ロンドン・オリンピックが始まりましたですねえ。

オリンピックのたびにいつも思うんですが、「オリンピック」という言葉と

そのシンボルマークである五つの輪から日本語でオリンピックを意味する語として使われる「五輪」とは

実にまあ語感がぴったりしているものだなぁと。


これほど意味合いまで近いわけではありませんけれど、

外国語の言葉がそのままの音で、別の意味にせよ、日本語にぴったり収まってしまう例は

ままありましょう。


その中のひとつが世界中から枢機卿が集ってローマ法王選出のためにする投票を指す

「コンクラーヴェ」という言葉。

すんなり決まって白い煙がすぐさま立ち上るのなら別ですが、

どうにも選出に手間取って、黒い煙が立ち上るような場合には

票を投じる枢機卿の皆さんにしても、まっている群衆にしても

「根くらべ」的な意味合いにとれてしまうという。


そんな根くらべ的コンクラーヴェの果てに選ばれた新しい法王が

就任の顔見世直前、重圧に耐えかねてひきこもり、果ては失踪?!

・・・てなお話を描いた映画「ローマ法王の休日」を見てきたのでありました。

(余り書かない時事ネタから入ったと思うと、こういう無理やりの展開でありますよ)


映画「ローマ法王の休日」

こういっては何ですけれど、「おお、生きてたんだ?!」と思ってしまった

フランスのミシェル・ピッコリ(ただ今御歳86才)が新法王役でして、

予告編から察するにその飄々さを活かしたコメディのようだなと踏んでいたわけです。


フライヤーにもイタリア紙の評として「崇高なコメディであり、力強い感動作」などという言葉が

載せられていましたし。


それに邦題の「ローマ法王の休日」は明らかに「ローマの休日」のもじりでしょうから、

オードリー・ヘプバーン 演じた王女様のお忍びローマ観光ならぬローマ法王のお忍びローマ探訪、

その行く先々でトラブル続出で大笑い…と、そんなふうにばかり受け止めてました。


が、どうにも淡々と、あまりに淡々と進むようすに「これは違う…?」と思い始め、

途中途中のくすぐりにも(笑っている人はいましたけれど)笑うにはいささか戸惑いがあり、

予想外の結末に至って「え?」と思ってしまったという。


途中は途中として、とにかく市井に飛び込んだローマ法王はなんとか自分の役割をつかみ直して、

心に秘めた教会改革に邁進しましたとさ、めでたしめでたし…かと思ったのですが。


原題の「Habemus Papam」はラテン語で「我々は法王を得た」といった意味らしいのですが、

邦題とはずいぶんと意味合いが違うのではないかと。


確かにコメディ風味はふりかかっていますけれど、

集った枢機卿の誰もがなりたくないと考えるような法王という職務。

ところが、外ではあるいは世界中のいろいろなところで選出が待ち望まれるという存在。


ひとりの人が担う役職の中ではもっとも重いものでしょう。

かつてはそれでも選ばれたからには遮二無二こなすということであったであろうものの、

ことはローマ法王という肩書きに及ばずとも、例えば性格的に役どころにマッチしない人選の結果、

病いに至るようなケースが散見されるご時勢にあっては

ローマ法王とて例外ではないことを暗に示唆しているのかなと思ったり。


全ては見手の受け止め方にかかっているのかもしれませんけれど、

宣伝にあるようなコメディ的謳い文句に「おや?」と思うことがあるかもしれない映画でありましたよ。

こんなふうに思う方は他にいないんでしょうかね…。