年)「花の舞拍子/青き薔薇の軍神(マルス)」が披露公演となった。麻実・遥は共に長身と美貌に恵まれた上に非常に息の合った演技でゴールデンコンビと呼ばれ、そこに寿を加えてゴールデントリオと呼ぶこともあった。舞台上の二人を見た劇団関係者が『やっぱり絵になるねぇ…』と呟いたところ、その隣にいた某スターが『絵にならなかった人は、どうすればいいのよ…』と言ったとか。
1981年(S56年)「かもめ翔ぶ海/サン・オリエント・サン」が上演された。「オリエント」の幕開き、豪華なセットと衣装でポーズを取る三人の姿が眩しく、フィナーレでは黄金に輝く大階段上で全員が踊りながら幕が閉じるというドラマティックな幕切れが今も目に浮かぶ。今はショーやレビューを問わずオープニングから中詰め、そしてフィナーレの大階段パレードという流れがかなり厳格に守られているが、80年代前半までは「ノバ・ボサ・ノバ」の演出家鴨川清作の影響を色濃く受けて、定番から外れたスタイルにこだわる演出家がいた。「オリエント」の作者草野旦はその代表格で、他にも初めから終わりまで大階段を下ろしたままの「オペラ・トロピカル」などもあった。
また、この「オリエント」には当時新進娘役だった北原遥子も出演していて、スーフィーという妖精のようなキャラクターで、遥くららのサンサーラにまとわりつくようにして可憐な姿を見せていた。その後も1983年(S58年)「うたかたの恋」で娘役二番手の役ミリーを務めるなど将来を嘱望されていたにもかかわらず、1984年不幸な形での退団を余儀なくされ、次の芸能界で羽ばたこうとした矢先に翌1985年あの日航ジャンボ墜落事故に巻き込まれてしまった。その日航123便に麻実が搭乗するはずだったのが、仕事の都合で乗りはぐれて事なきを得たというのも有名な話と思うが、個人的に自分の周りでも様々な理由から危ういところで搭乗しなかったという人が何人かおり、人の運命というものを考えさせられる事故だった。
1982年(S57年)「ジャワの踊り子」が再演されたが、この公演を東宝劇場に観に行った際に当日券で客席最前列、銀橋目の前の席を買うことができ、手を伸ばせば届くような距離で観劇できることに感激した。NYブロードウェイやロンドン・ウェストエンドでも最前列やそれに近いところで何度か観劇したことがあり、それはそれで大層な迫力で素晴らしかったのだが、宝塚の銀橋にライトがついて、出演者がラインナップしたときの華やかなパワーはまた別次元のものだった。
今はもうない浅草国際劇場でも一度最前列でSKDのレビューを観たことがあった。アトミックガールズのラインダンスや8人の娘役によるダンスチームのエイトピーチェスの踊りを目の前で観たら、その色気にひたすら悩殺されっぱなしだった。SKDは浅草という土地柄もあって男性の目を非常に意識した舞台演出となっていて、全体として衣装で使われる布地の使用量も宝塚よりは少な目だった。また80年代のSKDは藤川洋子を筆頭として娘役に良いダンサーが揃っていて、高城美輝や愛川佳代子、西紀佐江子といったメンバーが宝塚とは異なるレビューの輝きを見せてくれていた。
閑話休題、話を戻して、当時はまだ東宝劇場で当日券でも時々とても良い席を買えることがあったし、またチケットの値段も当時の宝塚歌劇は他の演劇公演よりも安かったので、2回公演の1回目を1階の良い席で観劇し、2回目は一番安い2階席の後ろから観たりすることもできたのだった。二階席からは舞台のすぐそばからの狭い視界と違って舞台全体を一目で見ることができるので、1回目では気づかなかった舞台全体の動きや、端っこや奥にいる生徒達の色々な小芝居を見つけることができて、結構それなりに楽しむことができた。
後で実は元々ブロードウェイ・ミュージカル「フォーティーセカンド・ストリート」の上演が検討されていたものの、上演権交渉が上手くいかなかったために、代わりに「ジャワ」になったとの噂話を聞いたことがある。後年NYブロードウェイで「42’nd St」を実際に観劇したのだが、確かに華やかな舞台は宝塚向きではあったものの、あの時の麻実・遥コンビに向いていたかどうかはちょっと疑問に感じてしまった。しかし、もし上演が実現していたらまず最前列のチケットは手に入らなかっただろうし、まあ自分にとっては「ジャワ」様々ということだった。
1982年に寿は花組へトップ就任を前提として移動し入れ替わりに高汐巴が花組から戻って来たのだが、結局寿が結婚のためトップになることなく退団してしまったため、高汐が1982年(S57年)「パリ変奏曲/ゴールデン・ドリーム」の1作だけ出演してまた花組に戻ってトップに就任となった。そして今回は花組から平みちが入れ替わりの組替えとなり、二番手がようやく落ち着くこととなった。
