たまたま渋谷 に出かける折があり、スペイン坂を下ろうとしておりますと
反対に上って来た二人の若い女性が交わす言葉が耳に入ったのですね。


「新宿って分からないよねぇ」
「そうそう」


こちらからすれば、
裏道にいきなり細かい商店が並ぶスペイン坂なんつうところが出現する渋谷の方が
「よほどわからんなぁ」と思うわけですけれど、それぞれに通い慣れているだけなのか、
世代間ギャップというやつなのか…。


てなことを考えつつ下りきって(周囲の店々におよそ興味をそそられることがないのでして)
左へ折れると西武百貨店 渋谷店のA館・B館の間に出るのですね。


かつて西武・東急戦争とか堤・五島戦争とか言われたことがありましたが、
東急の牙城である渋谷に西武が殴りこみをかけた象徴のようなところではあります。


器は大きいながら、より若者指向のPARCOあたりの賑わいに比べると、
この西武渋谷店の落ち着きよう…有態に言うと静かな様子は
Bunkamuraに隣接する東急百貨店本店とはどうも力の入り方が違うような…。


東急側が相変わらずの勢いで東口の再開発(ヒカリエだかなんだかヘンな名前のビルでしたか)を
していたりするのを思うにつけ、西武に昔日の俤は薄れつつあるなと思ったりするわけです。


そんな西武百貨店渋谷店の脇を通り過ぎようとして、
一枚のポスターに目がとまりました。
「ロバート・メイプルソープ flowers 写真展」、A館7階特設会場。


ロバート・メイプルソープ flowers 写真展@西武渋谷店A館7階特設会場


ちょうど外歩きの暑さに参りかけたところでしたので、
冷房のご馳走に預かるついでに覗いてみるかと思ったのでありますよ。
ということで、渋谷の話ではなくして、メイプルソープ写真展のお話。


ロバート・メイプルソープという写真家を知っていたわけではないのですけれど、
フライヤーにあしらわれた写真の被写体がカラー・リリーだと知れば、
思い出すのはジョージア・オキーフ でありまして、
先月ヘルシンキの美術館でオキーフ展を見たところでもあってものですから、
何も冷房のためだけでなく、足を向けたわけです。
(ちなみに、ヘルシンキで見たオキーフ展のことは後々のバルト海紀行に登場予定です)


さて、本題のメイプルソープ写真展。
タイトルの中に「flowers」とありますように、花をクローズアップした作品の数々。
モノクロ画像であることも相俟って、非常に静謐な世界が展開しておりました。


単に冷房のせいとばかりもいえない、冷えた空気が漂っていたといいしょうか。
その場にあわせて冷房を強めにしていたのかもですけれど。


いずれにしても、地べたの渋谷では多くの人が行き交って騒がしく、
残暑の太陽が容赦なく照り付けているという外の様子とは隔絶した別世界と感じたものです。


ひとわたり見て廻っていて、ふと思ったところは
本来的に花を愛でるときには「美しいかどうか」というものさしを当てるような気がします。
もちろん香りを楽しむということもないではありませんが。


とまれ、花の美しさを感じるときには色彩は切っても切り離せないものではないかと。
それを敢えてモロクロで捕らえるというのは、どうしたってそうする意図があるはずですね。


よく写真の(写真家の?)力を評して、
白黒の画面から色彩が見て取れるかのように言われることがありますが、
ある意味これは見る側の視点であって、例えばメイプルソープが
「どうだい?白黒の中にカラフルさが見える写真だろう」てなことを考えて
撮っていたとは思われないわけです。


しばらく前のアンフォルメル展 で黒一色で描かれた作品に直面しましたけれど、
パッと見、これが絵画なのか?と思わせるところにも画家の意図は働いていたはずで、
それにも通ずる(といってしまっていいかは判然としませんが)何らかの意図があったと思うのですね。


フライヤー裏面には、こんな記載があります。

単に咲き誇る花のプライムタイムを写し取るのではなく、写真家ロバート・メイプルソープは、花が朽ちていくプロセスの中で輝く、命のクライマックスやマッス(塊)を「完全なる瞬間」として切り撮っています。

なるほど「弔いの花たち」と言われると、

そりゃあカラーよりもモノクロが合う雰囲気ともいえるものの、
「花の命は短くて…」が主眼であるとすれば、

花がしおれて行く姿は色を失っていく過程でもありますので、
よほどカラーであった方が鮮烈な印象につながりそうな気もします。


そこで、花を撮って花を見てもらおうという意図ではないのではないかと思い至ったわけです。
考えてみれば、被写体は花がメインではありながらも、時には鉢など付属物の配置や背景とも併せて
ひとつの世界をそこに現していて、なぜこの配置なのか、なぜこの背景なのか、
なぜこうした光の当て方なのか、影の作り方なのか…全てに作者の意図が働いているはずですよね。

静物画 と同じように。


とまあ、そこまではたどり着いたものの、どうもその先にまでは考えがたどり着かない。
いささかのもどかしさを感じつつ会場を後にし、渋谷という下界の雑踏に呑み込まれてみると
メイプルソープの意図は、単に、極めて単純に静謐さ、会場に入って一番最初に感じたとおりに
静けさ、静かさを感じてもらおうとしていただけなのかも知れんなぁと思ったりしたのでありました。