比較的アメリカの映画に多いような気がしますけれど、
「これは実話に基づいている」とか「実際にあった話からインスパイアされた」とかいう

成り立ちを持つものがかつてより増えたような気がしますですね。


奇抜な?ストーリーの物語は引きもきらず登場する傍らで、
「事実は小説より奇なり」ということがたくさんあるということなんでしょう。
そして、そうした話が映画化されたりすると「へえ~、そんなことがねえ…」と思ったりするわけです。


さて「へえ~、そんなことが?!」と最近気付かされたのが、マルセル盗難事件というもの。
1968年の12月、京都の国立近代美術館で開催中であったロートレック 展の会場から

一枚の油彩画が忽然と消え失せた。
女性のバストアップを真横から描いた作品で、

タイトルの「マルセル」はモデルの女性のことであるらしい。


会場では「マルセル」よりも評価額の高いものが近くに展示されているにも関わらず、
失われたのは「マルセル」一枚であったことから、換金目的というよりも
絵画そのものの熱烈なファンが持ち去ったのではないかとも取り沙汰されたようです。


フランスから国が借りたものという信義上の問題も絡んで

大々的な捜査が展開されるも犯人は杳として知れず、
「マルセル」を盾に取った身代金?の要求がなされるでもなく、時は過ぎて七年後。
あたかも窃盗罪の時効成立を待っていたかのように、「マルセル」は返ってきます。


届け出た人物は「預かっていただけ」というような話をするものの、
誰から預かったのかといった点に関しては時効後でもあり、固く口を閉ざしていても打つ手はなく、
事件は謎を残したまま収束したそうです。


って、全くもって「奇なり」のお話でありますよね。
こんなことが日本で起こっていたとはちいとも知りませんでしたが、
この事件の謎の部分を想像で補ってみたいと誰かが考えても不思議はなかろうかと。


実際にそれを試みたのが作家の高樹のぶ子さん、
その最新刊「マルセル」で思いのほか自由に話を展開させておられます。


マルセル/高樹 のぶ子


これを読んでこの実際の事件を知ったものとしては、
話の組み立てようからして本当の部分まで含めて作りこまれたフィクションかと

思ってしまうところですが。


これはこれで即座に映画化でもされそうな気のするところですけれど、
そこはそれ、どちらかといえば純文学系の作者でしょうから(といって、他に読んだことないんですが)、
いわゆるミステリとは少々趣きを異にしているような。


最後の方では謎のベールが薄皮を剥くようにじわじわとはがされていくのでして、
大団円でのどんでん返しと思しきものも用意されていますですね。


されど、事件の謎そのもののどんでん返しというよりは、
事件当時と現在と40年ほどの時を超えてこの謎に関わる人たちの人間関係であったり、

人間模様であったり、そうした点でのどんでん返しといったら良いでしょうか。


ですから繰り返しになりますが、ミステリのつもりで読まれると違和感を抱くことになるかもです。
主人公である新聞記者の瀬川千晶が探偵役らしき人物と考えてもよいのですが、
切れ者の探偵、例えばシャーロック・ホームズがほんのあるかないかの糸口をこじ開けて

真相を探り当てるといったふうでもなく、右往左往しているうちにどんどん核心が近づいてきてくれる

といっては言いすぎですかね。


つまり、真相に至る過程を楽しむには都合よすぎな気もするわけです。

が、これも繰り返しですが、ミステリではないというのは、

謎解きの過程を楽しむようにできている小説ではないと思いますので、
それはそれとして肝心な主人公の「母親探し」

(母親そのものを探すということと、母親がどういう人物なのかを理解すること)という

筋立てとそれに纏わる主人公の揺らぎを読むことになろうかと。
(ストーリーには極力触れずに来ましたが、ここでちと触れてしまいました。このことだけで「万事休す」とはなりません)


それにしてもよく作り出したものだなと思いますし、

文句でもなんでもないのですけれど、個人的には(まったくもって極めて個人的にはですが)

「マルセル」の作者であるロートレックやモデルを務めたマルセルらの生きた過去と現在が
交錯するような話だとまた違った面白さが出たかなぁと思うのですね。
そんなこと言うなら「書いてみろよ!」となるかもですが、まあおいおい考えてみましょかねえ…。