宙組が創立され東京宝塚劇場が建替えられて東京で年間を通じて宝塚歌劇が公演できるようになるまで、旧東宝劇場では宝塚歌劇と東宝現代劇公演(「細雪」とか、主に山田五十鈴や佐久間良子といった方々が主演していたような舞台)、が交互に上演されていた。つまり大劇場では年間4組×2回で8回公演が行われていたのに対して、東京公演は年間の半分6回しか公演できず、従って大劇場8公演の内2公演は東上できないことになっていた。1983年(S58年)雪組は大劇場で「うたかたの恋/グラン・エレガンス」と「ブルー・ジャスミン/ハッピーエンド物語」という2つの公演をしたが、この年雪組の東京公演は1回しかできないスケジュールとなっていた。
「うたかた」はその後何度も再演されるように非常に好評な作品だったがショーはそこそこ、「ジャスミン」は当時人気のあったハーレクインロマンスの小説を原作としていたが、通俗的なメロドラマと評判は今一つだったのに対して、ショーはストーリー仕立てで結構面白かった。実はこの頃雪組公演だけは日帰りで東京から大劇場まで観劇に行っていたので、両公演とも観てはいたのだったが、それでも改めてどちらが東上してくるのかは気になるところ。どちらが来ても芝居かショーのどっちかが残念と複雑な気持ちでいたが、結局「うたかたの恋/ハッピーエンド物語」の美味しいとこ取りな組み合わせの東京公演となって、大いに楽しむことができたのだった。
1984年(S59年)「風と共去りぬ」の再演で麻実はバトラーを遥はスカーレットをそれぞれ再び演じることとなったが、遥はこれで退団となった。公演に先立ち実は二人とも「風共」で退団を考えていたのだが、遥が先に退団を言い出したために麻実は一旦退団予定を延期したのだそう。遥はずっと歌唱に難ありと言われてきたが、この最後の舞台の幕間では『結構聞けるようになったね』と劇場ロビーで声がでるまでに上達し、ファンとしてはようやくここまで来たのに・・・とため息をつくしかなかったのだった。特に2幕目冒頭のバトラーとのハネムーン・シーンの遥と麻実の並んだ姿は、未だに脳裏から消えることが無い。この公演での毬谷友子のプリシーの演技は、個人的には映画版のイメージに最も近いものと感じた。
実はこれが最後との思いから、この時だけは観劇後の楽屋待ちをしたのだった。旧東宝劇場の楽屋口の前、道路を挟んで反対側から人混みに紛れて待っていたのだけども、遥が出てくる直前に麻実が登場したところ、道路を挟んで離れてなお光り輝くようなその美貌に圧倒されてしまい、危なくその後から出てきたお目当ての遥を見逃がしてしまうところだった。
遥が退団した後麻実は特定の相手役を決めず、次作「千太郎纏しぐれ」では様々な娘たちを回りに並べながら、最後は誰とも結ばれない結末という物語になった。当時の雪組は鳩笛真希、真乃ゆりあ、草笛雅子、毬谷友子、美風りざと色々なタイプの娘役が揃っていたのだが、やはり遥の後を埋めるほどの人はいなかったということか。また、この頃晃みやびという生徒がいて、元々は男役だったはずなのに芝居では女役、ショーでは男役という二刀流をこなす非常にユニークな人だった。
結局翌年1985年(S60年)「花夢幻/はばたけ黄金の翼よ」が麻実の退団公演となるが、ここで「はばたけ」の相手役クラリーチェに抜擢されたのが当時まだ研4だった一路万輝(後に真輝に改名)だった。この公演で一路はヒロインを演じながらも、ラインダンスや新公ではフィナーレの麻実のパートを踊ったりしていた。一路はそれ以前から新公では当時二番手だった平みちの役を演じることが多く、1983年「ブルージャスミン」新公では主演するなど期待の若手として順調にスター街道を驀進中だった。しかし、麻実の相手役とは言えヒロイン役に抜擢されて、一度は娘役への転向を考え麻実に相談したそうだが、「(男役としての)チャンスが未だあるのだから、(男役として)頑張れ」との言葉をもらって、そのまま男役として進むことにしたそう。
麻実は退団後ミュージカル「シカゴ」で鳳蘭と共演する。「シカゴ」についてはその後NYブロードウェイの舞台や映画版も観たが、ブロードウェイ版はフォッシースタイルのダンスが主役、映画版はジャズエイジの喧騒その物が主役だったのに対して、鳳・麻実版は太陽と月の様に対照的な2人の女優を輝かせるための舞台だったと感じた。
因みに一番好きな「シカゴ」はビビ・ニューワースがヴェルマを演じてトニー賞を受賞したバージョンで、ブロードウェイで開幕して間もなかった頃のこともあって、アンサンブルも含めて舞台上の全てが極上の輝きを見せていた。一方で最悪だったのはメラニー・グリフィスがロキシーを演じたバージョンで、かなりのロングランが続いてキャスティングにも苦労していたのだろう。同時期通りを挟んだ向かいの劇場では旦那のアントニオ・バンデラス主演で「ナイン」が上演されていて、こちらはとても充実した出来だっただけに何だか夫婦で天国と地獄を見せられた気分だった。